銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイの誕生日 中編

「…………君たち。また取材に行ってくれる気はあるかね。」


デスクが、書類から目を上げずに記者3人へと話しかけた。

少しの間を置いた後、男のうち一人が「……取材。なんの取材ですか。」と尋ねる。


「私が君たちに折り入って頼むことと言ったらひとつだ。」

上司の抑揚のない声色で紡がれた答えを聞いて、また別の一人が「でも…それは先週終わったばかりですよ。」と呟く。


「そりゃ仕方ないだろう。君たちが成果を上げないおかげで向こうも中々にお冠なんだよ。」

「………申し訳ないです。ただ、予想以上にあの女狐が尻尾を出さない。」

「それを捕まえて巣穴から引きずり出すのが君たちの仕事だろう。」

「それはそうですが…。もう、彼女の身も蓋もない中傷の記事を捏造するのにも限界があります。調査兵団の評判を落とすならそろそろ別の方法を考えた方が得策かと…。」

「まあ聞け。向こう・・・様から耳寄りの情報だよ。……エルミハ区郊外で最近まで彼女が出入りしていた機関があったようだ。」

「なに……エルミハ区だって。憲兵の管轄内に、あの女が?」

「そうだ。内地深くで奴が出入りしていた場所が確実になれば、彼奴と貴族との臭い関係も明らかになるだろう。………詳細はここに記しておいたよ。」

「分かりました……!早速行ってみます。」

「ああ、」


デスクが最後の言葉を言い終わる前に、男たち三人は書類を受け取っては慌ただしい足音を立てて出て行く。

それを見送りながら、彼らの上司は「……何か、見つかると良いな。」と呟いた。


そしていよいよ太陽が赤色に染まり、呪われたような色を辺り一面に吐き出し始めた頃にーーーーーーー

その女は、死神のように細長く黒々とした影を引きずってデスクの男性一人が残された事務室へと現れた。


「…………。これで、良かったのか。」


影の色と対照的に鉛白のように味気ない白色の皮膚をした彼女へと、男は草臥れ果てた声をかける。

シルヴィアは微笑みながら、「ええ勿論。素晴らしい、完璧です。」と穏やかな声で応えて数回拍手をする。乾いた音が、まばらに室内に転がった。


「お約束ですからね。………安心して下さい、私の個人的なものですよ。」


そう言って彼女は紐で縛られたそれなりの量の紙幣を、腰掛けた彼が作業……先ほどから全く手に付かないようだが……していた机の上へと無造作に置いた。


「奥様や娘さんに、綺麗なお洋服でも買って差し上げたら。」


シルヴィアはにこやかに提案し、「貴方の働きは無駄にしませんよ。」と言っては、来た時と同じように音もなくそこから立ち去って行った。


「悪魔め……」


残された男は、ポツリとした声でそう呟く。頭を抱え込んで、今一度。繰り返して。







シルヴィアは……手にしていた、濃緑の包装紙に覆われた包みのことを見つめていた。

そして、王都へと続く跳ね橋の端に立ってはそれとその先に聳える煌びやかな都市を眺める。


(……22時か。)


時計を確認し、本日何度目かになる溜め息を吐いた。


(リヴァイが今、どの貴族の夜会に呼ばれているかは…大体の想像はつく。)


大勢が集まっているに違いない。自分一人が紛れ込んでもどうと言うことは無いだろう。


(でも……。私は、君と二人の時におめでとうって言いたい……。)


シルヴィアは今一度溜め息をして、跳ね橋の桟へと掌を這わす。ゾッとするような冷たさが皮膚へと齎された。

いつの間にか辺りには雪がちらつき始めている。彼女は自分の溜め息が白色をしていたことに、今初めて気が付いた。


(まったく。)


会える保証も無いっていうのに。

シルヴィアは笑い、「私は結構バカな女だよね。」と呟いた。







脚がしんどくなって来たので、シルヴィアは少し移動してベンチへと腰を下ろした。

年か、と呟いては苦笑する。………良い年なのに、こんなにも拗らせているんだから痛々しくて始末に負えんなあと胸の内で続けて。


(なんだろうね……。)


シルヴィア自身、自分の生き方に特に疑問は感じていなかった。

仕方なかったし、そうする以外の手段はなかったし、あったとしても自分はこうなっていたのだと思う。

やりたいこと、求められること、出来ること。その全てが合致する人間など稀だ。


(でも……私を救ってくれた、君の言葉には背いて生きているね。)


リヴァイは覚えていないようだが、シルヴィアは娘とも言える時代に彼に出会ったことがあった。

いつか彼に再開できると少女は夢見ていた。いや、実現させてみせよう、その為になんだってしてやろうと意気込んですらいた。

だが現実を生き、才能を開花させ汚れていく中でいつか、ああ。こんな自分に彼を会わせることは出来んなあ……と気が付いてしまった。

だが運命というのはひどく悪戯なもので……白日の下、二人は再び相見えることになる。

幸か不幸か、彼はシルヴィアに気が付いていなかった。

……当たり前である。彼女にとっては人生を変えるような出会いではあったが、リヴァイにとっては取るにも足らない些細なことなのだ。むしろ覚えている方が不自然である。


(私は、情けなくもそれに安心したよ。)


