銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイと夜

(ん……)

夜会帰り毎度のことながら…大分遅い時間に部屋に帰ったシルヴィアは、室内に人の気配を感じて暫し辺りの様子を伺う。


(ああ、)


そしてソファに沈むように着席しているリヴァイのことを発見した。様子を伺うと、どうも寝ているらしい。道理で平素彼が自分へと醸し出す不機嫌な気配を感じない訳である。

近付いて、その傍に屈んで眠っている彼のことを眺める。

それからその頬へと触れてみた。つくづくひどい隈の持ち主だと思う。少し身体のことが心配になる。

そうして…今は閉じられた瞳がいつも自分のことを苛々と睨みつける様を思い出し、シルヴィアは一人でクスクスと笑った。


「…………風邪ひくよ。起きなさい。」


もう少し、大人しく自分に触られるままになる彼を堪能したかったが…大切な兵士長に体調を崩されては困るので起こす為にそっと肩を叩いた。

だが、起きる気配は無い。

仕方がないので少し強くそこを揺するが、熟睡しているらしくどうにもならない。


ひとつ溜め息をして、シルヴィアはひとまず自分の寝室から毛布を一枚持ってきては彼にかけてやる。

…………シャワーを浴びている間にでも起きて勝手に帰るだろう。何の為に来たのかは謎だが、待たせてしまったのは悪かったなあとシルヴィアは考えた。


(猫みたいな子だこと。)


シルヴィアはまた一人可笑しくなって、声を殺して笑った。

こっちから触ろうとするとこの上なく嫌がる癖に、妙なタイミングでこちらに近付いてくる。


…………仮に彼の用事が仕事に関する事務的なものでも、草臥れ果てた深夜にリヴァイの顔を見ることが出来てシルヴィアは嬉しかった。

だから小さく「ありがとう、」と呟く。






しかし、シャワーを浴びて戻って来ても未だリヴァイは彼女のソファーの上で眉間に皺を寄せては眠り続けている。

シルヴィアは何だか呆れた気持ちになって軽く肩を竦めた。

そうしてどうしたものかと少し考えた後、おもむろにリヴァイの肩と腰の辺りに腕を回す。


「…………うぉっ、」


その身体を横抱きに持ち上げてみて、ひどい重量に彼女は思わず女らしからぬ声を上げる。


「くっ……、何だ君…!!そんなコンパクトなナリしてどんだけ密度が高い身体してるんだ……!!!」


低く唸りながら、シルヴィアはようやく自分のベッドの上へと彼を運ぶ。


「…………ほんとは君の部屋まで運んであげたかったんだけど…申し訳ないね、私も今夜は疲れてるからこれが限界だよ……。」

そこへと下ろしてやりながら、聞こえていないであろう謝罪を行う。軽く息が上がって、ハァと溜め息をしてしまった。


相変わらずリヴァイは眠っているようだった。

ベッドに横になった彼の傍へと腰掛けてその様子を見下ろす。小さな寝息が聞こえるので耳を傾けていると、不思議と穏やかな気持ちになった。


シルヴィアは彼の黒く固い髪へとおもむろに掌を近付け、その場所を撫でる。少しの間愛情深い仕草で行為を続けた後、彼女は小さな声で「いつもお疲れ様。」と囁いた。


「………ねえリヴァイ。頼むから今は起きないでおくれよ…。私は君に言いたいこと…でも言えないことがあるから。」


シルヴィアは彼の黒い髪をそっとかきあげて、顕になった白い額に唇を落とす。母親のような気持ちで。


「どこか……遠い世界でね。私は君の奥さんになってみたいんだ。」


そして押し殺した声で言葉を紡ぐ。……彼を絶対に起こさないように、細心の注意を払いながら。


「仕事から帰ってくる君のことをいつまででも待っていたいし、美味しい料理を作ってあげたい。……それに私は子供が大好きなんだ。欲しいなあって思う。母親になりたいなあ…って。」


