銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイとお見合いの話

「お久しぶりですピクシス司令。お元気そうで何よりです」

「....そう言うお主はいつ見ても変わらず美しいな。若さの秘訣を教えてもらいたいものじゃよ」

「ふふ、実際私は若いのですよ」

「.....いや、確かワシの覚えではお主の年は「本題に入りましょうか、司令」

「.......はい。」

紅茶の入ったカップを優雅に持ち上げながらシルヴィアは言い放つ。

その顔には柔和な微笑みを浮かべているが、目は全く笑っていなかった。彼女に年齢の話は禁句である。


「......大体、貴方に呼び出される時はいつもろくでもない用事だ....。今度は何です。酒の相手をお探しなら他を当たって下さい。」

「それも是非お願いしたいが....今回は別件じゃ。ま、....悪い話ではないと思うのだが....」

「嘘です」

「ワシ、全く信用されておらんのう....」

ピクシスはしょんぼりと項垂れながら机の上に置かれていた薄い冊子をシルヴィアに渡してくる。

丁寧なつくりの装飾を施されたそれを見てシルヴィアの嫌な予感は最高潮に達した。

「先方のご子息が君を痛く気に入ってのう。君も良い年じゃ。どうかと「御機嫌よう、ピクシス司令」

シルヴィアは既に入口の前まで移動していた。

「待て待て待て。.....お主、ほんっとーに逃げ足だけは一級品じゃな」

「.....普通に悪い話じゃないですか。そんな面倒くさい事私がすると思いますか」

シルヴィアは非常に嫌そうな顔をピクシスに向けた。

「会ってみるだけでいいんじゃよ。というか写真くらい見ていったらどうじゃ」

「どんなに美丈夫でもどんなに醜男でも丁重にお断りいたします。.....誰ですかこれ」

「この前君と二人で内地に行っただろう。その時に会った伯爵の息子じゃよ」

「.......伯爵.....ああ。あそこの晩餐会で頂いたオニオンスープは見事でした。自分なりに再現できないかと試みたのですがやはり難しいですね。プロの料理人というものは流石です」

