銀色の水平線 | ナノ
◇ エレンとリヴァイ班、苦手なあの人 中編

夕食後、地下室に作った自室で寛いでいると乾いたノックの音が室内に響いた。


「........?」

誰が何の用事だろう....。訝しげに思ったが特に開けない理由も無かったので扉を開く。


「え......!?ふ、副長.....?」

扉の向こうの人物を確認した途端、腰を抜かしそうになった。

暗い廊下の中で幽霊の様に浮かび上がる白さを持って、彼女がそこに立っていたのだ。


「やあエレン、こんばんは。....時間、あるかな。」

「あ、あの.....なんで....」

「あるかな」

「あ.....は、はい....。」

「良かった。......部屋、入っても?」

「ど...どうぞ.....」


室内に椅子はひとつしか無かったのでそれをシルヴィア副長に譲り、オレはベットに腰掛けた。

簡素で生活感のあった部屋も、彼女がいるだけで一気に非日常感が増す。

シルヴィア副長は優雅に足を組み、オレの事をじっと見つめた。

.....居心地が悪い。


「エレン」
薄い唇からオレの名が紡がれる。

「お話をしようか」

「は......?」


.....この人は何を言っているんだ.....?

話って.....え....?


「あの....何の話...ですか...?」


.....恐らく尋問だろう。それで合点がいく。

だがもう粗方の事は話し尽くした筈.....


「そうだね....まず、君の好物を教えてもらおうか」


え?


「好物....ですか....?食べ物の...?」

「そうだよ」

「あの....一体何故そんな事を....」

「....今度差し入れを持っていく時、好物の方が君も嬉しいだろう?」

「えっと....はあ...特に嫌いなものはないです....。」

「ふうん、じゃあ好きな本は?」

「....読みません」

「音楽は?」

「聞きません」

「特技は?」

「.....対人格闘技の成績は良かったです」

「兄弟は?」

「血は繋がっていませんが...一緒に育った女の子がいます。」

「あぁ、それがあの子か....」

シルヴィア副長は斜め上の方を見ながら何か思索に耽っている様だ。


......こうして見ると、この人は兵団という荒々しい空間の中で場違いな程綺麗だ。

これだけ容姿が整っていれば兵士になんかならなくても生きていけるだろう。

......何故ここに?....と、いうよりも実力は伴っているのか?

色々と無粋な勘繰りをしてしまう。


「......では、その子の好物も聞いておこうか」

「え.....?」

「調査兵団に来るんだろう?ミカサ....だったっけ」

「はい.....。」

「他にも....何でも良い。訓練兵の時に楽しかった事、悲しかった事....話してくれないかい」

シルヴィア副長は足を組み直していつもの微笑みを口元に宿す。

「私は君の事が知りたいんだ、エレン」


優しい声色でそう囁かれるともう何も言えなくなる。

.....オレがこの人を苦手とするのは、その得体の知れなさに原因がある様だ....。

.....緊迫したこの状況において異質なのだ。
整った容姿も、副団長という立場にありながらそれを感じさせない態度も.....

何故、この人はオレに対して優しくしてくれるんだ.....?

だって....防衛作戦が終わってからのみんなの態度は.....


(...........。)


それは、オレを疑り深くするには充分だった。

勿論良くしてくれた人もいる。エルヴィン団長、リヴァイ兵長を始めとする調査兵団の面々....

何故シルヴィア副長に対してのみここまで拒否反応が出るのかさっぱり分からない。


「私が怖いのかな」

黙り込むオレの顔を彼女が覗き込む。.....やはり瞳孔のみが黒く、オレの姿を捕える。

「そんな事は....」

思わず顔を背けたオレの頭をシルヴィア副長がぽんと軽く撫でた。

「ごめん....。無理に付き合わせてしまったね」

そう言いながら彼女は席を立った。銀髪の位置が先程より高くなる。

「夜はまだ冷え込むから温かくして眠りなさい」
シルヴィア副長はすたすたと入口の方へと向かっていく。

(あ、これ....一応上官だし扉開けてやるべきなのかな....)

「あぁ、そういうのはいらないよ」

(......心読まれた)

「また来るよ、エレン」

最後に一言そう言って、彼女は扉の奥へと消えていった。



シルヴィア副長がいなくなった室内は、しんという音が聞こえてくる程静まり返る.....。



(.....何だったんだ...?)

彼女が座っていた椅子を元の場所に戻そうと持ち上げると、はらりと銀色の糸が床に落ちた。

指でつまんで拾い上げると、副長の髪の毛だと分かる。

(....改めて見ると綺麗な色してるよな.....)

薄暗い室内できらきらと光るそれを捨ててしまうのも勿体なく感じ、そっと机の上に置いた。

(また来る、か......)

頭には、彼女に撫でられた時の感触が少し残っている。

......あれほど苦手だと思っていたのに....何故か嫌じゃなかった....。


少し、本当にほんの少しだけ、シルヴィア副長がまた部屋に訪れてくれるのを楽しみにしながら....オレは眠りについた。







「やあエレン」

「.....副長....また来るって確かに言ってましたけど....早過ぎます。昨日の今日じゃないですか」

「私は約束を守る女なんだ」

「.....書類の提出期限は」

「おや、そんな悪い事を君に吹き込んだのは誰だい」

「....吹き込むも何も...有名な事じゃないですか」

「だってあれつまらないじゃないか」

「つまるつまらないじゃないでしょう....」

「つべこべ言うなよ。帰るぞ」

「.....あんた何しに来たんですか」


入口での押し問答の後、またしても彼女に椅子を薦めて自分はベットに座る。

彼女の顔を縁取る髪の毛は、昨日拾い上げたものよりずっと美しかった。

......やはり異質だ。しかし....前に比べると苦手だとは感じなくなった気がする。


「.....君はどうも自分の事を話すのが得意では無い様だから、今日は私の...調査兵団の話をしようと思う」

「シルヴィア副長の....」

「そう。君も今度壁外調査に行くからね。参考になれば良いけれど....」


そうしてシルヴィア副長は話し始めた。初めての壁外調査、討伐した巨人の種類、失敗談、仲間の事.....

