銀色の水平線 | ナノ
◇ ミカサの誕生日、一日後 中編

「うん.....シルヴィア。ネームプレートも合ってるし...ここだね。」

簡素な木の扉に名前が刻まれた真鍮の板が据えられている。

.....自分からここに来ると提案したは良いが...扉を前にすると結構緊張する。

一人だと不安なので一緒に来た友人の姿を求めて視線を後ろに向けた...しかしそこに彼女の姿は無い。


「......ミカサ。」


アルミンは近くの大きな窓にかかるカーテンの膨らみに呆れた様に声をかける。

「.....ミカサではない私はカーテンです。」

「カーテンは喋らないよ」

「......テイク2いきます。」

「はーい、こっち出て来ようねー」


アルミンは彼女を覆っていたカーテンを剥いで今度こそ逃げない様にしっかり腕を掴んだ。

そして今再び扉の前に立ち、確かに二回ノックする。


................応答無し。


(.....今日非番じゃないのかな。)


アルミンは試しにもう一度ノックした。


................応答無し。


(いや、さっき確認した出勤簿には公舎に出向いた形跡は無かった....)


三度目のノック。


(......なんか意地になってきた。)

アルミンは非常に諦めの悪い人間である。それがまた彼の取り柄なのだが。


四度目のノック。


五度目。


六度目。


七度目。



「やっかましーーーー!!!!!今日の私はガトーショコラを修羅の如く生む機械になるからぜっっっっっっったい仕事をしないと何度も―――――.......ん?」



固い木の扉が勢い良く開いたかと思うと、独特の微笑と幽霊の様な色素の薄さ、そして不遜な態度でお馴染みの我等調査兵団副団長、シルヴィアが凄い剣幕で飛び出して来た。

そして予想外の訪問者を確認するときょとりとた視線を二人に向ける。


......何より驚いたのはその格好である。いつものタイはしていない。

白シャツにエプロン、三角巾。何とも家庭的な姿だ。.....そして....右手には.....


「副長....!!!お忙しい所大変失礼しました..!!お願いですからその包丁しまって下さい!!!」

.....包丁を持っていたのだ。怖過ぎる。

「.....あー.....。ごめん。チョコ刻むのに使っててね.....。」
シルヴィアは罰が悪そうに頬を掻いてから一回部屋の中に引っ込む。再び出て来た時には手ぶらだった。


「....ん、で....どうしたの?ミカサ・アッカーマン君とアルミン・アレレレト君「言えてませんよ」

軽く腕を組んでシルヴィアは二人を見下ろす様に眺める。エプロン姿でも威厳がある所は流石だ。


「......エレンの事で、貴方に話が。」


.....先程までの慌てぶりは何処に行ったのか、ミカサが敵意を露にしてシルヴィアに告げる。

.......ツンデレか?


シルヴィアは顎に手を当てて....ほう、という感じでミカサを見つめる。

それから穏やかに微笑んで「ブルーベリー、好き?」と尋ねて来た。





「いやあ、良い時に来たねえ。丁度この前作ったブルーベリーのパイが余ってて」

エプロンと三角巾を外したシルヴィアはご機嫌な様子でアルミンとミカサの前に置かれたカップに紅茶を注いで行く。


(.....ど、どういう状況だ...?これ....)


何故自分たちの様な平兵士が要職...しかもトップに限りなく近い人間の自室でお茶をしているのだろう.....。


.....とりあえずアルミンは部屋を見回してみる。

副長ともなれば豪華な部屋に住んでいるのかと思っていたが、中は自分たちとあまり変わらない。

ひとつだけ違うのは相当広いところか。....しかし、所狭しと様々なものが置かれている為自分の部屋よりも狭く感じた。


(なんか....この感じ、どこかで見た様な....)


色々なものが雑然と置かれている。書類が山を作っていて...それがばらばらと雪崩を起こしていて....

古くて分厚い本、新しい流行の本、大判の画集...壁にはメモや資料が大量に貼られ、それを剥がした跡も無数にある。

ニスの剥げた梯子があってロフトの上には更に多くの書籍が....天球儀に顕微鏡もある。うわ、動物の骨の標本だ...大きさ的に猫かウサギかな?

ひび割れた鏡...何で捨てないんだろ、燭台の上の蝋燭はもはや別の物体の様に蝋が激しく垂れて変形しているし...八角時計の振り子の音がやたらと大きい。

植物の鉢も一杯あるなあ、………パセリ、セージ、ローズマリーにタイム……

鳥籠にはインコが二匹、何処の扉のものなのか沢山の鍵が束ねられたもの、あと何故か萎びて皺がよっている林檎がひとつテーブルの上に....

