◇ リヴァイの誕生日 前編
「調査兵団のシルヴィア副団長ですね?」
街中で声をかけられ、シルヴィアは応えてその方を見た。
…………数人の壮年から若年にかけた男性がシルヴィアへと愛想の良い笑顔を向けている。
彼女は「違うよ?」と同じように愛想良く返しては彼らに背中を向けてまたさっさと歩き出した。
驚いたようにして、彼らはシルヴィアの後を追いかけてはその肩を掴んだ。
「ちょっとちょっと!シルヴィア副団長、冗談キツいですって」
「そうですよ、間違える方が難しい。貴方有名人なんですから。」
「加えて亜人独特の皮膚と髪の色だ。綺麗ですよね、珍しくて。」
「バカかてめえ!!褒めたつもりか、それは差別用語だよ!」
「いや……。良いよ、もうそんなに悪意を持って使われることも少なくなった言葉だしね……」
シルヴィアは苦笑しては足を止め、彼ら三人に向き合った。
彼女は背が高い女性だった。姿勢を正して向き合うと、男たちとほとんど身長の差はなく……変に自分が巨大になったように感じる。
(おかしいな、リヴァイは彼らよりもっと小さいのに…こんな感覚に陥ったことはない。)
シルヴィアは目を細めて、口を開けば自分への悪態しか吐かない愛しい兵士長のことを、何とは無しに脳裏で思い描いた。
「で……君たちは一体なんだね。ナンパかな、美男三人に言い寄られるなんて緊張してしまうよ。」
ハハハ、とシルヴィアは笑いながら話を続ける。
彼ら三人もまた愛想笑いを浮かべて彼女の全くつまらないジョークに苦しそうに応対していた。
「………私どもはこういう者でして…」
三人の中で恐らく一番年長らしい男が名刺を差し出してくる。
それを受け取り、彼女は「新聞記者か。」と印字された文字を眺めながら呟いた。
…………胸に暗澹たる気持ちが立ち込める。自分がこの地位に就いたばかり、若年の頃は恥ずかしげもなくむず痒くなるような賛辞を記事に記してくれた彼らは、今は同じ掌で筆で、自分という女を、人間を辱め貶めることを綴る。
毎朝…新聞記事に自分を中傷する内容が載らない日の方が珍しい。それを見つけては……シルヴィアは、人の心の移ろいを感じてなんとも言えない気持ちになっていた。それにも慣れたが。
「見ての通り今はオフなのさ。もしも私に聞きたいことがあるならば、公舎の門を叩いて正規の手続きを踏んで頂きたい。」
シルヴィアはニッコリと笑って、もらった名刺を胸ポケットへとしまった。
彼女の言葉に、一番若い男が「そんなぁ、」と声を上げる。
「貴方に話を聴く為に、今朝からここで待ってたんですよ。」
「そりゃ君らの都合だろう。さっきも言ったように、キチンとアポイントメントを取ってくれればそんな苦労もせずに済むのに。」
「それは勿論取ろうとしましたよ。でも貴方たちが僕たちの要求に応えてくれたことは一度も無い。」
「ふうん、都合がつかなかったんだろうねえ。申し訳ない。まあ良いよ、君らの質問を聞くだけ聞きましょう。」
「……………先日の、憲兵の施設内で起きた殺傷事件についてお聞かせ頂けますか。」
「事件はまだ調査中だよ、マスコミに話せることは何も無い。」
肩をすくめて再びそこから歩き出そうとするシルヴィアの前へと、男性のうち一人が回り込み「まあもう少し質問させて下さい。」と穏やかな口調で言葉を続ける。
「事件の犯人は王政に歯向かうテロリストだと伺いましたが、本当ですか?」
「絶大な指示を集めている王を打倒しようとする勢力が再び現われたという認識で良いのでしょうか。」
「シルヴィア副団長の故郷と何か関わりがあるんじゃ無いですか?」
「貴方がた亜人が起こした事件を我々は思い出さざるを得ないんですよ、」
「……………例の事件の原因は全て排除されたんだよ、もう終わった話を蒸し返すんじゃない…。それに私は私の故郷と縁を切って君たちと生きることを選んだ身なんだ。今更彼らの思惑など知るところでは無い。」
シルヴィアは声を低くして答えた。
新聞記者三人は興奮していた。そしてシルヴィアはひどく冷めた心持ちでいた。
