銀色の水平線 | ナノ
◇ エレンと初めましてと少し前 中編

「……………お茶は出ないのか、ここは。」


昼過ぎの鈍い光が斜めに射しこむ室内で、シルヴィアは独特の白色の髪を掻き上げながらソファへと寄りかかる。

ナイルは机を挟んで向かいに座る偉そうな同期のことを苛々としながら睨みつけた。


「うちは喫茶店じゃねえ。贅沢言うな。」

「そぉかい。冗談だよ……ナイル君がさっきからずっとピリピリしてるから。ほら笑いたまえ、君の所為で空気が重くて窒息しそうだ。」

「そう言う場なんだよ、お前こそ空気読め。」

「バカモン、空気は読むんじゃなくて吸って吐くもんだ。」


なあー、リヴァイ。とシルヴィアは自分が腰掛けるソファの後ろに控えていた兵士長へと呼びかける。……彼はそんな軽口を叩く上司へと「いや、今のはてめえが悪い」と素気無い反応を返した。


「お前の話の長さにはいつも辟易とする。さっさと本題に入りやがれ、俺だって暇じゃないんだ。」

「なんだい、君がついて来たいって駄々こねるから連れて来たのに。」

「こねてねえよ。」

「まあ…悪かったな、年を取るとついつい話が冗長になってしまう。そうだナイル、話は逸れるがこの前一緒に行こうと言っていた定食屋、あそこはダメだ。聞くところによると猫でダシを取ってい「だからとっとと本題に入りやがれって言ってんだろうが!!!!!!!!」


リヴァイが渾身の力で繰り出した拳をシルヴィアは鬱陶しそうに避けつつ「うわあナイル、君の所為で怒られたじゃないかぁ」と不満げに零す。「俺の所為じゃねえよ」とナイルは額に青筋を浮かべながらそれに応対した。


「さて……そうだな。良い男を二人も独り占めするのも気が引ける。本題に入ろう……。」


シルヴィアは脚を組み直し、「なんの話か分かっているよね?」と言っては柔和に笑った。

ナイルは「ああ、」と言っては目を細める。………この人間は本当に昔から変わらないな、と思いながら。とても同世代とは思えないほどに、相も変わらず瑞々しい雰囲気を纏っている。


「最近は専ら彼の噂話ばっかりだ……。エレン・イェーガー君。リヴァイはトロスト区で顔を合わせたんだよね?」


シルヴィアに話を振られるので、リヴァイは「一瞬だがな」と淡白な返答をする。


「私も鉄格子越しにチラッと見たがね………綺麗な顔をしていたよ、まるで女の子みたいだった。」


喉の奥でクックと笑っては調査兵たちの副の長は楽しそうにした。


「だが、まだ昏睡状態だ。お陰で審議まで根回しが出来て助かる。」


シルヴィアは再び親友の顔を眺めては艶やかに笑った。

ナイルはただ黙ってその様を眺めるが……言い知れぬ不安をその微笑から感じ取る。この女が仕事にやり甲斐を見出す時は大抵面倒なことになるのだ。


(何故なら、こいつの敵は巨人ではない。調査兵であるにも関わらず。)


「………君らも大変だったよね。よりによって私たちがいない時に巨人侵攻の憂き目に合うとは。被害は甚大も甚大…、シガンシナの襲撃より規模は小さいが、それよりも確実に多くの人間が死んだよ。」

「本当に……てめえは相変わらずの減らず口だよ。噺家にでも転職した方が良いんじゃねえのか。」

「おお、それ良いなあ。巨人を一匹残らず駆逐できた暁には座をひとつ儲けよう。是非聞きに来てくれたまえよ、君は親友だ。特別に一割ほど負けてやる。」


あはは、とシルヴィアは軽快に笑う。


「そう目くじらを立てないでおくれ…。君に嫌味を言いに来たわけじゃ無い。が……それによって民の巨人に対する憎悪が最高潮なことも事実だ。分かるかい、今やこの壁内はまるで栗の実を煎る為に熱が充分に回った鉄鍋のような状態さ。」


