銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイの誕生日 後編

「やっ」


………………時刻は日付を超えて数時間ほど経った時であった。

この時間だから泊まっていけと向こうには言われたが、リヴァイはとにかく内地から帰りたくて仕様がなかった。

一刻も早く清潔な自分の部屋のベッドの上で眠りに落ちたかったのだ。


そしてどうにか帰路に着き、調査兵団の公舎へと至る道に続く跳ね橋を渡りきったところである。

非常に馴染み深い仕事仲間がそこに立っては、実に軽快な様子で片手を上げてリヴァイへと挨拶をして来たのだ。


彼は訳が分からない、と思いそれを無視して歩き出そうとした。勿論のこと彼女は焦ったように「こらあ!!寒い思いして待ってたのにひどいじゃないかっ!!!」と言ってリヴァイの後を追いかけて来た。


「俺は寒い思いしてねえから」

「ひどい、なんて冷たい人間なんだ!まるで氷のようだ………っ」

「第一何だよ、待ってたって。俺はてめえと待ち合わせした覚えはねえぞ。」

「そうだねえ……。私も特に声をかけた記憶は無いよ。」


彼は訝しげな表情で隣を歩む背の高い女性のことを見上げた。シルヴィアも彼のことを眺めていた。毎度のことながら、姉のような母のような親しみ深い視線をこちらに向けてくる。


「でも私は君に会いたかったら待っていたんだ。だから会えて嬉しいんだよ、それだけのことさ。」


シルヴィアはそう言いながら、細長い深緑の包みを彼へと手渡した。

リヴァイが受け取るのを確認すると、彼女は「おめでとう、誕生日。」と呟いた。


「誕生日中には間に合わなかったけどね。」


シルヴィアは少し肩をすくめて笑ってから、「帰ろうか、リヴァイ。」と声をかけて自然な手付きで部下の手を取った。

リヴァイはと言うと……唖然としたままで為すがままになっていた。握られていない掌中にはシルヴィアから自分へと贈られたものが確かな重量を持って収まっている。

言いたいことは山ほどあった。だが…ひとまずは、と思い口を開く。


「…………安心しろ。間に合っている。」


リヴァイはチラ、と……シルヴィアが時刻確認の為に使用していたであろう巨大な時計塔を見上げた。

「あれは一時間進んでいる。」

そう呟きながら、自身の懐中から時計を取り出してシルヴィアへと見せてやる。時刻は、日付を越えるギリギリのところだった。

シルヴィアはそれを覗き込んでは微かに瞳を見開く。そうして小さな声で何かを呟いた。


「良い加減例のまともに動きやしねえ骨董品を捨てて新しい時計を買え。毎度時間にだらしなくされるとこっちも堪ったもんじゃ、「リヴァイ!!!」


リヴァイが滔々と垂れていた小言はそこで途切れる。

シルヴィアが大きな声で彼の名前を呼んだからだ。それだけでは無い。どう言うわけか彼女はしっかりとリヴァイの身体を両腕で抱きしめていた。

当然、彼はひどく狼狽して言葉を失う。風が吹いて、粉雪と一緒にシルヴィアの毛量の多い銀髪が中空に舞い上がる。そこからは流行のオードトワレの匂いが花のように漂ってきた。

今日、夜会で嫌という程に嗅いだ匂いである。堪らなくなり、やめろと突き放すのも忘れて自分が想う女の身体を同じように強く抱きしめようとしてしまう。

だからそれは適わず、シルヴィアはリヴァイを抱いていた腕を解いてしまった。……代わりに、彼の双肩へと自分の掌を置いて向き合っては笑う。ひどく嬉しそうだった。


「ミラクルだなあ………。全く君といると素敵なことが後から後から起こるものだから…楽しいね、毎日が。」


彼女は実に感慨深そうにそう呟いた。

その後ろで、一時間進んだ巨大な時計が遠過ぎも近過ぎもしない鐘の声を響かせていた。不思議と澄んだ音色である。乾いた雪が街灯の火を反射しながら中空を漂う合間を縫って、それは鈍く低く響く。


