銀色の水平線 | ナノ
◇ 新年会、満月の夜 前編

「遅い」

「........リヴァイ」

指定された店の前に立ち尽くす人物が一人。

暗くて良く見えなかったが、その姿を確認する前に発せられた声によって正体はすぐに知れた。

「もう始まっているのかな」

賑やかな声が聞こえてくる店の扉を眺めながらシルヴィアが言う。

「当たり前だ。何時間の遅刻だと思っている。理由を言え。下らない理由なら冬の河に叩き落とすぞ」

「ヤクザみたいな事を言うねえ。仕事してたん「嘘吐け」

「.......最後まで言わせなさい。」

「お前に限って仕事が理由で宴の席に遅れるなんてある訳無えだろ。吐くならもう少しマシな嘘を吐け」

「嘘じゃないよ....。君の推理は残念ながらハズレだ。
.....成る程、確かに見た目は子供で頭脳は大人だが詰めがあま「がたがた言わねえで理由を言え.....!」

「ご、ごめん」

リヴァイが先程まで身体を預けていた店の石壁を拳で殴ったのでずしんと重々しい音が辺りに響く。
ただならぬ迫力に流石のシルヴィアも思わず謝罪を述べる。

「......それとも何だ、言えない理由でもあるのか」
リヴァイの鋭い目付きが更に細められた。

その言葉にシルヴィアの瞳孔が微かに泳ぐ。それを彼は見逃さなかった。

「......やっぱりな。当ててやろうか。お前はわざと遅れたんだ。俺に会う時間を少しでも減らす為にな....」

「それは違うよリヴァイ。急に何を言い出すんだ。」

「いや違くない。.....あの日から.....俺が公舎を尋ねると常にお前は不在だった。....不自然な程にな。
以前は呼んでも無えのに湧いて来やがった癖に.....」

「偶然だよ.....。今日の君は少し変だ。人を疑うのは良くない。」

「.....相変わらずこの手の嘘が不得意だな。それに変はお前だ。何故急に俺を避け出した。」

石壁から身体を離したリヴァイはシルヴィアの方へと一歩ずつ歩を進める。彼女はそれに合わせる様に後ずさった。

月光に投げ出された二人の影が静かに冷たい石畳に伸びて行く。
街道を通る人影はまばらで、酒場から聞こえる声以外は音を立てるものも無い。

「.....嫌いにでもなったのか?いや違う。嫌いな相手には進んで嫌がらせをしに行くのがお前だよなあ、そうだろう?」

リヴァイはゆっくりと言葉を紡ぎながらシルヴィアを追い詰める。既に彼女の背後には別の石壁が迫っていた。

「それにそんな単純な事なら俺もここまでムキにはならねえ。.....だから聞かせろ。」

背中に固く冷たい石の感触を感じたシルヴィアは白い顔面を一層蒼白にする。

拳をぎゅっと握りしめ、僅かに怯えた表情で自分の事を見据える彼女を見て....リヴァイは胸の内に何か得体の知れない感情が湧き起こるのを感じた。

「.....お前のそういう顔は初めて見るな....。いつもの取り澄ました表情よりずっと人間らしくて良い。」

そして遂に自身もシルヴィアの元へ辿り着く。

「リヴァイ、やめるんだ......」

か細い彼女の声を遮る様に先程よりも強い力でシルヴィアの端正な顔面すぐ横の石壁を殴った。

またしても重々しい音が響き、彼女は呆然とリヴァイを見つめる。

惑いを湛えたその瞳をじっくりと眺めても、どういう訳か良心が行為を咎める事は全く無かった。

「......お前が俺の事を避ける理由なんざひとつしかねえよ。」

壁を殴った手をそのままに、シルヴィアの顔を覗き込む。吐いた息を感じる事ができる程互いの距離は近かった。

「言っておくがお前の記憶違いでも、俺の一時の迷いから生まれた言葉でも無い。何年同じ事を思い続けて来たと思っている。」

「駄目だ、リヴァイ....!やめなさい.....」

「......何が駄目なんだ。聞こえてなかったなら何度でも言ってやる。俺は「リッヴァーイ!シルヴィア来たー!?」

その時、店の扉が勢い良く開かれて上機嫌なハンジの声が辺りに響いた。どうやら大分出来上がっているらしい。

突然の事にリヴァイは驚いてそちらを向く。その隙を逃さずシルヴィアは彼と石壁の間からするりと抜け出した。

「......なっ、てめえ....話はまだ終わってねえ.....!」

「あれー?リヴァイまでどこ行っちゃったの?」
店の前にいたはずのリヴァイの不在にハンジが不思議そうに声を上げる。

「おかしいな。さっきまでは扉の前から梃でも動く気配は無かったのに.....」
その背後からナナバが顔を出した。

辺りをしばらく見回していると、暗がりからシルヴィアが何やら慌てた様子で飛び出してくる。

後ろにはそれを追いかけるリヴァイの姿も確認できた。

「何だシルヴィア来てたんなら早く中に入りなよ。全く遅かったねえ。」
ハンジが安心した様にシルヴィアの体を抱き締める。ふんわりとアルコールの匂いが香った。

「......ハンジ。俺はそいつと話がある。お前等は店の中で待ってろ」

リヴァイはひどく不機嫌そうにシルヴィアの肩を掴む。
一瞬彼女の体が自分の腕の中で強張るのをハンジは感じた。

「シルヴィア、どうしたの.....?」
不思議そうに顔を覗き込むが、その表情から胸の内を読み取る事はできなかった。

「まぁ....折角皆が一堂に会した新年会なんだ。話ならまた今度で良いだろう。」
重くなる場の空気を察したナナバが明るい声で言う。そしてシルヴィアを自分の方へ引き寄せた。