シルヴィアは立ち上がる。そして横たわる彼の身体にゆっくりと毛布を重ねてやっては目を細め、今一度見下ろした。


「眠れない夜はそういう妄想をよくする。でも君はどうか知らないでいておくれよ…。」


恥ずかしいからさ。


最後に冗談めかしてそう言って、シルヴィアはいつものように不敵に笑った。


おやすみなさい。


夜の挨拶をして、彼女は最後にもう一度リヴァイの頭をそっと撫でてやった。







意識がぼんやりと形となった頃、まず自分がいる場所に違和感を覚えた。

寝具の感覚も温度も自分のものとは異なる。だがすぐに、どこにいるのかなんとなく理解する。

匂いだと思う。彼女のことを思考する際、一番に思い出すのはそれだ。

香水の流行に合わせてそれは少しずつ変化してきたが、リヴァイは如何にも洒落たその香りにそこまでの好感を抱いてはいなかった。


(だから贈ってやったろ…。お前が欲しいって言うから。)


………やはり、仕事の際はいつもと変わらず刺激を伴ったものを使い続けているようだが。

その中に、時折自分が彼女へと贈ったものの香りが混ざっていることに気が付く。それを悔しいことに嬉しいと思う。


冷たく滑らかな寝具の上に指を滑らせて、シルヴィアの気配を探した。

だがそれはいつまで経っても探り当てることが出来ない。そこでようやくもって意識がハッキリと自分の中に戻ってくる。

身体を起こし、頭を軽く左右に振ってから瞼を開けてノロノロと辺りを見回してみた。

気配が無い筈である。確かにここはシルヴィアの寝室でリヴァイが寝かされていたのは彼女のベッドの上だが、肝心の部屋の主の姿はどこにも見当たらない。


薄闇の中、リヴァイはただ一人だった。


そもそも何故自分はここにいるのだろうか、ということを思い出そうと努める。


(ああ、そうか。)


確か、そこそこ夜が更けた頃に奴の部屋に自分から訪れたのだ。

理由を自己追求するのは癪だった。そういう夜もある。それだけだ。


だが部屋は無人だった。彼女の分身とも相棒とも言える黒猫が優雅に室内を横切っていくだけで、人の気配はどこにも無い。


寝室の机上には、慌ただしく準備をして出かけたように化粧品がいくつか乱厚に転がされていた。

彼女のもうひとつの仕事の存在を思い出し、途端にリヴァイは空虚な気持ちになった。

シルヴィアの気持ちが揺るがず自分の傍にあると理解していても、不快なものは不快である。今夜は一体誰の隣で薄気味悪いほどの醇美を滴らせているのだろうか。


ソファに着席して、待つことにした。

疲労困憊して帰ってくる奴にひとつかふたつ憎まれ口を叩いておきたかった。そういう…自分との何気ないやり取りが一番なのだと思う。一番に、シルヴィアを労ってやる行為なのだと思う。



しかし今リヴァイはソファではなくベッドの上にいる。自ら移動した記憶は無いので、間違いなくシルヴィアが自分を運んだのだろう。だが運んだ人物が影も形も見当たらない。

段々と苛立った気持ちになり、リヴァイは小さな声で「クソ、」と呟く。呟いて立ち上がっては靴を引っ掛けて歩けそうな場所を慎重に選んで歩く。

彼女の寝室は書架に収まりきらなかった書籍が侵入して平積みにされている。ハンジの部屋とはまた違った趣の物量の多さに、リヴァイは毎度うんざりとした気持ちを抱いていた。


本の森のような寝室をどうにか抜け出して扉を開けると、目的の人物は予想外にも早速見つかった。

リヴァイは面食らってしばしそこに立ち尽くす。彼の騒々しい気配に苛立ったらしい黒猫がこちらに威嚇を向けて来た。自分が先ほど腰掛けていた筈のソファの上で横になっていた主人の胸の上に乗っかったままで。


「…………………。」


リヴァイは無言でその方へと近付き、なおも自分を睨みつけては毛を逆立てている猫をしっしと手の仕草で追い払う。

彼はへそを曲げたようにしてプイとその場所から去って行った。最後にもう一度、こちらに対して威嚇を試みるのを忘れずに。


…………そして。シルヴィアはソファの上で依然としてぐっすりと眠っている。

上背のある体型の癖に無理にソファに収まろうとした所為か、片脚が椅子の端からはみ出して爪先が中空でフラフラと揺れていた。


「おい、」


苛立っていた気持ちをそのままに呼びかける。だが目覚める気配はない。


(いや、お前の部屋なんだからてめえがベッド使えよ…)


そう思い、溜め息を吐く。

気遣ってもらったのだろうか。……そうに違いが無い。いつでも他人を優先する人間だ。


(…………一緒に寝る選択肢は無かったのか。)