「お誕生日おめでとう。この一年、沢山の幸せが君のものになりますように…と。」


シルヴィアは最後を少し冗談めかすようにして肩をすくめた。……照れ臭かったのかもしれない。

彼女はそれを悟られたことに勘付いたのか、少し恥ずかしそうにして笑った。


「どう?またひとつお爺さんに近付いた気分は。」

「最高だな。てめえの顔を拝まずに済めばもっと最高だった。」

「おや、酷いことばっか言うと嫌いになっちゃうぞぅ?」

「構わねえよ。俺はお前が嫌いだから。」

「ふーん……。」


シルヴィアはリヴァイの軽口へと楽しそうに応えながら、彼の身体からそっと掌を離していった。

二人は無言のうちに並んで歩き出す。距離は近かった。肩口が時折触れ合う。それがリヴァイにはひどくもどかしかった。


「…………これだけの為に、てめえはここにいたのか。」

「そうだよ。むしろこれだからこそ・・・・・・・寒さにも耐えていられたんだ。」

「こんな時間にフラフラ出歩くなよ。お前は悪目立ちが過ぎるんだから。」

「父親みたいなことを言ってくれるねえ。」


シルヴィアはそう言って朗らかに笑った。

時計の鐘の音はもう止んでいた。だが、丹椿が沈み匂っているような音の余韻が周囲に色濃く漂う。


「お前が……子供ガキ過ぎるだけだろうが。クソみてえなババアの癖に年甲斐もありはしねえ。」

「私をバカにするんなら子供ガキ年増ババアかのどっちかにしなさいな。」

「じゃババアだな、この腐れ年増。」

「ひっどいな……。なんだ、嫌なことでもあったのか。」


隣にいるのがしんどくなって、リヴァイは早足でシルヴィアのことを抜かし先へと進んだ。彼女はそれを追いかけるようにして少しだけ走る。

再び並ぶが、彼女はリヴァイとの間に幾分かの距離を置いた。気遣いをしてくれたのだろう。


「お前は……俺の誕生日なんざ忘れていると思っていたよ。」

「忘れる訳ないじゃないか。私はこの日がとても好きだよ。」


シルヴィアはリヴァイが自分が贈ったものを胸元へと収めていく様子を眺め、穏やかに応えた。


「何故だ。」

「何故だと思う?」

「俺はてめえの生徒じゃねえ……。回りくどいことをするな。」

「少しは考えてくれても良いじゃないか。…ま、でも……アレだよね。この日は、私が君に何かをしてあげる大義名分を得られる日じゃない。」


シルヴィアは先ほどリヴァイと繋いでいた掌をコートのポケットへと仕舞い、前を眺めながら彼の質問へと応じる。話す度に呼吸が白く色付いた。


「君は義理堅いから……無償で私に何かさせてくれないだろう?」


独り言のような彼女の呟きに、リヴァイは今一度「分からねえな。」と零した。

「………分からねえよ。何が目的なんだ…お前。」


シルヴィアは困ったように笑う。それから「そんなに…難しいことじゃないよ。」と呟く。


「でもやっぱり難しいかもね…。一番難しいことかもしれない。」


そう続けたシルヴィアの髪と肌の色は、背景の雪色に混ざりながら溶けて消えていきそうだった。

硬く結晶した雪は強く光っている。リヴァイは今更ながら寒さが身体に応えてくる気がして、片腕で自分の身体を抱きこむようにした。


「まあ…でも楽しかったよ。君が何を喜んでくれるのか悩むのは。正解では無いかもしれないけれど。好きな人のことを考えて費やす時間ほど幸福なものもあるまい…。」


だから、ありがとう。


シルヴィアはまた少し照れ臭さそうにしながら礼を述べてくる。

やはりリヴァイには彼女と言う人間が理解出来なかった。ババアと度々揶揄されるだけあり、年相応の知識と分別は備えているに違いない。だがこう言う時のシルヴィアはいつも十代の少女のようだ。

頼りがなく、覚束ない。それでいて純粋過ぎる。リヴァイがシルヴィアの嫌いなところは主にここだ。それに触れるとひどい気持ちになる。


「恋人は……いるのか。」



その度に、ああまたこれか。と思う。


「いないよ。興味ないんだ、そう言うの。」



彼女の色情的な醜聞は新聞と噂でよくよく知っている。

リヴァイもそれを信じてファーランと共に随分と彼女を軽蔑した。


「何故」



だが付き合いが少し長くなれば分かる。

シルヴィアの愛情とは親の情に似た親密である。それは新聞や世論が描き出す彼女の姿とは乖離があった。

またシルヴィアの情の行為は全て仕事のひとつだ。それは乾いて割り切られて恋愛が介在することは全く無い。その証拠として、兵団内で彼女の浮いた話はひとつも聞かなかった。ハンジ曰く、『シルヴィアは大事に想う人とは寝ない』らしい。

