◇ リヴァイが見た夢
「リヴァイ、起きるんだ」
その言葉にリヴァイは閉じていた目をうっすらと開く。
「.............!?」
そして眼中に飛び込んで来た人物の姿に驚愕した。
「お前......何だその格好....」
白かった。眩しい程の白さに思わず目を細める。
銀糸の光る髪の毛は薄いレースで覆われ、相も変わらず真っ白な肌をまた輝かんばかりの白い丈の長いドレスが覆っていた。
彼女がゆっくりと瞼を開くと坩堝の底に熔けた白金の様な色をした瞳とひたりと目が合う。
「おはよう、リヴァイ。」
そう言ってこちらに差し出された手もやはり純白の手袋で覆われていた。
「.....その格好は何だ」
再度同じ問いかけをする。非常に美しいと思う反面、その衣装が持つ意味が気になる。
....まるで、今から....
シルヴィアはそれに応える様に微笑む。今まで見た中で一番綺麗な笑みだった。
そしてゆっくりと口を開く。
「リヴァイ、私はね....結婚をするんだ。」
「........は」
時が止まった様に思えた。その直後、足下から地面がばらばらと崩れ去る様な感覚に襲われる。
「.......なっ、お前、結婚はしねぇって言ってたじゃねえか!相手は誰だ!!」
「私の事を愛していると言ってくれた人がいるんだ。私はその人にこの身を捧げる事にしたよ」
柄にもなく頬を染めるシルヴィア。まさか.....そんな、愛していると言われた位で....お前が、嘘だろ....?
......確かに俺はお前に愛しているとは伝えていない。
その所為なのか...?俺がもっと素直になってさえいれば....こんな事には.....
ふい、とシルヴィアが背後を振り返る。その方向には光が差しており、遠くに人影が見えた。
「......お別れだリヴァイ。私の事を愛しいあの人が呼んでいる。」
今までありがとう、とシルヴィアは軽くリヴァイの頬に口付けする。
......引き止めたいのに脚が鉛の様に動かない。
真っ白な衣装を纏ったシルヴィアはするりと遠くの光の方へ....
あんなに嬉しそうに、幸せそうに笑って、相手のもとへと駆けて行く.....
そしてその腕に抱き締められ、安心した様に目を細める。
駄目だ。もう見ていたくない。お前が他人の前でそんな表情をするのは絶えられない。
「.....待てシルヴィア!!俺は、俺はな.....!ずっとお前が―――」
そこから先は...声にならなかった。
光の中で、男の顔がほんの一瞬だけ露になる。
あの......金色の髪、優しくシルヴィアに注がれた視線、彼女を抱き締める逞しい腕.....
飽きる程見覚えのある.......
「―――エルヴィン」
自分の声で目が覚めた。
頭をがしがし掻きながら上半身を起こすと、するりと毛布が体から滑り落ちる。
「...........?」
拾い上げてそれをまじまじと見つめる。グレーのどこにでもありそうなものだ。だが俺のじゃねえ....
「おはようリヴァイ」
「!?」
自分以外がこの部屋にいた事に今気が付いた。
声がする方向に視線を向けると、椅子に腰掛けたシルヴィアが机に向かって何かの書類にペンを走らせている。
「エルヴィンの夢でも見たのかい?まったく君等は本当に仲が良いね」
......随分と魘されていたのが気になるがね、と視線は書類に向けたままシルヴィアは呟いた。
まだ頭がぼんやりとするリヴァイはとりあえず仮眠をとっていたソファから立ち上がってシルヴィアの机の元へと向かう。
「......お前がまともに働いている姿が見れるとはな....。明日は遂に人類滅亡の日か」
「失敬な。私だって仕事くらいする。」
銀色のペン先を走らせるのは憲兵団師団長、ナイル・ドークへ宛てた手紙だった。
「.......会うのか」
手紙の内容を斜め読みしながらそう尋ねる。
「その通り。エルヴィンの代理だ。予算の審議をする前に一度憲兵団と調査兵団の間で摺り合わせをしようというものらしいが.....」
ふう、と息を吐いてシルヴィアは頬杖をつく。
「私はどうも彼に嫌われているからな.....やりにくくて仕様が無い。」
万年筆をかたりと机に置いて背もたれに寄りかかりながら彼女はリヴァイの事を見る。
夢の中と同じ、白金の美しい色をした瞳だった。
「......どうせお前が何かしたんだろ」
がたりと近くにあった椅子を自分の傍に寄せて腰掛ける。
........正直、リヴァイは夢から覚めた事にかなり安堵していた。
シルヴィアはウェディングドレス等着ていない。いつもの制服に、今日は臙脂色のタイを締めている。
間違ってもこいつは簡単に頬を染める様な可愛げのある人間じゃない。
もっとずる賢くて性悪で....それこそナイルが以前シルヴィアを罵倒した時に使用した女狐という言葉がぴったりな人間だ。
.........本当に何でこんな奴なんかに、.....