ちょっとした刺激で爆発だ、バーン。とシルヴィアは如何にも気の抜けた様子で掌をヒラヒラと動かす。

ナイルは溜め息を吐いては「分かっている、」とうんざりとした心持ちで呟き、言葉を続けた。


「で…………そこに巨人を倒す巨人の少年…エレン・イェーガーの登場か。奴は神なのか悪魔なのか。」

「そんなことはどうでも良い。兎にも角にもうちの大将は彼にご執心だよ、私たちはその為に頑張るだけさ。」


ねえリヴァイ、とシルヴィアは再度後ろに控える兵士長へと話しかけた。

リヴァイは無言でひとつ頷いてはそれに応える。


「どうでも良い?無責任なことを言うな。お前らの…お前のそう言う身勝手さは褒められたもんじゃないぞ。」

「だってまだあの子…エレン君が起きないんだもの。私は巨人化した彼を見たわけでも無し…その力だって又聞きだ。分からないことをあぁだこうだと考えても仕様が無いでしょう。」


ナイルとシルヴィアは自然と額を寄せ合っては話す声を低くしていった。

………背後に立つリヴァイは二人の会話が聞き取り辛くなるので、やや焦れた気持ちになる。

よく聞き取る為に身を乗り出そうとするが、ナイルの背後に控える憲兵の存在も手伝ってそれは思い留まった。


「これからどんどん分からないことが増えていくぞぉ。いよいよだ、なんだかおっもしろくなってきたとは思わないか?」

「…………俺は昔からお前とはツボにはまる場所が違うんだよ、てめえの趣味は高尚すぎて俺には理解できねえ。」

「おぅ、褒めてくれてありがとう。」

「褒めてねえよ。」

「で……だ。君はどう思う?本当に…心からエレン君の腹をチキンのように掻っ捌いてしまいたいと思っているのか?臓物モツはただの屍肉モツだ。そこに黄金など詰まっていやしないよ。」

「それは金の卵を産む鶏の話だろ。奴が齎すのが黄金とは限らん。」

「だが確実に何かを産み出す。このチャンスを逃すのか?意気地無しだな、男の子の癖に。」


シルヴィアはふう、と暗めの赤色の紅を引いた唇から息を漏らした。

顔の距離が至近だった為に、その吐息はナイルの痩せた頬を仄かに過ぎって行く。


「ナイル。でもね、これは実を言うとエレン君の話でも巨人と人間の話でもなんでも無いんだよ。」

「………………は?お前、一体何を言っ」


ナイルが訳が分からないと言った体でシルヴィアの言葉を聞き直そうとした時だった。

彼の背後から凄まじいほどの悲鳴が上がる。何かと思ってナイルが後ろを振り向くのと、シルヴィアが彼との間に置かれていたテーブルを足場に蹴ってその背後の人物の鼻頭を肘で殴り付けるのはほぼ同時だった。かなりの体重を乗せて殴ったらしく、中空には涎と血液、そうして白い歯がいくつか弾け飛ぶ。


「リヴァイ!!!!殺すな、私の仕事だ!!!!!」


珍しくリヴァイへと命令の体を取って怒鳴りつけながら、シルヴィアは顔面を潰した憲兵の右手から銃を叩き落とした。そうしてその腕を捻り上げては自身の膝を打ち付ける。骨が砕ける嫌な音が響いた。

ナイルは呆気に取られてあんぐりと唇を開く。今はシルヴィアに痛めつけられ、しかし先ほどまで自身を護衛していた筈の憲兵の胸部にはナイフが垂直に突き刺さっていた。恐らく先ほどの悲鳴の原因はこれだろう。

再度ナイルが机を挟んだ自身の正面の空間へと顔を向ければ、リヴァイの掌が今まさにその凶器を放ったであろう形を描いていた。


(…………っ、まさかっ!!!!)