彼女は実のところ誰も愛していない。これからも愛するつもりは無いらしい。それは頑なだった。だからリヴァイは隣にいながらいつも愛情を求めることを躊躇した。拒絶されるのが厭われたからだ。



「「だって、いなくなってしまったら寂しいじゃないか。」」




「………河は。寒そうだな、凍っている。魚たちも一緒に凍ってしまっているのかな。」


ふと橋に差し掛かった時、シルヴィアは欄干に手をかけて下を覗き込みながら呟いた。

橋には霜柱が隙間無くぶら下がり、六方石のように強く光っている。その傍に生えている青木の葉は黒ずみ、寒さの為に傷んで葉はだらりと力なく下を向いていた。


「君の故郷…あの太陽が届かない場所にも河はあるのかな。」

「そうだな、あると言えばある。流れが滞ってドブみてえなひどい臭いだがな。」

「知ってるよ。私はそこに頭から落ちたことがある。」

「そりゃ災難だったな。いつだよ、知っていたら笑いに行ってやったのに。」

「………………………。心配せずとも、君はその場に居合わせていたさ。覚えていない?」

「記憶にねえな。そんな面白いことを俺が忘れるはずがねえ、夢でも見たんじゃないのか。」

「まあ……。覚えていないのも無理は無い。何しろ君の年はまだ少年と言えるくらいだったから。」


リヴァイは本気でシルヴィアが何の話をしているのか分からなかった。

だが何かが頭の隅に引っかかる。思い出さなくてはいけない気がした。だがどうしてもそれが出来ない。


「そもそも…。私と君との初対面は君らが我々にとっ捕まったあの時では無いんだよ。…………変な話だ、私は神様を信じているクチでは無いが…そう言ったものがいるとするなら、奴らは確実に楽しんでいるよね。」


シルヴィアは空いている手を伸ばし、リヴァイの固い黒髪へ触れてからゆっくりとした手付きでそこを撫でる。

彼は「やめろ」と短く言って上司の白い掌を軽く手で払った。シルヴィアは逆らわずにその通りにする。

しかしリヴァイは今しがた振り払った掌を引いて、どす黒い河から彼女を遠ざけた。………当然のように面食らった反応をされる。その方は見ずに、「落ちるぞ」とだけ低い声で伝えた。


「君って私のこと嫌ってる割に優しくしてくれるよねえ……。」


しみじみと彼女が一言漏らすので、ゆっくりと顔を上げ真っ白で幽霊じみた女の顔を視界に入れる。

文句は無く、美しい人間なのだと思う。だが全く好みでは無かった。むしろ嫌いな部類の顔だ。自分が彼女に魅かれる明確な理由が分からないこともまた、彼に苛立ちを募らせる原因のひとつである。

そしてシルヴィアは心から今の発言をしたらしい。その顔はただただキョトリとしていて、それ以上の感情を推し量ることは出来なかった。


「シルヴィア……」


リヴァイは呟く。シルヴィアは少し笑って「なに?」と首を傾げた。


「シルヴィア、今の台詞を本気で言ってるなら……俺はお前を許さねえぞ…。」


シルヴィアの表情が訝しげなものに変わる。そして何かを応えようとするのか唇を開くので、リヴァイは「良いから聞け、」とそれをにべもなく遮った。


「てめえはいつもそうだ。一人でベラベラと講釈を垂れて勝手に納得して勝手に自己解決する。人の…俺の話を聞こうともしない。」

「そんなことは、「黙ってろと言っている。」


リヴァイはシルヴィアの襟元を几帳面なまでにしっかりと留めているタイを掴んだ。

引き寄せると彼女は少し苦しそうにするが…言われたように、言葉を発することはしなかった。


「良いか、今だけ…今だけ・・・俺の話を聞けよ……!」


シルヴィアが息を呑む。

妙なところで勘が鈍いこの女も、ようやく今の事態を察したらしい。リヴァイに引き寄せられた今の姿勢から逃れる為かその身体に緊張が走るが、彼はシルヴィアの肩を掴んでそれをさせなかった。

