銀色の水平線 | ナノ
◇ ミカサの誕生日、一日後 後編

結局ミカサは五切れのパイを食べた。夕食が入らなくなりそうだ。


「さーて、良い加減本題に入らないとなあ」

シルヴィアがミカサとアルミンのカップに紅茶を注ぎ足しながら言った。

お腹が満たされてほのぼのとした雰囲気を纏っていたミカサがそれを聞いてまたしても敵意を醸し出す。


「.....エレンの、古城での生活環境を...私たちに、明確に提示して下さい...」

真剣かつ恐ろしい表情だ。....彼女が如何にエレンの事を真摯に、大切に想っているかが分かる。


「......生活環境....といっても君等と変わらないよ。
普通に寝て起きてご飯を食べて....訓練とああ、少し違う所は偶にハンジの実験への協力がある事かな.....」

「実験....!それで、傷を負ったり、精神的な苦痛を課せられたりは....」

「それは無いよ....。ハンジは変態だけれどそこら辺の倫理観はまだ失っていない筈だから」

「古城に監禁されて、自由に身動きが取れていないと聞きます。
いくら巨人になれるとはいえ人間としての権利は保証すべきです....!」

「うん....。やはり昼間はね、仕方無いよ。ただリヴァイもしくはリヴァイ班の監視付きなら昼でもある程度は動ける。
夜はリヴァイ班じゃなくても兵団の誰かと一緒ならほぼ自由に行動できるね。
勿論自室にいる時は一人だ。プライバシーは保証されている。」

固く厳しい表情のミカサに対してシルヴィアは柔らかく穏やかにすらすらと言葉を紡いで行く。

「......普通の兵士たちと比べるとやや不自由な生活かもしれないね。ただこれが我々ができる最大の譲歩だ。
....理解を示してくれると嬉しい。」

シルヴィアは小さく溜め息を吐いて軽く組んで机の上に置かれた自分の手を見つめた。

....少し、疲れている様だ。恐らく彼女にも何か思う所はあるのだろう。


「......ミカサ、今聞いた限りでは調査兵団の人達は決してエレンを粗雑には扱っていないよ。
安心して任せて良いと、僕は思うな....」

アルミンが未だに肩を怒らせ拳をぎゅっと膝の上で握っているミカサを宥める様に言う。

口を噤んで俯いてしまった彼女を見て、アルミンは代弁する様に口を開いた。

「ミカサも、普段ならここまで意固地にならないんです.....。
ただ....ご存知の通り彼女とエレンは幼馴染でとても仲が良く....それで、昨日はミカサの誕生日で...その時に、エレンと会えなくて....」

言葉を口にしながらどんどん声は小さくなっていく。口にすればする程、ミカサには悪いがとても些細な事に思えて来たのだ。

.....こんな事で、わざわざ兵団二番目の地位を持つ人間に時間を作ってもらって良いのだろうか....

呆れられたり、眉をひそめられたりしたらどうしよう...と思うと顔にじんわりと熱が集まっていくのを感じた。


「.....成る程。」
その時、シルヴィアがほほう、と言うように顎に手を当てながら言う。

それから姿勢を少し前のめりにすると、先程と同じ様に手を組んでその甲に顎を乗せ、ミカサの方を眺めながら唇に緩やかな弧を描いた。


「君はエレンの恋人なんだ」


その言葉にミカサの体が大きく震えて机がガタリと動く。ティーカップが倒れて中身が零れた。
鳥籠にいたインコが驚いた様に羽ばたく。シルヴィアがおっと、と小さく言いながら近くにあった布巾で零れた紅茶を拭いてカップをソーサーの上に戻した。


「ん?違ったの?」
シルヴィアは鳥籠の傍まで行き、それを開けると興奮収まらないインコを宥める様にその柔らかな羽毛を軽く撫でる。

「......家族です。」
ミカサが絞り出す様な声で言った。しかし頬が色付いてしまっている。

その答えにシルヴィアは驚いた様にミカサを見つめた。

少しして鳥籠を閉め、再び元の席に着くと、向かいに座るミカサに優しく笑いかける。

「そうかあ、家族は大事だもんな....」

.....何を想っているのだろうか。

何処か懐かしい様な、嬉しい様な、寂しい様な...複雑な色を映しながらも、あくまで彼女の瞳は穏やかだった。


「......では!!」


自分が作り出した緩やかな空気を両断する様にシルヴィアが勢い良く立ち上がる。

突然の事にアルミンの心拍数は大幅に上がった。インコは折角落ち着いたのに関わらずまたしてもパニックに陥る。

「大切な女性の誕生日を忘れる等言語道断、紳士失格だ!!それが家族なら尚更だ!!」
ぴしりと人差し指を立てながら演説をする様にアルミンとミカサに訴える。

「立ちたまえミカサ・アッカーマン君!アルミン・アルレレト君!「惜しい」

シルヴィアのあまりの勢いに呆気に取られていたミカサとアルミンは思わずそれに従って立ち上がってしまう。

「諸君、断固講義するぞ!!」

何とも楽しそう...しかし厄介事を確実に起こしそうな笑顔である。アルミンは嫌な予感を背筋に感じた。


「....っと、その前にミカサ。」

シルヴィアがミカサの方へばっと機敏な視線を寄越す。
本当に先程までの穏やかな女性と同一人物なのだろうか。どうやら厄介なスイッチをonにしてしまったらしい。

「は、はい....」
色々な事が突然起こり過ぎて混乱しているミカサはやっとそれだけ言った。

「さっきから思っていたが服が気に入らん!!」

「ふ、ふく....?」


唖然とするミカサの隣でアルミンは今更ながらハッと思い当たる。

そうだ....。いくらお互いに非番とはいえ、上官の部屋に私服で来てしまうとは....