これで、あの時……君に一途で純粋な恋心を向けていた少女は死んだことに出来る。


(大丈夫、私はうまくやっていける。……私は女優の才能があるんだ。)


少し鬱陶しいお節介な上司を演じて……彼らがこの兵団により良く馴染むようにしてやれば、それで良い。それ以上の深入りは無用だ。


(それに、面白いじゃないか。私みたいな女が年下の男に恋慕しているんだぞ…、実に可笑しい。)

(これが笑わずにいられるだろうか。)


確かに、可笑しかったのだ。自分が彼の一挙一動で浮かれたり落ち込んだりするのを、どこかシルヴィアは楽しんでいた。

だから、今もひどく面白かった。自分の間抜けで滑稽な姿を客観的に考え…シルヴィアは、また笑みを漏らす。


そして……これで。そろそろ、終わりにしようと思っていた。


(彼に本気で幻滅される前に、距離を置かなくては。)

(それに………。………、)


シルヴィアは真っ白な息を今一度濃紺の空気の中に吐き出した。

掌中の包みを持ち上げて…眺める。………こんな無難なものしか贈ってやれない、自分を情けなく思いまがら。


「ああ、リヴァイ。」


シルヴィアは掌中のそこへとそっと口付けをする。彼の美しい黒い髪が、鋭く澄んだ瞳の色が思い出されて堪らない気持ちになった。


「私は……君を愛しているよ。」


言葉に出せば、自分の気持ちがゾッとするほどに骨身に染みる。

ははは、と彼女は一人で空虚な笑い声を上げた。







雪はいよいよ強くなり、シルヴィアは肩へと積もったそれを時々ぱっぱと掌で払ってやらなくてはいけなかった。


(…………………。)


時刻は23時半になりきらない頃である。リヴァイは、この橋をまだ通らない。

…………王都から公舎へと帰るには、この橋は渡らなくてはいけない。期待通りに夜会が早くお開きになることは無かったようだ。


(当たり前か。)


リヴァイほどの身分ならば、夜会の際は宿泊する為の部屋も用意されるのが常である。

恐らく……向こうでも盛大に誕生日を祝われているに違いない。彼には熱心なファンが沢山いるから。

今日中に帰ってくる保証など、最初から全く無かったのだ。


(私は本当に……呆れた馬鹿だ。)


何故こんなに意地になってしまっているかは分からなかった。

生来自分という女はひどい面倒臭がりな筈である。だが、不思議なことに全く苦にはならないのだ。


「恋する乙女は強し……、」


なんて……、とシルヴィアは自分のつまらない冗談に笑いながら、王都に聳える巨大な時計塔の針を確認する。

今日中に会うのはもう無理かな、と思った。

………だが、やはり顔を合わせて生まれてきてくれたことを祝いたかった。


(日付を越えたら、帰ろう。……これで風邪を引いたら色んな人間に笑われてしまうから…。)