シルヴィアの剽軽なキャラクターからして、如何にもやりそうなことだ。だがそれをしてくれない。シルヴィアは自分に触れる時に非常に慎重だ。何かをまだ恐れているのか、愛しい人間を大事にし過ぎる。

それを感覚する度に、自分が如何に彼女にとって大切な人間なのかを思い知って…それが堪らなく幸福だと思う反面、もっと激しく求めて欲しいと望んでしまう。


シルヴィアは寝息を立てない。死んだように静かに眠る人間だということを、リヴァイは経験上知っていた。

だが見下ろしていると微かに胸が上下するのが分かる。それに合わせて、骨のような白色の喉も僅かに動いていた。

暫くその様子を眺めてから、傍に膝をついて顔と顔を近付ける。化粧を落としたシルヴィアの皮膚の色は目に痛いほど白かった。………いつも彼女は亜人デミ独特の白色を少しでも抑える為に、地色よりも少し深い色の化粧を施している。

掌を伸ばして、頬に触れてから唇に指先を滑らした。やはりそこも、いつもとは異なって淡い色だった。濃い色の紅を引かないといよいよ背景の壁に同化して見えなくなるんだよ、と冗談めかして喋っていたことをなんとなく思い出す。

次に露わになっていた喉を静かになぞり、胸元へと掌を置く。左胸を覆った自分の皮膚へと、確かにその心臓の鼓動がジワリと伝わって来た。

そこに力を入れてみる。柔らかな寝着に包まれていたシルヴィアの乳房は、自分の掌に沿って素直に形を変化させた。

シルヴィアの唇から微かに息が漏れた。少しの間続けると、眉をひそめては「ん…」と小さな声を上げる。


なんだかそれが愉快で、暫くそこに触れては彼女の冷たい皮膚の温度を楽しんだ。

不思議と、気持ちは落ち着いていた。

いつも…我ながらこういう時に余裕が無さすぎるのだと思う。我慢が利かなくなる自分のことをシルヴィアは宥めるように抱いては髪に触れ、耳元に唇を寄せながら少し低い声で囁くのだ。


一度、触れるだけの口付けをする。頬の辺りに彼女の髪が触ってこそばゆかった。


顔を離すと、うっすらと瞳を開けていたシルヴィアと目が合う。暫時そのままでいたが、やがて彼女は薄く笑って「なんだっけ…王子様がキスをすると眠ってた美女が林檎を吐き出して蛙になる話…あったよね?」と呟いた。


「…………色々混ざりすぎだ、」


緩慢な動作で起き上がったシルヴィアの頭を軽く小突きながら言う。

彼女は「そうかい、」と気の抜けた返事をして弱く微笑んだ。


「……。おはよう。」

「まだ夜だ。」

「そう……。じゃあこんばんは。お茶でも飲む?」

「いやいらねえよ。てめえは遅かったんだろ、寝てろ。」


自分のベッドでな。と付け加える。


そうするとシルヴィアは「そうだねえ……」と呟いては起き上がって毛料の多い自分の銀色の髪をかきあげた。

彼女が立ち上がるので、リヴァイも体を起こした。頭ひとつ分、目線の高さが異なっていく。


シルヴィアはリヴァイのことをじっと見下ろしてから、「でも君は私に用事があったんでしょ、」と寝起き独特の少し掠れた声で言った。

「とくにねえよ…。」と呟けば、「そう?」と相槌だけ返される。見つめ合ったまま、少しの時間が流れた。


おもむろに、彼女がリヴァイの掌を握る。そこを自分の口元へと持って行き、自然な動作で唇を落とされた。

シルヴィアは緩やかな曲線を唇に描いたまま、「一緒に寝ても良い?」と尋ねてくる。

途端に嫌な気持ちになった。嫌では無いが。嫌では無い、むしろ真逆だ。だがそれを認めるのが癪なのだ。なんだってこんな奴に、といつも思ってしまう。


「…………クソ野郎。」

「なに、急に。私はクソでも野郎でも無いよ。」

「うるせえよ、クソをクソと言って何が悪い。」


握られてた手を振り払ってから、ゆっくりとその胸元に頭を預けて溜め息を吐いた。シルヴィアの弱い香りが体内へとしめやかに入り込んでくる。

そっとした動作で、身体を抱かれて髪を撫でられた。長い指をそこに絡められる。その度に身体の奥が締め付けられるほどに苦い感覚を覚えた。

そのままでシルヴィアはまた耳元へと唇を近付け、短く愛情深い言葉をひとつ、ふたつ紡いできた。



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