ナイルが考える間も無く、既にシルヴィアは腕が折れて抵抗できずにいる憲兵の首をそのしなやかな両腕でしっかりと抱きしめていた。彼の口角からは泡が吹き出し始めている。


「おいシルヴィア、てめえこそ殺すな。そいつには喋ってもらうことがまだある。」

「いいや、殺すね。喋ってもらうことは最早何も無い。生かしておくと後々背後から刺されかねん。」

「…………成る程、一理あるな。」


リヴァイが軽く頷くのと、耳を塞ぎたくなるような音が鳴り渡っては彼の首の骨がへし折られるのはほぼ同時だった。


「サポートありがとう、リヴァイ。怪我は無い?」

「無い。お前はどうだ。」

「無いさ、おかげさまで。」


シルヴィアは愛想良くリヴァイへと笑いかけて、ジャケットについた埃をパンパンと軽く掌で払う。

そうして「ナイル、ごめんね。面倒をかけたよ。」と申し訳なさそうに友人へと謝罪を述べた。


「…………手前、俺のことをダシに使ったな。」


ナイルがその白い顔に拳を打ち込みたいのを懸命に我慢しながら低い声で言葉をかければ、彼女は「そんなことないよ…」とポツリと呟いた。


「ただ、こちらもあちらもタイムリミットはエレン君が目を覚ますまでだ。なりふり構っていられないんだろうねえ…。」


シルヴィアは自身がへし折った男の首の辺りを屈んで確認しながら、しみじみとした声で言った。


「それで…さっきの話の続きだが。これはエレン君の話とも、巨人と人間の話とも……やっぱり違うんだよね。」


彼女は立ち上がり、未だソファに腰を落ち着かせたままのナイルの方へとゆっくりと歩を進めた。

そうして装飾的に芙蓉が浮き彫りにされたソファの背板へと掌をかけ、ナイルの顔すぐ近くに頬を寄せてくる。

………シルヴィアは、昔からナイルに幾分慣れ慣れしかった。家族や兄弟へと愛情の形を示すように。それは、彼女の信頼の証だと彼はよくよく理解していた。


(だが…………。)


「これはね、人間同士の話だ。私たちのことを潰す理由が喉から手が出るほど欲しい連中がいる。エレン君はその政治の道具として利用されている節があるのさ。」


許せんよなあ、とシルヴィアは呟いた。

彼女の銀色の髪がナイルの頬へと触れる。………正直に言えば、彼はこのように仕事の話を真面目にするシルヴィアのことが嫌いだった。

つい先週…まだ壁が破られていなかった時だ…酒場でどうしようもない酔っ払い方をしながら、便所コウロギの脚の数について本気の言い争いを応酬した友人と同一人物とは到底思えない。


「だからこそ、どうしても私は彼を手元に置いておきたい。子供を心無い連中の慰みものにさせることだけは本気で我慢がならんのだよ。」


私たちの、否私の戦いが始まるぞぅ。とシルヴィアは楽しそうに言ってはナイルの肩を軽く一度叩いて身体を起こした。


「………よくもご丁寧にうちの敷地内に厄介を呼び寄せやがって。」

「謝っているじゃないか。私だって親友に迷惑をかけるのは心苦しい。でも…こうして危険を侵してでも今回のことは君に会って話したかった。直接ね。」

「……………………。」


ナイルはやや身体を捻ってシルヴィアのことを見上げては、様々なことに対する苛立ちと怒りを込めて睨み付けた。

………応えて彼女がこちらを見下ろしてくる。透明色に近い色彩の睫毛が窓から差し込む斜陽を受けて淑やかに光っていた。

暫し見つめ合ってから、ナイルは皺がよった眉間を揉みつつ口を開く。


「で……、俺はどうすりゃ良いんだ。」

「別に?何もしなくても良いよ…。審議場では君の意見ではなく君の立場の意見を言い給え。」

「わざわざ俺にこんな有様を見せつけておいて、か?」

「これくらいで驚いてもらったら困る。審議場での私たちのパフォーマンスはもっと過激だ。」

「なに得意そうにしてんだ。ひとつも自慢にならねえよ。」

「だから、君には今と同じようにそれにドン引きしてもらいたい。」

「話聞けよ、酔っ払ってるのか。」

「そうして、最後に私たちの言葉に納得してはくれないか。……やや退屈だが、自然で最適な脚本だ。世論に波風立てずに私たちはエレン君を得ることが出来る。さもなければ……」