シルヴィアは背もたれへと腕を乗せては上機嫌なままで微笑む。

すっかりと辺りの冷気に温度を奪われ、そこは痛いほどに冷たくなっていた。まるで氷に腰掛けているような気分になる。


そうやって時間を過ごしていると、後ろから肩をそっと叩かれた。


シルヴィアはゆっくりと振り向いては背後の人物を見上げる。

しばらく彼を見つめた後、彼女は実に気怠げな表情で「君は誰だ。」と見ず知らずの男性へと質問を投げかけた。


「誰とは言わんが」


男は低い声でそれに応える。……辺りは、妙な緊張感に包まれていた。



「お前が、先ほど可愛がってくれたブン屋と繋がりがある人間だよ。」


シルヴィアは、自分の肩に置かれたままになっていた彼の掌を、粉雪と同様にぱっぱと振り払った。

そうして立ち上がる。


「そうかい。」


彼女は首を傾げて、何の感慨も抱かずにそう応えた。

風の中でひらりと舞う粉雪はただでさえ綿雲に閉じられた月の光を二重に遮って、その日の夜の暗さをひと際深いものにしていた。


どこからか風に運ばれてきた枯葉を、シルヴィアは目で追った。その銀色の視線を追いかけて、男もまたそれが冷たい地面へと吸い込まれていくのを眺める。

その瞬間彼女が弾かれたように動いた。地面に転がされていた空の酒瓶を蹴り上げて掌中に収め、それで男の顳を躊躇なく殴り付ける。

彼はそれを間一髪腕で防ぐ。酒瓶は再び硬く冷たい地面へと落下し、音を立てて粉々になった。

シルヴィアは顎の辺りへと打ち付けられる肉厚な掌底を姿勢を低くして避け、男の脚を払っては更に腹に膝を打ち込んで彼を地面へと沈める。


「まさか………っ、君が、君たちがこんなに早く私に会いに来てくれるなんてね…!!」


まさかね、とシルヴィアはやや上がった息を整えつつ、男へと馬乗りになった。抵抗させない為に、彼女は更に男の襟首を掴んで顔面へと拳を抉るように打ち込んだ。

…………ようやく静かに話が出来る・・・・・・・・状態になったのを把握したのか、シルヴィアは相対する彼の首元へと自然な動作でナイフを滑らせた。

毛量の多い彼女の銀髪が、凍てついた空気に煽られバサバサと揺れては流行の香水の匂いを辺りに漂わせる。

彼は状況の展開の早さに(流石だな、)と考える。喘ぎつつも出来るだけ冷静にと心がけながら、そっとその掌を移動させた。

だが、シルヴィアがささやかながらも強い語調で「妙な真似をするな。」と彼の動きを遮る。「首を切られるのは苦しいぞ…」と続けたシルヴィアの瞳はゆっくりと細くなり、著しく優しい形となった。


「そんなことが出来る筈ない。お前だって一応公に仕える兵士だ。人を殺して今の地位を保てると思ってるのか。」

「出来るさ……。何故なら今夜、私は君と会わなかった・・・・・・・・・・からね。」

街灯のオレンジとも黄色ともつかない色の灯りが、冬の街をぼんやりと静かに浮かび上がらせる。

シルヴィアの彫りの深い顔には、それに伴って色濃い陰が落ち込んだ。


「私だってプロフェッショナルだよ、信用できる仕事仲間がいるのさ。」

色素の薄いシルヴィアの頭髪は雪と同様に光の色に染まり、彼を見下ろす瞳の中には灯りを反射する粉雪がきらりと映り込んだ。

…………実に生き生きとした表情をしている。男はシルヴィアと話すのは今日が初めてだったが、勿論彼女のことをとても良く知っていた。

(……………………。)

だがこうして目の当たりにして見ると、遠くで眺めていた時の数十倍は美しいとすら思える。


「やめろ、俺を殺せばお前たちが知りたいことは何も分からなくなる。」

「知りたいことは知っているし、教えてもらうことは何も無いね……。それに例のブン屋たちだが、ご期待に添えず生きているよ。」


そこで初めて男は表情を変化させた。

狼狽が見て取れる彼の顔を眺めていたシルヴィアは笑顔のままで、「ちょっと脅かしたら全部喋ってくれたよ。ダメじゃ無いか、秘密を伴う取引は相手を選んでやらなくちゃ。」とお馴染みの教師にような口調で告げる。


「…………残念だけれど、君らが調査兵団うちらの仕業に見せかけて起こそうとしたいくつかのテロ計画は把握させてもらったよ。ブン屋の鏡だ、彼らは。確かに自分たちの記事でトップにそれを扱えたら同業者たちを出し抜けるし…きっと、そこそこのお小遣いももらえる手筈だったんだろう?」

私たちの評判を落とすニュースを有る事無い事交えて垂れ流し続ける代わりにね、と言ってシルヴィアはやはり躊躇なく男の左耳を切り落とした。身動きの取れない彼は苦痛に耐え切れずにくぐもった悲鳴を上げる。


「テロ計画はあれで全てか?…他にもまだあるようだが……まあ中央憲兵も一枚岩ではあるまい。どうせ君もあのブン屋たち以上のことは知らんだろう。」

シルヴィアはナイフをポイ、と脇へと放り投げるようにして手離した。

そして「安心しなさい。」と囁いては言う。まるで今から愛を伴った睦言を呟くような、甘い響きが籠もった声である。


「私は人を痛めつける趣味は無い。」


彼女は右手で拳銃の形を作り、男の額へと指を向けて、バァン、とふざけたように言ってみせる。


「でも……君はそうじゃ無いよね。あの三人を使って私に何をしようとしてたのか、知っているよ。」


男が反応を示す前に、シルヴィアは左手方の掌中に収まっていた銃で彼の眉間を撃ち抜いた。

マズルに取り付けられたサプレッサーから、間抜けた音が微かに上がる。


「…………………………。」


シルヴィアは立ち上がり、事切れた男性を見下ろした。

そして、先ほど彼の耳を切り落としたナイフを回収し、汚れてしまった刀身を確かめてはその刃に映る自分の顔を眺める。……。相変わらず、白い顔である。そして唇だけが妙に赤く、呪われたような色をしていた。


「………私は下品な人間が一番嫌いなんだ。」


そう言って、彼女は跳ね橋の下を流れる黒い川へとナイフを投げ捨てる。

遥か彼方下方へと消えていくそれを眺める銀色の虹彩は、無機物的で金属のような冷たい光を宿していた。

王都にそびえる高い時計台から、低く畝るような鐘の音が鳴る。今日も一日が終わったらしい。時計の針は、新しい日付を刻み始めた。



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