けれど汚いという印象は無い。雑然とした中にも秩序の様なものがある。


「....ん?キョロキョロしてどうしたの、アルミン君。」

奥からパイが乗った皿を運んで来たシルヴィアがアルミンに尋ねた。

「いや...なんかここ、昔絵本で読んだ魔女のおばあさんの家みたいな何故パイを僕に投げつけるんです副長!!??」

「さっき名前を間違えた事を根に持ってるのかアルミン・アレレレレト君!!!「まだ言えてない上にレが多いですよ!!?」

「一言多いんだ!!もう少しソフトな言い方があるだろ!」

「えーっと...、昔絵本で読んだおばあさんの家みたいな「何故そっちを取るんだ!」

「......?おばあさんの家みたいな「ダイレクトにも程がある!!」

「......おばあさんみたいな「わざとやってるだろ!!あと投げたパイは責任を持って私が美味しく頂きました!!!」


―――――――


「.....まあ、落ち着いた所で....。」

シルヴィアがやれやれと言った様子で着席する。

「えーっと、エレンの事で何か用事があるんだよね?」
お食べ、と向かいに座った二人にパイを薦めながら彼女は再び穏やかに微笑む。


(アルミン)
その時、小声でミカサがアルミンに話しかけた。

(ん?どうしたの?)
まさにパイを食べようとフォークを手にしていたアルミンが不思議そうに彼女の方を見る。

(......これ、毒が入ってる可能性がある)
パイをじっと見下ろしながらミカサが呟いた。

(何言ってるの...副長が僕らを殺した所で何のメリットも無いだろ?まあ確かに魔女といえばそういうイメージだけど...)

(あの女を信じてはいけない...。なにしろエレンをたぶらかした悪者なのだから...)

ひそひそと話す二人をシルヴィアは頭上に疑問符を浮かべながら頬杖をついて眺めていた。

(....まだそんな事を....。)

(とにかく私がまず毒味するから...。アルミンはその後、私の判断に従って。)

(はいはい....。)

とりあえず気が済むまでやらせておこう....と溜め息をひとつ吐いてミカサの動向を見守るアルミンであった。

フォークでパイを食べやすい大きさにに崩し、恐る恐るそれを口に運ぶミカサ。

咀嚼し、ごくりと飲み込む。....そして考え込む様に目を瞑った。

(......ミカサ、大丈夫?)

ピクリとも動かないミカサが少し心配になってアルミンが声をかける。....も、もしや本当に毒が....

しかし次の瞬間彼女の目がカッと開いた。突然の事にアルミンの肩が跳ねる。

(アルミン......!!)

何やら凄い迫力でアルミンに迫るミカサ。

(な、なに.....?)

(これ、毒が入ってる....!!)

(!?)

(食べてはいけない...!!貴方の分は私が処理してあげる...!!)

(いやいやいや、君何言ってるの?)


小声で言い争いながらブルーベリーのパイが乗った皿を取り合う二人を見て、シルヴィアはこそばゆそうに笑った。

それから「まだ余っているから沢山食べなさい」と言う。

シルヴィアの言葉にミカサがぴくりと反応した。
....その後、アルミンがようやく落ち着いて自分のパイにフォークをつける頃には早過ぎくも彼女の皿の上は空になっていた。


「.....おかわりいる?」
ミカサの空になった皿を目を細めて見つめながらシルヴィアが尋ねる。

「いります。」
即答だった。

「そう....」
それだけ言ってシルヴィアはミカサの空皿をかたりと持ち上げて部屋の奥へと消えて行く。

少しして戻って来た彼女はなんとも幸せそうな空気を纏っていた。


「......おいしいかな?」
両手を組んでその甲に顎を乗せながらシルヴィアがミカサ聞く。

「まずいです。」
これもまた即答だった。しかし胃袋は正直でふたつ目のパイも既にその姿を消していた。

「おかわり、いる....?」
シルヴィアはミカサの答えを意に介した様子無く再び同じ言葉を口にする。

「いります。」
三度目の即答。

それを聞いてシルヴィアは嬉しそうに笑った。



「.......おいしい?」
少し悪戯っぽい笑みを浮かべながら三度同じ問いをミカサにする。

「おいしいです......!」
ミカサは非常に悔しそうにしながらまたしても空になった皿をシルヴィアに差し出した。

それを受け取りながらシルヴィアは困った様に笑う。

「.....血の涙を流されながらおいしいと言われたのは初めてだよ.....。」


八角時計が円みのある音を辺りに響かせ、ここに来てから随分と時間が過ぎていた事を知らせた。


シルヴィアは相変わらず緩く暖かな視線をブルーベリーのパイを口に運ぶ二人に向け続けている。


じっ、と見つめられる事が少し恥ずかしくなったアルミンが「あの....何か?」と声をかけるが、シルヴィアはただただ少女の様に嬉しそうに笑うのみだった。



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