「......まぁ何かしたかと言えばアレだ。訓練兵時代に賭けチェスで尻の毛までひんむいてやった事をまだ根に持っている。」
「.......そういえば同期だったか。」
「そうだよ。全く昔から何かと言えば突っかかって来て.....
兵団が別れてやっとおさらばできたと思ったらこれだ。あんな奴、仕事でなければ誰が会うか」
カメムシを見る様な目でシルヴィアが書面を見下ろす。どうやら彼女も相当ナイルの事が嫌いな様だ。
「.......お前、以前の会合では随分愛想良くしてたじゃねえか」
「ザックレー総統の御前だったからな。.......でなかったらあの格好付けた髭を全部引っこ抜いてやったのに....残念だ。」
「.......お前等仲悪いな」
「こればっかりは過去の因縁だよ。あの男.....いつまでもネチネチと私に絡んで来る.....憲兵団は暇なんだろうかねえ、リヴァイ。
全く、二児の父親であるというのに成長しないへそ曲がりっぷりが実に不快だ」
段々とシルヴィアの顔がナイルの前にいる時に見せる意地の悪いものに変わって行く。
「......自分が嫁の貰い手がいないからって拗ねるなよ」
「そんな事は断じて思っていない。冗談は身長だけにしたまえ」
「お前こそ冗談は年だけにしやがれ」
「......今は君の軽口に付き合う心の余裕は無いんだ。」
「お前が先にふっかけて来たんだろうが」
「第一....あのくそ髭め!!何故式の日取りを私に知らせなかったんだ!!!嫌がらせのひとつもしてやったというのに!!!」
「だから知らせなかったんだろ」
「くそっ、髭の癖にあんな天使な嫁もらいやがって!!髭の癖に!!!」
「髭に罪は無いだろう」
「何ださっきから冷静に突っ込んで....」
シルヴィアはぶつぶつと言いながら再び手紙へと視線を落とす。
......だが、何処か楽しそうである。本当の所、彼女は口で言う程ナイルの事を嫌いではないのだろう。
「........お前は、あるのか」
その様子を眺めていると、ふと...言葉が口を吐いて出る。
「.......結婚したいと、思う時は......」
「ん......?」
その呟きにシルヴィアが首を傾げて顔を覗き込んで来る。
リヴァイはしまったと口を噤んだ。
さっきの夢の所為でどうも気持ちが不安定になっている。
こんな事、聞くつもりは―――
「........リヴァイ」
シルヴィアがそっとリヴァイの頬に片手を添えた。相変わらず冷たい手だ。
「どうしたんだ。君らしくもない態度だ。」
「何でもねえよ......。」
「......何でもあるさ。心配だ。」
「お前なんかに俺の気持ちは分からねえよ....」
「......そうだね。だからこうして聞いている。」
「...........。」
リヴァイは唇を噛んで真っ直ぐ見つめて来る白金から目を逸らした。
何故、いつもいつも.....こいつは......
「まぁ.....言いたくないのならそれで良い。」
つまらない事を聞いたね、とシルヴィアはリヴァイの頬から離した手で再び万年筆を取る。
しばらく彼女はナイルへの手紙にペンで細字を考え考え書いていた。
蛇蝎の如く嫌う相手でも書面上では礼儀を尽くすらしい。上品な言葉が青いインクで羊皮紙に紡がれて行く。
「......随分と丁寧に書くな」
「まぁ......こういう仕事は完璧にこなしてやった方が奴の気に触ると思ってな」
「そういうやる気をもっと他に生かせよ......」
「何を言うんだ。私はいつだってやる気満々だぞ」
「............。」
室内は万年筆が羊皮紙の上を走る音だけが響いていた。
リヴァイは頬杖をついて彼女の姿を見守る。銀色の長い睫毛が濡れたように瞼にかぶさっていた。目の下の淡い影の色が美しい。
「.......リヴァイ」
ふと、シルヴィアは息をひとつ吐きながら隣の人物の名を呟いた。
「.....私はね、弱虫なんだよ.....」
そして少し困った様に眉を寄せてゆっくりとリヴァイへ視線を注ぐ。
「.....置いて行くのも置いて行かれるのも嫌なんだ。永遠を約束する事はできない。」
「...............。」
........どうやらそれが、先程の問いかけに対するシルヴィアの答えらしい。
胸の奥がじくりと鈍く痛んだ。.......行き場を無くした自分の感情がひどくもどかしく、苦しくて堪らない。
シルヴィアは......整った容姿を持ちながら全く恋愛に興味を示さない。
それが昔から彼女の人間味の無さに拍車をかけていた。
だが.....興味が無い訳ではない。彼女はただ恐れていただけなのだ。大切なものができてしまう事に....
どうすればその恐れを取り除ける?どうすればこの想いを成就させる事ができるんだ?
だが、自分の命もこいつの命も守り抜くと.....そんな無責任な事を何故言えよう....