「それにリヴァイ、偶には私たちにもシルヴィアを譲ってくれても良いだろう?」
ナナバはリヴァイに向かって綺麗に微笑んでみせる。

「そうだよ君等はただでさえ仲良しなんだからさあ、話す機会はごまんとあるじゃないか。
......それとも何?喧嘩したとか?」
ハンジは自分から離れて行ってしまったシルヴィアとの距離を詰めて再び抱きつき直しながら尋ねた。

「.....喧嘩じゃねえよ」

「あ、喧嘩はいつもの事か。じゃあ何だろう、逆に愛を語らっていたとか?」

「っ......」
いつもと打って変わって借りて来た猫の様に大人しかったシルヴィアの口から何とも形容し難い声が漏れる。

「.......シルヴィア?」
ハンジを彼女から引き剥がしながら気遣う様にナナバが声をかけた。

そして耳まで赤くなったシルヴィアの顔を見て首を傾げる。

「とにかく.....。外は冷える。早く中に入ろう。」
少しの間初めて見るその表情を繁々と眺めていたが、やがて安心させる様にそう言って彼女の肩を抱き、店内に導いてやった。

後ろからハンジが何かどうでも良い事を呟きながら付いて来る。リヴァイも舌打ちをひとつしてそれに続いた。







「.......そいつに酒を飲ましたクソ野郎はどこのどいつだ......」
夜も更け宴も酣となった頃、終始イライラし続けていたリヴァイが低い声で尋ねる。

「嫌だなリヴァイ、誰も飲ませてないよ。少し目を離したらこの有様だったんだ」
ナナバが目を伏せて自分にしなだれ掛かるシルヴィアの繊細な銀髪をそっと撫でながら答えた。

その行為を非常に不快に感じたらしいリヴァイはまたしても小さく舌打ちをする。

濃紺のタイが外されて露になったその首筋までも赤く、彼女がどれだけ多量のアルコールを摂取したかを物語っていた。

「.......おかしいな。シルヴィアは自分からはあまり飲まない筈なんだが....」
リヴァイの隣に着席していたエルヴィンが訝しげに呟く。

「何かあったのだろうか.....確かに最近様子がおかしい。......リヴァイ、一体彼女はどうしたと言うんだろう。」

「................。」
彼の言葉にリヴァイは黙り込む。

そしてちらりとシルヴィアを心配そうに眺めるエルヴィンの横顔を見た後、うんざりとした様に「知る訳ねえだろ」と吐き出した。

「.......そうか。それなら良いんだが.....。」
彼は静かに瞳をテーブルの上の自分の手元へと落とす。

リヴァイもまた溜め息を吐いてナナバに撫でられハンジにぴったりと抱きつかれているシルヴィアから視線を引き剥がした。


.........何だこの状況は。

あの夜以来.....そこにあるべき筈のものがひどく歪に形を変えてしまった。
それだけで焦がし尽くされる様な苦しさを感じる。

だがこうなる事が分かっていても、それを望んだのは紛れも無く....自分自身だ。


リヴァイが眉間に一層皺を寄せて自分のグラスを握りしめたその時、されるがままになっていたシルヴィアがふと閉じていた目を開いた。

「........シルヴィア、大丈夫かい?」
その変化にいち早く気付いたナナバが彼女に声をかける。

「うっわ顔赤いねえ。水飲む?」
それに続いてハンジが珍しく気遣う素振りを見せた。

「ん........。大丈夫だ。ちょっと失礼.......」
しかしシルヴィアはいつもより言葉少なながらもしっかりとした口調で二人に応える。意識ははっきりとしている様だ。

そして椅子からおもむろに立ち上がるとそのまま店の奥へと消えて行ってしまった。


「どうしたんだろうねえ。あんなに大人しいシルヴィアは初めて見たよ。
静かなシルヴィアは綺麗だけどクッソつまんないなあ。何しょんぼりしてんだろ」
足を組み直してハンジは再び酒を煽る。どうやらまだまだ飲み足りないらしい。

「.............。」
そんな強靭な肝臓の持ち主とシルヴィアを挟んで座っていたナナバは何かを考える様に空になった彼女の席を見つめた。
大分使い込まれている為傷みが目立つ。

「......確かに、心配だな」
そしてぽつりと一言零して溜め息を吐いた。



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