石畳の上を滑る風が凍えるほどに寒く感じ、彼女はコートの襟を今一度正して冷気から身を守る。
「シルヴィア副団長は社交界で非常に顔が利くのは有名な話です」
「要人を幾人か唆した結果今回の事件が起こったのでは」
「貴方が現場にいたと話す者もいる」
「……………。どうにかして私を悪者にしたいらしいなあ、君ら。仮にも一般紙であるならば、もっと品位のある取材を心がけてほしいものだね。」
シルヴィアは苦笑しながら、三人を宥めるようにして掌を上下に動かした。
「全く、大昔の出来事まで持ち出して。第一ね、絶大な支持を王様が集めているからと言って…一体幾つの政治結社、宗教団体に脱法カルテルがあると思っているんだ。決してこの国が一枚岩じゃ無いことは、ブン屋である君らが一番よく知っていることだろう。」
ねえ、と言いながら…シルヴィアは一番歳若い男性の擦り切れた胸ポケットから万年筆を取り出して眺める。そして「エクストレイルか。良いものを使っている。」と呟いて緩慢な動作で元の場所へと戻した。
「今は件の巨人の少年やトロスト区での事件もあって我が国は混乱している。そんな状況下では様々な情報が錯綜するものさ……。」
惑わされちゃいけないよ。
シルヴィアはそう零しては今一度微笑む。
冷たい風がひときわ強く通りを吹き荒び、三人の男と彼女の間を通り抜けて行った。
*
「何、リヴァイはいないのか……。」
ペトラとエルドからの返答を聞き、彼女は暫時考え込んだ後にそう零す。
黄昏時の古城内には、黄金と橙を混ぜたような色濃い光が窓から斜めに差し込んでいる。兵団の副の長は、その方を暫時眺めてはひとつ溜め息をした。
「さっきまでいたんですけれど。ちょうど入れ違いでしたね。」
ペトラは苦笑しながらシルヴィアへと声をかけた。「折角ですから、お茶だけでも飲んでいきませんか。」と持ちかけてみると、彼女は「ありがとう。」と微笑んで応える。
「誘ってもらえて嬉しいよ。でもこれからちょっと用事があってね……」
「用事?副長いつも暇そうなのに、今日に限って?」
「エルド君って飛んだナチュラル失礼野郎だよねえ…。……で、リヴァイだよ。彼はエレン君の面倒を見なくちゃいけない身じゃ無いか。一体どこに行っちゃったんだ。」
エルドの胸の辺りを軽く小突きながら、彼女はペトラへと尋ねた。
ペトラはなんだか笑ってしまいながら、「兵長なら貴族の夜会に招待されているそうですよ。今日中に戻るのは少し難しいかもしれません。」と彼女の質問に答える。
「そうかい、彼も人気者だから大変だねえ。分かったよ、お邪魔して申し訳ない。」
目当ての人物の不在を改めて確認したシルヴィアは、少し残念そうにしながらも軽く謝罪した。
「いえいえ、いつでも遊びに来てくださいよ。どうせ副長暇でしょ。」
「君は良い奴なのか嫌な奴なのかハッキリしろ!」
笑顔で話すエルドの頭を叩いてシルヴィアは苛ついた声を上げた。
ペトラは笑みを少々苦いものにして、「何かご用事でしたら言付かりますよ。」と気を利かせてみる。
シルヴィアは弱く息を吐き、「いや…良いよ。明日でも構わない用事だもの。」と呟いた。ありがとう、とペトラの気遣いに対する礼を付け加えて。
「遠慮しなくても大丈夫ですよ。わざわざここまでいらっしゃるのも大変だったでしょうし…。」
「いや、散歩のついでだから。こちらこそ気を使わせて悪いね。」
「散歩て。あんた散歩してるヒマ無いでしょ、仕事終わったんですか?」
「うるさいな、なんで君はそういうつまらないことばっかり言うんだ。」
畜生、皆して私を虐めて!とシルヴィアは顔を覆ってさめざめと涙を流す。
しかしそれが嘘泣きであると承知しているリヴァイ班の二人は特に気にはせず、むしろ心弱く笑みを零した。
やがて、ペトラが「ああ…」と何かに気が付いたように声を上げる。
「もしかして副長、兵長のお誕生日だからいらしたんですか?」
「……………………。」
シルヴィアは口を閉ざしては腕を組んだ。言葉は無かったが、どうやらペトラの質問を肯定しているようである。