俺だって恐れているのだ。お前の存在が俺の中で大きくなり続ける程、失った時の喪失感は堪え難いのもだから....
しかし、このままでいるのはそれ以上に嫌だ。まして夢の中での様に他の誰かのものに....?
考えただけで反吐が出る。......お前の事を一番に想っているのは誰だと思っていやがる.....!
「もし........ん...だよ」
低い呟きが口の端から漏れる。
万年筆を握っていたシルヴィアの手を掴んでその体ごと自分の方へ引き寄せた。
顔と顔の距離が近い。彼女の瞳に困惑の色が浮かぶ。
「もし......好きになっちまったらどうするんだよ......」
リヴァイは息を吐く様にゆっくりとシルヴィアに問い掛けた。
「心の底から.....どうしようもなく好きな奴ができて、それでもお前は想いを伝えないまま死ぬかババアになっていくかの二択しか選ばないのかよ....!!」
少しの間二人は無言で見つめ合う。静まり返る部屋には隣の執務室で交わされている会話が朧げに聞こえた。
シルヴィアの瞳からはもう困惑の色は消えていて、無機質な金属色が見つめ返して来るばかりだった。
「.........私は、結婚はしないよ。リヴァイ。」
静かな彼女の言葉にリヴァイの胸は締め上げられる。
何故、何故......!!一番欲しいと思うものはいつだって手に入らないんだ!
自分が想った相手が自分の事を同じ様に想ってくれる.....こんなに単純な事なのに何故....!?
「だが.....」
シルヴィアが握られていなかった方の手をリヴァイの背中に回す。
掌はいつだって冷たいのに、彼女の体は温かだった。
「もしも.....どうしようもなく誰かを愛してしまい、その人も私の事を同じ様に想ってくれるのなら―――」
背中に回っていた手はいつの間にか頭部へと移動し、やがてリヴァイの少し固い髪をゆっくりと撫で始める。
「........せめて、一緒にいたいと....そう、願ってしまうかもしれないね.......」
人間とはままならないものだからな、と囁くシルヴィアの言葉にリヴァイは静かに目を閉じた。
そして自分も両腕で強く彼女を抱き締める。
........一緒にいたい、か......。偉く抽象的だ。
だがその言葉だけで胸の中で鈍く響き続けていた痛みは鳴りを潜め、心はひどく穏やかになった。
「......リヴァイ。君の力は相変わらず強いな」
少し痛いぞ、とシルヴィアがぼやくので抱き締める力を更に強めてやった。彼女の口から言葉にならない声が漏れる。
「今日の君は本当に変だなあ。一体何があったんだ」
「.......何でもねえよ」
「そうかそうか。.....まぁ、元気になってくれて良かったよ」
シルヴィアが笑う気配がした。釣られてリヴァイの口角も少し持ち上がる。
「......シルヴィア」
抱き締めたままその名を呼んだ。......やはり堪らなく愛しかった。何年も前からずっと―――
「何だい、リヴァイ。」
シルヴィアが優しく応える。
「.......いつまでもこのままだと思うなよ」
「分かってるよ。全てのものは変わってしまうものだ」
「違う」
「ん......?」
「.......そういう事じゃねえ。だが.....まぁ、今はこのままで良い。今はな.....」
「そうか....。」
シルヴィアの穏やかな声が耳の傍で聞こえた。そして再び頭髪をそっと撫でられる。
いつもなら気に触るその行為も、今は甘んじて受け入れる事にした。
つくづく俺は馬鹿な男だ。
伝えてしまえば消えてしまう程ひどく脆い想いだが.....それを諦める事だけはできなかった。
.....だが、今、お前は....ほんの僅かではあるが人を愛する事を受け入れた。
もしかしたら手が届くかもしれない。その微かな可能性に俺は懸ける事にする。
本当に、人間とはままならないものだな.....。
リヴァイがそっと腕を離すと、いつもの様に微笑うシルヴィアと目が合った。
そして彼女はひとつ伸びをすると、「働いたらお腹が減ったな.....。少し早いが夕食を食べに行こう」とリヴァイの手をとって席を立つ。
「......燃費の悪い奴だな....」
それに従う様にリヴァイも立ち上がった。
「ちゃんと食べないと良い仕事もできないからなあ。」
「.......そういう事は良い仕事をこなしてみてから言え」
「したじゃないか!ナイルの馬鹿に手紙を懇切丁寧に書いてやったんだぞ?
.....あの嘗めた髭の為に1キロカロリーたりとも消費したくないと言うのに!」
「お前等....ほんっと仲悪いな」
「当たり前だ!生まれ変わっても嫌ってやる!」
珍しく怒りを表に出すシルヴィアにリヴァイは半ば呆れの表情を向けながらもどこか楽しそうだった。
並んで歩きながら食堂へ向かう彼等の距離はいつもより少し近く、それがお互いの中で何かが変わりつつある事を示唆していた。
ねっしー様のリクエストより
エルヴィンと結婚される夢を見て焦るリヴァイで書かせて頂きました。
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