◇ エルヴィンと青空 後編
月日は流れ、俺は彼女の身長を宣言通り追い越した。
今ではもう旋毛を上から見下ろす事ができる。
....俺たちの定期的な会合はずっと続いていた。彼女の所属兵団は、未だ決まっていない....
*
.....西の訓練場は今日解散式だった筈だ。今頃は打ち上げの最中だろう。
風の噂で彼女はそれなりに優秀と聞いた。もしかしたら上位10名に入るかもしれない。
そうしたら、やはり憲兵団へと入団してしまうのだろうか....。
彼女の選択の自由を奪うつもりは無いが....しかし....
溜め息をひとつ吐く。
自分なりにそれとなく調査兵団を薦め続けて来たが...それは効果を上げているのだろうか...?
ただでさえ彼女にしばらく会えないと思って気が重いというのに.....
(........。)
そこである予感を感じた。自慢ではないが俺の予感はよく当たる。
上着をひとつ引っ掛けて廊下へそっと抜け出した。目指すはあの楠だ。
*
「やぁ」
予感の通りその下に彼女がいた。
今日が最後の夜と感じさせない様な明るい挨拶だ。
「.....先輩。良かった。最後に会えて....」
いつかと同じ様に息を切らせながら彼女に近付き、思わず手を握ってしまう。
「うん。.....君には、ちょっと報告したい事があったから。」
「....何ですか」
「私は...調査兵団に入る事にしたよ。」
「そうですか」
「ん...驚かないんだね。」
「何となくそんな予感がしていましたから...」
「そうか...」
「でも...理由を聞かせて下さい。」
「理由...」
「はい。僕は...自惚れて良いんでしょうか...。」
「ふふん。君、なかなか自意識過剰になったね。」
「でも、当たっているのでは?」
「うん。.....そうだよ。私は君が居るから調査兵団に入ろうと決めたんだ。」
どこかで虫の鳴く声がする。先程までさやさやと草木を揺らしていた風が凪いだ。
その言葉で、2年間努力を重ねて来た事が報われた気がした。
自分の生き方が、誰かの心を動かす事に繋がったのだ。
やはり僕は...間違っていない。改めて確信する。
「何故僕がいずれ入団するからという理由で...調査兵団に?」
「....まだ聞きたがるのか」
「今後の為に必要な情報です。僕たちの信頼関係に繋がりますから。」
「そうだね.....。2年近くの短い付き合いだが...君の目には私なんかが考えもつかない様な広い世界が見えているのだと感じたよ....。それが切っ掛けかな...。」
彼女がやや恥ずかしそうに話し出す。
「...私にはその世界を見る事はできない。自分が所詮凡人だと言うのはもう随分前に分かっているからね。」
ゆっくりとその白い手が自分の手を握り返す。整った容姿に似合わず血豆だらけのささくれた手だ。
「....でも、君に着いて行けば...私にも見えるかも知れない。広い世界が。
閉鎖的で貧しいあの村に居た頃に何度も憧れた新しい世界が...」
雲間が割れて月が現れる。夜の青に染められていた草木に銀の光が降り注いだ。
「私は君の夢を助けて、その先を見たいんだ。だから傍にいる事にするよ。」
これでいいかな?と彼女が私の顔を覗き込んで来る。
「えぇ....充分です。.....あと、ひとつお願いが」
「何かな」
「僕の事は名前で読んで下さい。これから長い付き合いになりますから...」
「そうだね....じゃあ...エルヴィン君?」
「できれば君も無しで。」
「....エルヴィン」
「...良いですね。」
「じゃあ君も敬語は無しだ。堅苦しい。」
「分かった。そうするよ...」
「....良いね。」
「先輩」
「うん?」
「....名前を...教えてくれないか」
「シルヴィア。」
「.....シルヴィア。」
「良い名前だと思わないか?」
「あぁ。最高だよ....。」
そうして俺たちはどちらともなく笑い合う。
思えばそれなりの長い付き合いにも関わらず俺は彼女の名前を初めて知ったのだ。
互いの名を呼び合う様になったこの夜から、俺たちの新しい関係は始まった....