「そうか...この男はタマネギのスープ以下の印象じゃったのか....。」

「そんなうっすい顔してるのが悪いんです。」

「......一目会って気に入らなかったら断ってくれても構わん。君の仕事に社交も含まれておるじゃろう....?」

「それは任務ですか....?」

「.......そういう事じゃ。」

シルヴィアは腕を組んで少し考える仕草をしたあと、ゆっくりとピクシスの手から冊子を受け取った。

「.....いいでしょう。そのお話、謹んでお受けいたします....」

「シルヴィア副長なら首を縦に降ってくれると思ったわい....ワシはお主のそういう所を気に入っておるんじゃ」

「.....私は貴方なんて大嫌いです」

「おやおや。傷付くのう」

フラれてしまったわい、と肩をすくめるピクシスを見ながらシルヴィアは深い溜め息を吐いた。







「見合いで一週間休暇を取るだぁ?」

リヴァイが手にしていたカップがびきりと音を立ててひび割れた。

「そうだよ。相手の屋敷に招かれていてね。ちょっとした小旅行だ」

うんざりとした表情でシルヴィアが自分のカップに角砂糖を放り込む。

「.....それ如きで一週間?この忙しい時に休暇とはな...お前はそんなに偉いのか?あぁ?」

「少なくとも君よりは偉い。あと休みじゃないよ、一応仕事だ」

「断れ」

「うん?」

「今すぐ断れ」

「だから仕事なんだってば...何だ、嫌に突っかかるね」

「お前、あれ程結婚だの交際だのを嫌がってたじゃねえか」

「ふふん、焼きもちかい」

その瞬間、リヴァイの手の中のカップが砕け散った。

「.......冗談だよ」

「....とにかくそんなの行く必要ねえだろ。仕事も溜まってるんだ。断れ。」

「ピクシス司令直々の命令だからね....。そうもいかない。仕事は片付けていくよ....」

やれやれと呟きながらシルヴィアは、カップを割ってしまったリヴァイの二杯目の紅茶を淹れる為に給湯室へと消えていった。



「エルヴィン、いいのか。」

リヴァイが机で仕事をしていたエルヴィンに声をかける。彼は涼しげに「ん?」と微笑んだ。

「まあ焦る事は無いと思うが」

目線は書類に落とされたままである。彼の余裕な態度はリヴァイを少し苛つかせた。

「あんな性悪でも副団長だぞ。結婚で退団でもされたら仕事に差し障るだろうが」

「......多分それは無いだろう....リヴァイは気が早いな」

「....何故そう言い切れる」

エルヴィンはようやく書類から顔を上げ、淡く笑いながら頬杖をついた。

「あのシルヴィアだぞ?貴族如きに手綱がかけれるとは当然思えないだけさ....。」

君も大船に乗ったつもりで待っていると良い、と再び彼は仕事を再開する。

「........。」
リヴァイは何とも言えない気持ちで黙り込むしかなかった。


「それに彼女、見合いは今まで何回もしているんだよ」
しばらくして、エルヴィンが補足する様に口を開いた。

「.......は」

「毎度同じ様な成り行きでね。でも結果はご覧の通り、彼女はまだ独身だ。」

「.....初耳だぞ」

「わざわざ言う様な事でもないからな」

「......言えよ」

「それはシルヴィアに言ってくれ」

「......何でお前は知ってるんだ」

「団長だからね」

「俺だって兵長だ」

「だからそれはシルヴィアに言ってくれよ」


リヴァイは釈然としないで足を組み直した。


(.....気に入らねえ.....)


シルヴィアの見合いも、余裕そうなエルヴィンも、その他諸々の事が気に入らなかった。


.....それでも彼女の見合いの日はやってくる.....。

リヴァイはただ、石を飲み込んだ様な重たい気持ちで毎日を過ごすしか無かった。







本日はシルヴィアが内地に旅立つ日である。

リヴァイは落ち着かない気分を静める様に仕事に没頭していた。

見送りに出るのも嫌だった。.....もう、あんな奴どこにでも嫁に行けば良い。



.....コツン



執務室の窓ガラスに何か当たると思ってそちらを見ると、外からシルヴィアが軽くガラスを叩いていた。


「.........!?」

出発時間は差し迫っているのにこの女は一体何してるんだ....!?

リヴァイはしばらく唖然としていたが、シルヴィアが窓を開ける様に仕草で訴えてくるので仕方なくその通りにしてやった。


「や、リヴァイ」

にこやかに微笑む彼女はいつもとは見違える程綺麗だった。

恐らく化粧も香水も、そして格好もいつもとは違うのだろう。
外套を身につけていても、いかに彼女が着飾っているかが分かる。


「何の用だ。俺は忙しい」

自分にわざわざ会いに来てくれたのが嬉しい癖に、いつもこういう態度を取ってしまう。
そんな自分にほとほと嫌気が差した。


「しばらくお別れだからね。挨拶をしようと思って」

シルヴィアはあまり気にした様子を見せず、窓の桟に手をかけながら柔らかく微笑んだ。

銀色の髪が緩やかに結われて、白い花飾りが付いている様が美しい。
.....しかし、リヴァイはいつもの彼女の方が好きだった。

「....一週間くらい何でもねえだろ」

「そうかな、私は寂しいよ」

「.........。」

「私が居ない間、調査兵団を頼むよ....。エルヴィンを支えてあげてやってくれ」

「....お前ごときが居なくなった位で傾く調査兵団じゃねえよ」

「それは心強い」

頬杖をつくシルヴィアの仕草はとても優雅で、黙っていれば貴族の婦人と言われても信じてしまうだろう。

「お前、時間はいいのか...?」

「ん、もう行くよ」

それじゃあね、と彼女は窓から離れようとするが、リヴァイは思わずその手を強く握って引き止めてしまった。

「..........?」

どうしたの、という風にシルヴィアが見つめて来る。

.....正直、とっさの行動だった為用はない。だが....

「......帰って来いよ」

ぽつり、とそう呟く。

「......それはどうかな、次に会うときは伯爵夫人かも「帰って来いよ」

柄にも無く、切羽詰まった声が出てしまう。

しばらく見つめ合ったあと、シルヴィアは嬉しそうに笑った。

「......もちろん。私が帰ってくる場所はここにしか無い。」


「....そうか...なら良い....。行って来い。」

「行って来るよ。」

にやりといつもの不適な笑みを浮かべて彼女は立ち去っていく。

群青色のドレスの裾がふわりと翻った。



「.......あいつ....ドレス似合ねえな.....」
その後ろ姿を見つめながら呟いた。着るならもっとシンプルなものの方が似合う。

「.....早く帰って来いよ....クソババア....」

窓をゆっくりと閉めながら溜め息と共に言葉を吐き出す。

......しかし、不思議と心は晴れやかなのだった。









一週間後....