「そうですよね?それならやっぱりここで一緒に待ちませんか。もしかしたら夜会が早くにお開きになるかもしれないし……兵長もきっと喜びますから。」
「いや、さっきも言ったけれどちょっと用事があってね……」
「またそんな見栄張っちゃって。用事あってもすっぽかすのが副長でしょ?」
「君は私に対してどれだけ良い加減なイメージを持ってるんだ!!あんまり失礼な口を利くと減給するぞ!!!!」
シルヴィアは半ば怒鳴ってエルドの胸ぐらを掴んではその額に頭突きを繰り出す。まともにそれを食らった彼は低く呻いてひどく痛そうにした。
「どこぞの金髪軟派野郎と違ってペトラ君は気遣いが出来て大変よろしいねえ……。いちおくちょう階級特進。」
シルヴィアはピッと人差し指を立てながらペトラへと悪戯っぽい表情で向き直る。彼女はやや呆れながら、「いちおくちょうとか最近は子供でも言いませんよ…」と呟いた。
「折角誘ってもらえて嬉しいけれど……まあ仕方ないね。直接おめでとうを言えないのは残念だけれど、良かったら伝えておいて。たっぷりと愛を込めてね。」
「………そういうこと言うから兵長は副長のこと嫌がるんじゃ無いですか。」
「知ってるとも、わざとさ。私は好きな人に嫌がらせするのが三度の飯より好きでねえ。」
「趣味悪いですねえ。なんです、構って欲しいんですか。」
「私を傷付けることばっか言うから君には構って欲しく無い。」
シルヴィアは今しがた自分が頭突いたエルドの額をピシャリと叩いては憮然として言った。
「今度改めてまた遊びに来るよ、エレン君の様子も少し気になるしね……。君らも最近寒くなってきたから、身体には気を付けて。」
シルヴィアは今一度ニッコリと笑っては上機嫌な様子で古城を立ち去った。
………しかし部屋には未だ彼女が身に受けていた香水の香りが弱く漂っていた。
ペトラもエルドもあまり嗅ぎ慣れない匂いである。花と樹皮、それと少しの柑橘が交ざり合ったような。
「………貴族趣味ね。」
ペトラは溜め息を吐いた。
彼女は、自分たちの副団長がそう言った趣味をそこまで好んでいないことを知っていた。
ペトラはシルヴィアを好きだった。他の兵士よりも多く彼女と接していると思う。けれどそれを知ったのは本当に最近のことだった。
(何故……いつも、誤解を招くような言動ばかりするのかしら。)
夕方に差し掛かった鈍い光が、彼女の隣にいたエルドの髪色を淡く照らしている。
彼は少し考え込んだ後に、「あの人も律儀だな、」と呟いた。
「確か、去年の十二月もそうじゃなかったか。実に手の込んだサプライズとも嫌がらせともつかないお祝いを準備してやっては兵長を捕まえようと躍起になっていた。」
「ええ、あれからしばらくは兵長の機嫌が悪くて大変だったわ……」
「兵長だけじゃないな、あの人は多分うちの兵士全員の誕生日を覚えているよ。」
「そうね……。私も今年は…彼女におめでとうと言われて初めて自分が誕生日だったことに気が付いたくらいだし。」
「良い人だよな、なんで兵長は副長のことが嫌いなんだろう。」
「それに気が付かないから、エルドはいつも副長に怒られてるのよ。」
「は?どういう意味だよ。」
本当に理由が分からないらしく、キョトリとした表情をしてしまったエルドの顔を眺めて、ペトラは笑いをこらえきれずに吹き出した。
一通り笑ってから…彼女は、「エルド、」と先輩兵士にして友人の名前を呼ぶ。
「貴方もうひとつ分かってないことがあるわ。」
「………。なんだよ、人を鈍感クソ野郎みたいに。」
「そこまで言ってないわよ。……ただ、別に兵長は副長を嫌ってるわけじゃないと思うの。」
ペトラは目を細めて、古びた木の桟に縁取られて穏やかに晴れている空を眺める。
「ただ、なんだか後に引けなくなっちゃっているのかもね。」
そう言って、彼女はまた可笑しそうな笑みを漏らした。
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