話を聞いてみると、彼女がびっくりする程年上だと言う事が分かった。(精々ペトラさんの少し上かと....)

だから最初副長の事を見た時、見た目がその肩書きに釣り合っていないと思ったのだが....成る程、その豊富な経験と知識は確かに頼りになる。

何度も何度も壁外へ出て、生還して....その度に知識と力の不足を補う為に必死に勉強して訓練して....


「....それが何になったかと言うと....何にもなっていないのかも知れないね.....」

副長は自分の黒いタイをいじりながら溜め息をつく。

「え......でも副長は討伐数も補佐数も文句無い数ですし....。何より多くの作戦で成功を収めているのでは.....」

「......壁外ではいつだって力不足だよ。沢山の仲間が死んだ。本当に雑作も無く死んでしまった....」

シルヴィア副長はゆっくりと席を立って近付いてくる。

そうして、膝をベットに掛けてオレと向き合う形をとった。距離の近さにどくんと心臓が跳ねる。


「エレン、君も沢山経験してきたと思うが...近しい者が死ぬ...自分の所為で死ぬ...というのは、人によっては随分とここをすり減らすものなんだ」

彼女の手がオレの左胸の上に触れた。ささくれてブレードを握る部分が固くなっている。兵士の掌だ。

「どんなに屈強な兵士でも、ここが駄目になれば全く使い物にならない。
......だから、大事な部下が駄目になる前に....どうにかするのも私の勤めだと思っている。」

真っ直ぐに瞳を見つめられた。彼女の薄い色の光彩に自分の姿が映っている。


「私はね....初めて君に会った時、随分とここにある精神が衰弱している様に見えた。」
副長の手がもう一度オレの左胸を撫でる。思わず体がびくりと震えた。

「....まあ当たり前だろうね....。色々な出来事が君の身に降り掛かった。
だからエルヴィンに話したところ、その事について一任されてね......。」

彼女はようやくオレから体を離し、席にゆっくりと腰を下ろした。

相変わらず淡く微笑む彼女を見ていると何だか呼吸が苦しい。


「でも精神というのは目には見えないし、私は専門の医者じゃない。
.....だから、君の事をまずは知ろうと思った。その為に話をしに来たんだ」
混乱させてしまって悪かったね、と副長は少し眉を下げた。

「えっと、オレこそ....ごめんなさい....。その....副長の事を....」

「大丈夫。上に立つ人間は悪く思われるものだからね。慣れてるよ。
.....さあ...気を取り直して、今度は君の事を聞かせてくれないかい。」

「オレの事....」

「そう。例えば以前審議所に来てたミカサと...あともう一人の金髪の女の子の話とか」

「....あいつは男です」

「えっ」

シルヴィア副長は嘘だろ.....と呟いて頭を抱えた。余程ショックだった様だ。

その様子に何だか笑ってしまう。



こうしてオレ達はそれからほぼ毎晩の様に数十分程度のなんでもない会話を楽しむ様になった。

.....オレも自然とシルヴィア副長に対して打ち解けて行き、苦手意識は薄れていった.....







「......聞いたよ....。今日の実験、大変だったね....。」

ハンジ分隊長計画による実験が行われた日の晩も、シルヴィアさんはオレの部屋に訪れた。

.....気分は穏やかでは無かった。考える事が多過ぎる.....。


「しかし....まさかティースプーンが巨人化のきっかけになるとはね...。意外と簡単なものなんだね」

彼女は穏やかに笑いながら足を組む。今日のタイは群青色だった。


「........シルヴィアさんは....オレの事、何とも思わないんですか....?」

「.....何ともとは?」

「怖く、ないんですか.....。今、オレが巨人化したら....貴方なんてひとひねりですよ....」

「ここは地下室だよ、その心配は無い」

「.....巨人化せずとも丸腰の貴方なら、オレの手で容易く危害を加える事ができます....」

「.....エレン?」

「......オレは貴方が分からないんです....。そもそも何でシルヴィアさんがオレの事を任されたんですか?
貴方はリヴァイ兵長の様に強い訳でもない.....オレが襲いかかって来たら....殺す事はできるんですか?」


しばらくオレ達は無言で見つめ合った。

シルヴィアさんは近くにあった机に肘を乗せて頭を支えている。場に似合わずリラックスした姿勢に少し苛ついた。


「......試してみるかい」

ようやく、彼女がぽつりと言葉を零した。

「.......え?」

「.....容易く危害を加えられるんだろう.....。試してみたらどうかな」


......予想外の返答に混乱した。

彼女は先程と変わらず寛いだ状態で腰掛けている。

隙だらけと見るのか...それとも全く隙が無いと見るのか....その選択が非常に難しかった。


「.......遠慮しておきます.....」

......やっとの思いで言葉を絞り出す。

「それは良かった」
シルヴィアさんはにこりと目を細め、ゆったりとした動作で立ち上がった。

そうして以前と同じ様にオレの頭を撫でる。

優し過ぎるその手付きに何故か泣きそうになった。


「エレン、怖がらなくても良い。.....誰も、悪くないんだ。」


一言そう言うと、彼女はそっと手を離し....ただ、無言で部屋をあとにしてしまった。



それから.....毎日の様にオレの部屋に来ていたシルヴィアさんは...ぱたりと部屋に訪れなくなってしまう.....。



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