「シルヴィア。僕が入団するまで...どうか無事で。」
「勿論。君こそ熱中症でまた倒れない様に」
「....いつの話をしているんだ」
「ふふん。いつまでも覚えておいてあげるよ」
「.....君、結構良い性格しているなぁ....」
「気付くのが遅いよ。....まぁ、これから末永くよろしく。」
「....こちらこそ、よろしく。」
俺たちは先程握り合っていた手をもう一度重ね合う。
やはり彼女の手は冷たく、微笑む顔は綺麗だった。
こうして再び会う約束を交わした後、俺たちはしばしの間の別れを告げる...。
*
「良い天気だなぁエルヴィン。」
「あぁ、そうだな....」
団長室の窓から空をぼんやり見上げながらシルヴィアが言う。
「君も仕事なんてやめて一緒に空でも眺めよう。嫌な事なんて忘れられるぞ」
「......忘れるとマズい問題が山積みなんだよ...。」
「君は働き過ぎなんだ」
「お前は働かな過ぎなんだ」
「失礼な。やる事はやっている」
「それは知っている。とりあえずそろそろ執務室に戻ってやったらどうだ。部下達が血眼で探しているぞ」
「.....私を探すのも適度な息抜きになるよ。きっと。」
「....お前の部下に同情する。」
「ふふん。君は昔から真面目だからなぁ」
「....お前は昔から不真面目だからな...」
「さっきからいやに突っかかるね。カルシウムが足りてないのでは」
「お前と食べているものは同じだ」
「.....そうか。まぁ....大変そうだし手伝うよ。何をすれば良い?」
「....そこの書類を仕分けしてくれると助かる。」
「はいはい。」
しばらく部屋は作業の音だけが響いていた。
柔らかな日光が窓から差し込み、集中する二人を照らしていく。
「シルヴィア」
エルヴィンが唐突に彼女の名を呼んだ。
「うん?」
「.....お前は何かに付けてよく団長室に入り浸るが...その理由は何だ」
「.....理由?」
「俺は....自惚れても構わないのかな。」
二人はしばらく見つめ合っていたが、その内シルヴィアは盛大に溜め息を吐いた。
「......エルヴィン。君の自意識過剰さには呆れるよ。.....まぁ正解だ。君に会いに来ている。」
彼女の言葉にエルヴィンは満足とばかりに口角を上げる。
「何故俺に会いに?」
「まだ聞きたがるのか。教えないぞ」
「.....昔のお前はもっと素直だったんだが」
「何年前の話をしているんだ....。」
「そうだな.....確かあれは「やめなさい具体的な数字を出すな」
「シルヴィア。教えてくれ。これからの我々の信頼関係に関わるものだぞ。」
「.....何を言ってるんだ....。私の反応を楽しんでいるんだろう。」
「そんな事は無い。」
「............。」
「............。」
「............。」
「............。」
「.....そうだな。私にもよく分からないのだが....」
沈黙に耐えかねたシルヴィアが遂に言葉を零す。
「やはり付き合いの長さから....君の傍にいると落ち着くからじゃ無いだろうか....。」
「.....そうか。」
「.....これで満足か。」
「あぁ。.....最高だよ。」
シルヴィアはうんざりとした表情で書類の仕分けを再開した。
髪の間から覗く耳が仄かに赤くなっている事が更にエルヴィンを上機嫌にする。
「シルヴィア」
「何だ。質問ならもう受け付けないぞ」
「いや....今夜夕食でもどうかな」
「.....おや、問題が山積みなのでは」
「.....なんとかなるさ」
「君は変な所で不真面目になるなぁ」
「それはもう....先輩の影響だよ」
「失礼な事を言うな。私程真面目で模範になる先輩は居なかった筈だぞ、スミス君」
「....良く言う」
「事実だ」
二人は視線を書類に落としたまま小さく笑った。
窓から見える空にはぽつぽつと積雲が浮かび、形を変えながらに広がって行く。
どこにでもある、穏やかな幸せが確かにそこにはあった。
御門様のリクエストより。
若かりし日のお話で書かせて頂きました。
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