(ふう.....)

すっかり夜も更けた時刻に、シルヴィアは馬車から調査兵団の宿舎の前に降り立った。

一週間に及ぶプライバシーの無い生活で体はくたくただった。
心にも無いお世辞を言い過ぎた所為か呼吸をするのも面倒くさい。


(疲れた....)


全く、湯浴みにも召使いがつくなんて聞いていなかった....。
早く一人で宿舎の古ぼけた馴染みの浴槽に身を沈めたい。

その思いだけを胸にシルヴィアは足を早めた。

一週間.....短い様で長かった.....。段々と見えて来る、よく見知った簡素な木の扉に胸が少し熱くなってくる。


「遅い」


ドアの取手に手をかけようとした瞬間、ひどく不機嫌そうな声が背後で聞こえた。


「リヴァイ.....」


.....この声は間違えなく彼のものだ。驚いて声がした方へ振り返る。

そこには予想通り、腕を組んでこちらを睨みつける小柄な男性の姿があった。


「君.....こんな遅くに何を....」
シルヴィアは思わずリヴァイの元へ駆け寄る。

街灯に弱々しく照らされた彼の体は石の様に動かない。シルヴィアは不思議に思ってそれをまじまじと見つめる。


リヴァイもまたしばらくシルヴィアの事を見つめていたが、やがて彼女の右頬にそっと触れながら口を開いた。

「.......これはどうした。何があった」

「......こんな暗いのに、よく気付くね」

シルヴィアは溜め息を吐きながら彼の左手の動きを甘受した。

「....いいから答えろ」

「.....殴られた。断った時にだ。」

「.......貴族のぼんくらにか」

「いや、その母親だ」

「.....避けれねえのか、それ位」

「避けても相手の恨みを買うだけだよ。一発甘んじて受けた方が面倒事にならずに済む」

「.....損な仕事だな」

「まったくその通り」

「シルヴィア」

「ん......」


リヴァイが自分の名を呼んでくれる時、不思議と胸の内は穏やかになる。

シルヴィアは目を閉じて静かに微笑んだ。


「......よく帰って来た」

「あぁ、ただいま兵長」


「......俺の名は兵長じゃねえ」

「そうだね、リヴァイ。」

シルヴィアは自分に触れる彼の左手をそっと自分のもので覆い、ほうと息を吐いた。

目を開いてリヴァイを見つめると、彼が優しく、そして心配そうな目をしてくれているのが分かる。

自分の身を案じてくれているのが嬉しくて、そのまま彼の手を握った。


「リヴァイ、時間はあるかな」

「.....ない事はない」

「ややこしいな、あると正直に言いなさい」

「.........ある。」

「少し歩こう。」

「.........。」

「行こうか.....」


シルヴィアは美しく結い上がっていた髪をばさりと解いた。

少し乱れた髪の一本一本に街灯の光が反射している。

.......本当に、彼女は髪の色だけは完璧だ。


「シルヴィア」

「ん?」

「.....お前は髪を下ろした方が似合う」

「.....そうかな」

「服もドレスは似合わねえ。制服の方がまだマシだ」

「それは....複雑だな」

「だから....ここにいろよ」

「.....元よりどこにも行くつもりはないよ」

「.........。」


シルヴィアはリヴァイの手を引いてそっと歩き出した。

普段はあれだけ賑やかな調査兵団の公舎も夜の闇の中でしんと静まり返り、まるで知らない場所に来てしまったかの様な違和感を覚える。


「リヴァイ」

のんびりと歩いているとシルヴィアがぽつりと呟いた。

「......何だ」

「わざわざ待っていてくれてありがとう」

「......月を見ていただけだ」

「君にもそんなロマンチックな感性があったとはね.....でも今日は曇りだよ」

「......うるせえ」

「でも本当に嬉しかったんだよ、ありがとう。」

「.............。」

リヴァイは返事の変わりに左手を強く握り返した。

シルヴィアもそれに応える様に、優しく目を細める。



二人はそれからしばらく無言で歩き続けた。

お互いの手の先にある温もりの幸せを願い、出来る事ならばこれからも傍で、共に戦う事ができる様にと....


オレンジ色の街灯の光が、そんな二人の影を細長く地面に伸ばして、弱々しく点滅していた。



姫りんご様のリクエストより。
お見合い話が出て慌てる兵長で書かせて頂きました。



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