流石にまずかった。何でこんな当たり前の事に気が回らなかったのだろう.....!


「......次に髪が気に入らん!」

「か、かみ....?」


......?髪はいつも通りだよな?....うん?


「もうひとつおまけに顔も気に入らん!!」


流石にイチャもんの域だろう。ヤクザか「せい!!!」「叩かないで下さい僕声に出してませんよね!?」


「....と、言う訳で来たまえ。」
ミカサの腕を掴むとずんずんと部屋の奥に歩き始める。

どうしたら良いのか分からずに、アルミンはただ引きずられて行くミカサを呆然と見つめていた。


しばらくすると、どこから来たのか主人とは対照的に真っ黒な猫が足下にすり寄ってくる。

抱き上げてやると赤い首輪についていた銀色の錫がちり、と鳴った。







「どうだ!!見てみたまえアルミン君!!」

しばらくしてこの上なく得意げな顔をしたシルヴィアが再びミカサを引きずる様にして戻って来た。

この状況を相当楽しんでいるらしく、表情は生気との気魄がみなぎりあふれている。


「おお......。」


アルミンの口から素直に感嘆の声が漏れた。ミカサが....可愛くなっている。


....まずは、服装がいつもと大分異なっているのが目を引いた。

素人目に見ても結構良い生地を使用したワンピース型のスカートだ。

淡く...少し渋い水色の小花が生成りの上に散らされたそれに対してV字に切り取られた首もとを囲む襟は深い群青...その縁を金の細い二本のラインが囲っている。

そして襟と同じく群青に金のラインが二本通った帯でウエストが締められていた。


「いやあ、ミカサ君は私と身の丈が同じ位だからねえ。
まさか奥の方に押しやられていた若い時の服がこんな所で役に立つとは.....」

(....という事はヴィンテージかな「せい!!!」「だから心読むのやめて下さいよ!!」


服だけでは無い。
髪も綺麗に梳かれて艶やかになっており、元からそれなりだったものが更に美しく...まるで黒い絹糸の様だ。

顔にも淡く化粧が施されている。とても兵士とは思えない可憐な仕上がりだ。

.....女は化けるものである。恐ろしい。


「君は腹筋バッキバキだけどスタイルが良いからなあ。何着せても似合うから楽しかったよ」

一仕事終えて満足した表情を見せるシルヴィアに対してミカサはげっそりとしていた。

どうやら体の良い着せ替え人形にされていた様である。


「.....んー、本当はそのマフラーも取った方が良いのだけれど...」

少々広めに空いたV字の首元を隠す様に、臙脂のマフラーを巻き直すミカサを眺めながらシルヴィアが呟いた。

しかし随分とそれを大切そう扱う彼女の様子に、「....ま、いっか」と言って小さく笑う。

「なんならアルミン君も着る?きっとミカサみたいに、いや、それ以上に可愛らしくメタモルフォーゼできるかもしれんぞお?」

「いや、結構です。」
即答だった。


「....ふむ、じゃあ...最後の仕上げはこれかな?」

鏡に映る姿にふらふらと手を振りながら本当にこれが自分か確認していたミカサの傍にシルヴィアが寄って行く。

「折角ご両親から綺麗な髪を頂いたのだから。飾ってあげない事はない。」

そう言って彼女の顔のすぐ近く...右サイドの髪の辺りに小さな花の銀細工がいくつか施されたヘアピンを手際良く付けた。

それからまたしても少女の様な邪気の無い笑顔を見せると、ミカサの頭を軽く撫でながら「可愛い、すごく可愛い」と嬉しそうにする。


(なんか母親みたい「流石に君等程大きな子供がいる年齢じゃない!!」

(いや、一概にそうとも言い切れな「アルミン君!!君はなんか私に恨みがあるのか!!」

シルヴィアは割と強くアルミンの頭をはたいた。


「さて...いつまでもこうしていると日が暮れてしまうね....」

シルヴィアが八角時計を確認しながら言う。既に夕方に差し掛かっていた。

「行こうか、二人共。」

足下にすり寄って来た黒猫を動線の外にぽいと投げ出しながら彼女は二人の方を向く。猫が不満げに一声鳴いた。

「.....行くって、何処に?」

アルミンが尋ねる。....まあ、大体行き先は分かっていたが。

「勿論エレンの所だよ。」

当たり前の様にシルヴィアが返す。

しかしその言葉を聞いた時のミカサの狼狽ぶりは凄まじかった。床に積まれている書物に足を取られて転んでしまう程である。

シルヴィアは苦笑してそれを起こすと、そのまま手を引いて先程の様にずんずんと入口に向かい始めてしまった。

恐らくシルヴィアより腕力の強いミカサであるにも関わらず、彼女の勢いには何故か逆らえないでいた。



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