「さもなければ?」

「ここの絨毯のクリーニング代は君ら持ちだ。」


シルヴィアはニッコリと笑って親指で床に出来た血溜まりを指し示す。

ナイルはうんざりとした気持ちでその過激で現実感が伴わない光景を眺めてはゆるく頭を振った。


それを了承と受け取ったのか、シルヴィアは至極嬉しそそうな表情をする。

無邪気で、子供のように飾らない笑い方である。……それは十代の頃から変わらない、彼女の真実の表情のうちのひとつだった。


シルヴィアがひとつ口笛を吹くと、室内に滑るようにして金髪の少女が入ってきた。

………先日、会合において彼女に付き添っていた調査兵だ。顔立ちのあどけなさからして、まだ10代かもしれない。


「これ、運べる?」


シルヴィアは彼女の真っ直ぐな金色の髪をそっと撫でてやりながら語りかける。

少女はニッコリと笑っては「勿論ですよ。」と愛想良く返事をした。


「………でも、思ったより身体が大きいですねぇ。少し解体バラしてコンパクトにしないと難しいかも。」

シルヴィアからの愛撫を一通り甘受した後、彼女は倒れている男の体の様子を確かめつつ軽い口調で呟く。

少女らしくほっそりとした指先が死体の関節を曲げたり伸ばしたりしている様が、得も言われずグロテスクであった。


「そう、じゃあそれも頼める?」

「給料に上乗せしてくれます?」

「我が儘言わないの。それも仕事のうちでしょ。」

「ええー。」

「まあ…次にミットラスに行った時にヴィルヘルムの新作ベアーを買って来てあげないこともない。」

「シルヴィアさんったら相変わらず私に激あまでよすねぇ!金の毛色の子でお願い出来ます?」


ユーリは実に機嫌良さそうに笑いながら死体の皮膚を今一度指先でなぞった。

そうしてやはり、先日と同じくナイルの方にチラと視線を寄越しては薄く笑って会釈をする。


「気にするな、ババアの趣味だ。」


ナイルへと、兵士長がポツリと声をかけた。………一応、彼なりの気遣いらしい。


「てめえも仕事柄あれがどんなもんかよく知っているだろ。どうにもならねえ・・・・・・・・ガキが今は可愛くてしようがねえんだよ、根っからの子供好きだ。」


シルヴィアは人差し指を立て、無邪気で残酷な性質の少女に何事かを指示している様である。

その横顔は幾分か穏やかであり、以前に比べて彼女の仕事に対する余裕が伺えた。

シルヴィアは……昔から、動物や植物を愛でて育てるのが好きな人間だった。千の葉が折り重なった森のように複雑な人間模様を描いている性質の女だが、その根幹は母性なのかもしれない…とナイルはぼんやりと考えた。


「リヴァイ、超大型級の美人の私の噂話に興じていたい気持ちは分かるが…頼みごとをして良いかな。」

「すこぶる反応に困る冗談を言うのはやめろ。」


シルヴィアはこちらをゆっくりと振り返ってはリヴァイへと言葉をかける。

そうして彼に指示を与える前にナイルの方へと向き直り、「今日は騒がせて悪かったよ。申し訳ない。」と今一度謝罪した。


「でもね、ナイル。見ての通り私たちと中央憲兵の関係は最悪も最悪だ。今回は先に手を出した向こうがどう考えても悪いんでドローだが、これから私たちはもっと更にメチャ仲悪くなっていくだろう。間に立っている君は中々しんどい思いをすることになるよねぇ。」

「なるよねぇじゃねえよ。上から下から更にてめえらに横から煽られて俺のストレスはマッハで胃がヤベエ」

「おぅそれは可哀想だな。お腹痛いのは辛いよねえ。」

「ストレスの一番の原因に同情されたくねえよ」

「まあ…うん。これから先の判断は君に任せるが……ナイル、私は君を親友だと思っている。君がどう言う選択をしようともね……。」


シルヴィアは少し眉を顰めつつ笑っては、ヤレヤレ、と言う体で肩を竦めた。

そうして彼の隣にいるリヴァイへ向かってピッと人差し指を立てては、いつものように楽しそうな表情を浮かべる。


「念の為私の友達を家まで送ってあげておくれ。まだ危険が去ったわけでは無い。」

兵士長はそれには一言「了解だ。」と応えた。


「シルヴィア、てめえはどうするんだ。」

「私は内地で夜会があるから直接そっちへ行く。ここの後始末はユーリに任せるよ。………明日にはそこで伸びてる彼が素敵なプレゼントとして、私たちを危険に晒した連中の元に届くだろう。乞うご期待かな?」

よろしくね、私の可愛い駒鳥ちゃん。とシルヴィアはお馴染みの気障ったらしい台詞を新人兵士へと投げかけた。ウィンク付きで。ナイルとリヴァイは一抹の寒気を背筋に覚える。

だが少女は特に意に介した様子はなく、笑顔で「はぁい」と返事をした。


「分かりました、可愛くラッピングしておきますね。」

「いや…ラッポングはしなくて良いよ。」

「何故です、可愛い方が向こうも喜ぶでしょ?」

「うーん…。よ、喜ぶかなあ。」

「ああ、分かった!中央憲兵なんて大体が男ですもんね、男性へのプレゼントはあんまりゴテゴテ包装しない方が良いって聞きますし!」

「ああ、うん……。そう言うことで良いよ……。」


シルヴィアはハハハと弱く苦笑した。

それから…眼前で楽しそうに自分へと言葉を投げかける可憐とも言える少女を少しの間じっと見下ろす。

その骨のように白い横顔に微量の寂寞が漂う様子に、リヴァイもまたそっと目を細めた。



[*prev] [next#]
top
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -