銀色の水平線 | ナノ
◇ ハンジとナナバと散歩する 前編

「シルヴィア!!」


ハンジは叫ぶように名前を呼びながら、泥の中に転がされた彼女の肉体へと走った。

………傍では巨人の屍が蒸気を上げている。今しがた項を削がれたばかりなのだろう。


「……………!!」


何かを脇にいた兵士が訴えている。聞こえない。雨の音だけが大きく耳の裏に響いていた。

今まで全速で走って来たことが嘘のように、その傍らで呆然と立ち尽くす。白い。白い顔だ。


「……………、………!!」


肩を掴まれて、ようやく我に返る。これはマズい。一刻を争う事態であるとようやく気が付いた。

彼女の白く折り目正しいシャツは半分以上が赤い血液で染められている。まずは止血を。


寒さと恐怖から掌がかじかむ。釦を外そうとするが意地悪く指先が震えて上手く出来ない。仕方が無いのでシャツを刃物で切って患部を手当する。

現れた腹の皮膚も石灰のような白さだ。なんだ、てっきり真っ黒だと思ってたのに。


(止血……。ひとまずこれで……、でも呼吸が無い)

鼓動もよく分からない。気温の低さから自身の感覚が鈍っているのか…いや、


胸部を強く圧迫してやる。強く。気道を確保して、二回息を吹き込んだ。

まだだ…!!こんなのじゃ駄目だ。全然繋がらない。もう一度胸元に両手を沿える。


次々と身体を濡らしていく雨の所為で視界が最悪だった。どんどん体温が奪われる癖して眼球の裏側が火傷しそうに熱い。


11、12、13


歯を食いしばるとその熱が頭部全体を覆うように広がっていく。必死だった。


23、24、25


シルヴィアがいなくなってしまうことを想像しそうになっては、懸命に思考を逸らそうとする。


28、29、30


でも無理だ。残酷なことばかり考えてしまう。

それと交互に優しい言葉が思い出されて、とても辛い。


再び息を吹き込む。もう一度、あともう一度……!!



…………私は。シルヴィアが好きなんだと思う。

彼女と私は結構年が離れている。でも友達だった。

いつも真剣に話を聞いて私のことを理解しようとしてくれた。同じ場所に立ってちゃんと語りかけてくれるのが嬉しかった。


それも全部無くなると思うと怖くて仕方が無い。不安でどうしようもない。


「……………シルヴィア。」


雨が周りを覆っていく。壁外にいるというのに凄まじい閉塞感。

救命処置を続ける。

瞼の裏には温かい日光が差し込む彼女の部屋の景色が過って、それがとてつもなく懐かしくて、そのときに私は初めて自分が泣いているんだと気が付いた。







シルヴィアは眉間に皺を寄せつつ…ひとつ溜め息をした。


「……………。置いておきなさい。」


嬉々として一口分のスープが盛られた木の匙を彼女へと向けていたハンジは、それには聞く耳を持たずに更に近付けてくる。


「置いて、おきなさい。」


もう一度ゆっくりと言った。しかし二人の姿勢は変化が無い。


「あのねえハンジ。私は今あまりお腹が減っていないんだ。だからへぶう」


辛抱強く言葉を続けようとしたシルヴィアだったが、業を煮やしたハンジによって遂に口内に匙の侵入を許してしまう。

思わず彼女は咽せそうになった。


「よおしよし、ちゃんと食べたね。
ここ一週間ろくに食べてないんだから…ただでさえ貧相な胸がとても悲惨なことに「うるさいよ!実物見たことあるのか!!」

なんとか嚥下し終えたシルヴィアが怒鳴る。


「………あるよお。推定B…「推定するんじゃない!!」


傷口が痛むのか彼女は小さく呻いて眉をしかめた。しかしその顔色は耳まで赤くなっている。


(この年齢でここまで初心な反応ってどうなのかなあ)


ハンジはその様子を眺めながら木の匙を指先で弄んだ。

くるりと一回転させると、シルヴィアが「食器で遊ぶのはやめなさい」と息も絶え絶えに呟く。


「………。頼むからどこかに行ってくれ。これじゃ治るものも治らない」

「そんなことないよ、私の看病そして愛を受け取って。
はいふた口目だよ、あーん」

「だから置いておいてとへぐう」


…………シルヴィアの傷は快方に向かっていた。

未だにベッドから離れることは困難だったが、人と言葉を交わす程度なら問題無い。


そして…ほぼ毎日のように様子を見に来てくれるハンジ。

とても有り難いことなのだが、どうもその分かりにくい愛情表現の所為でシルヴィアの体力はごりごりと削られていた。


「第一ね、食事くらい自分でできるのよ。君だって仕事があるんだからこんなところで油売らないの。
モブリット君がきっと困ってるよ」

「大丈夫大丈夫。モブリットは困るのが仕事みたいなもんだから」

「うわあひどい上官だなあ」


ハンジはにこにことしながら、またスープを椀から匙に掬ってやった。

シルヴィアは「人の話聞いてるのかしらこの子」と目を細めて呟く。


「たまには私にもシルヴィアを可愛がらせてよ、こんな機会滅多に無いもん」

「………可愛がっていたのか!?嫌がらせとしか思えなかったよ!!」

「ひどい!いつだって私の気持ちは一方通行なんだね、片思いってつらい!!」

「つらいって言う割には物凄い楽しそうだなあ!!」


無理に食べさせてやろうとするハンジと、何とも気恥ずかしくてその行為を嫌がるシルヴィアの攻防が医務室では繰り広げられていた。


窓の外は気持ちよく晴れて青空が広がっている。

一週間ほど前まで降り続けていた陰気な雨が嘘のようであった。



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