聞こえなかった・・・・・・・と言い訳の余地を与えるつもりはない。

銀色の髪の間で見え隠れしている真っ白い迷路のような耳殻に、一度唇を押し付けるようにする。そうして彼は一言呟いた。


……………暫時してから、シルヴィアを解放した。


間近で交わった彼女の瞳は、雪と星を綯い交ぜにしたような滲んだ銀色だった。

彼女は一言も言葉を発さなかった。しかし溜め息、自分の唇を覆うようにしたその指先は震えていた。

それを見て……リヴァイは、自分の言葉と心組が確かに聞き届けられたのだと理解した。


リヴァイは無言でシルヴィアへと手を差し出した。

…………どういう訳か、二人は柄にもその年齢にも似合わずよく手を繋いだ。

多くはシルヴィアがリヴァイをどこかに引っ張って行く為の手段として利用されていたが、最近は彼からそれを持ちかける頻度も増えてきた。

いつもは何の抵抗もなく、むしろ嬉々としてその行為を受け入れるシルヴィアだった。だが今日はただただそこを紙のように蒼白な顔をして見下ろすだけである。


焦れたリヴァイは強引に彼女の掌を掴む。ぞっとするほどに冷たい指先だった。


「行くぞ。」


そう言って歩くと、シルヴィアは素直に彼の後に続いた。

だが無言である。振り続ける雪が、周囲の音を全く持って閉ざしてしまったように。

空にハッカ色の星が光った。たったひとつ、けれど烈しく。



* * *



「何?君は肉桂が苦手だったのかぁ。」


ある天気の良い昼下がり、シルヴィアが素っ頓狂な声を上げた。それから少し間を置いて何だか可笑しそうな笑みを零す。

リヴァイは何だ、と言う風に知り合って間もない女上司のことを睨め付けた。


「いや失礼。それならそうと言っておくれよ。作ったものにひとつも手に付けてくれないものだから……不安に思っていたんだよ。」


良かった良かった、とシルヴィアは楽しそうに言って別の焼き菓子が乗った皿をリヴァイの前にコトリと置く。


「それはバターと砂糖しか使ってないの。今度から君用に、肉桂を避けたものを作っておくね。」


シルヴィアは目を伏せて穏やかに発言した。それから空だったリヴァイのカップへと紅茶を注ぎ足しては元の位置……リヴァイとテーブルを挟んで向かい合った……へと腰を下ろした。


「ねえ……リヴァイ君。巨人と人間の違いは何だと思う?」


リヴァイはまた始まった、とうんざりとした気持ちになる。

どうにもこの女は教師ごっこが好きらしい。その長々とした講釈を聞くことに、彼は良い加減うんざりとしていた。


「さあな、人間を食わないか食っちまうかの違いじゃねえのか。」

「人間だって人間を食べてしまうことはあるさ。」

「大きさか?」

「そうだね、確かに違う。だがそれは些細なことだ。」

「生殖器が無く性交で繁殖をしない。」

「そこいらは未知だね。もしかしたら我々が確認していない箇所に生殖器が備わっているのかもしれない。」

「頸を削がなくては死なない。傷はたちどころに再生し欠損箇所は補われてしまう。」

「うん、良く勉強しているね。だがもっともっと単純なことだよ。」


シルヴィアは人差し指を立てて自分の唇をなぞった。それからその指先をピッとリヴァイの方…同じように唇の辺りへと向ける。


「言葉を操らないことさ。」


そう言ってから、シルヴィアは目を細めて笑う。

リヴァイは至極つまらない気分になりながら、薦められた焼き菓子をひとつ口に入れた。しっとりとした生地は口内ですぐにほろほろと解けていく。


「もし巨人が言葉を操ってくれたら…こんな風に双方多大な犠牲を払わなくても、話し合いで解決出来ることがあるに違いない。」

「………どうだかな。」

「そうだね、言葉が介在することによってより事態がややこしくなる可能性はある。でも意思の疎通が取れず思惑がいき違えば良くない結果を生むのは明白じゃないか。」

「だから俺はお前の生徒じゃねえと言っている。てめえの講義・・はもううんざりだ。」

「それは申し訳ない……。話が長いのは昔からの癖さ、お喋りが好きなのも女子の性と言うものだろう。」

「女子…………!?」


戦慄が走り抜けたリヴァイの表情を眺めて、彼女は非常に不満げな顔をするが…やがて気を取り直し、ひとつ溜め息を吐いた。


「まあ……なんだ。」


シルヴィアは紅茶を飲んだ。そして「薄いな」と一言零す。


「どんなに信頼し合っている人間でも言葉にしなくちゃ伝わらないことがほとんどだ。臆さず、気持ちを表現してごらん。」


お手本を見せてあげようか。


そう言って彼女は少し身体を乗り出してリヴァイへと近付く。

彼は嫌な予感を覚えて「いや…遠慮しておく。」と断った。


「まあそう言わずに。」


そう言ってシルヴィアは唇にそっと掌を添え、少し抑えた声で囁いた。



「私たちのところに来てくれて、ありがとう。」



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