◇ リヴァイと夕焼け 中編
それから数日後、リヴァイは未だにイライラとしていた。
......事故だと言うのは理解している。エルヴィンは無理に事を運ぼうとする人物じゃねぇ....
だが、今はもうシルヴィアの顔を見るのも嫌だったので、こうして執務室に引きこもって仕事をしているのだが....
自分が途方も無くガキ臭いことをしているのは分かっている。
先日もひどい態度を取ってしまった.....。
だが、どうにも素直になり切れない。
.......自分がこんなに情けない人間だとは思わなかった......
*
仕事を一段落させ、気分転換がてら散歩をする。
夕方に差し掛かろうとしていた空は茜色に染まり、鳥が巣に帰ろうと二、三度鳴きながら飛んでいくところだった。
充ても無くぶらりと歩くのは嫌いじゃない。
.....歩いている時は、無駄な事を考えなくてすむ......
しかし、その歩みは今一番見たく無い物が視界の端を霞めた事により中断させられた。
「........クソ......何なんだお前.....会いたいときは何処にも見当たらない癖して....」
大きな楠の下にある背の無いベンチに、銀の髪が風に吹かれてさやさやとそよいでいる。
近付いてみると、シルヴィアがごろりとそれに横になり、気持ち良さそうな寝息を立てていた。
.......成る程。いつもサボる時はここに来ていたのか。道理で見つからない訳だ....
白いシャツの下にある緩やかな曲線が上下している。
タイを外して露になっている首筋が妙に生々しく、艶っぽい。
......口を開かないと、こいつはまるで別人の様だ。
(......だが、起きている時の方が......)
リヴァイはシルヴィアの頭の近くにそっと腰掛ける。
銀の髪が茜色に染まっているのが何とも綺麗だ。
本当.....髪の色だけは完璧だ。
気持ち良さそうに眠る彼女に少し苛立って鼻をつまんでやる。
眉間に皺が寄ったが、それでも起きる気配は無い。
(......こいつ....ここまで隙だらけで兵士として大丈夫なのか....?)
鼻から手を離して頬をそっと撫でる。やはりその皮膚も茜色に染まっていた。
(....何度も、諦めようとした.....)
それでも、駄目だった。
第一....何故こいつだったのだろう。女なら世の中には腐る程いる。
......顔が整っているから?髪の色が完璧だから?
優しくされたから、.....困った時の笑顔が好きだから?
何をしても決して声を荒げすに見守ってくれていたから、
俺がここに至るまでにいつもさり気なく支えてくれたから、
辛い時に、傍に居てくれたから.....?
きっかけは覚えていない。......だが、好きになる理由は充分過ぎる程あった。
それでも自分の中にある臆病な心が一歩も前に進ませてくれない....。
だが、お前が他の誰かのものになるのだけは嫌だ。
今まではシルヴィア自身が恋愛を拒否していた所為で安心していたが......状況が色々と変わりつつある....。
(ここで....既成事実も作ってしまえば.....)
ふと、心の中であやしい気持ちが頭をもたげる。
先程まで肌に触れていた手をそっと頬に沿える。
彼女の真っ白い顔は...まるで死んでいる様だ。本当なら起きている時、お互いの目を見つめ合いながら.....
ぐっと押し留まりそうになる。これは卑怯者のする事だと。
だが、先日の資料室での出来事が頭をよぎると、どうしても黒い気持ちが腹の底から溢れ出す。
二人の距離があと数mmの時に、息を吐く様な囁き声が聞こえた。
「リヴァイ、近いよ」
それと共に彼女の薄い色素の瞳が目蓋の奥から現れる。
しばらくほぼ零距離で見つめ合った後、シルヴィアが「....想像以上に近かった....」と呟いた。
そうして固まるリヴァイの頬に軽くキスを落として微笑む。
「友情と親愛をこめて....おはよう、リヴァイ」
寝起きで少し掠れた声は、妙に耳に残って....いつまでも消えてくれない....
「.....いつから起きていやがった.....」
「君が私のところに近付いて来る辺りだね」
「.....起きろよ....。」
「....眠かったし....。私を捕まえに来た訳でも無さそうだったから....」
「くそ....寿命が縮んだ」
リヴァイは顔にじわじわと熱が差していくのが分かった。
......俺は.....一体何を.....
よろよろと体を起こし、頭を抱える。
シルヴィアもまだぼんやりとした目を擦りながらリヴァイの隣に腰掛け直した。
人の気も知らないで....くわ、と呑気に欠伸までしていやがる。
「.....夕焼けかぁ....もうそんな時間だったんだね....」
「お前...いつから寝てた...。」
「うん?昼食後にちょっと昼寝したら....今になってた....」
「.....公務を嘗め腐ってるな....」
「.....早く我々の仕事がなくなる平和な世界になって欲しいものだねえ」
「逃避すんな」
シルヴィアはふふんと笑って足を組む。夕焼けのオレンジは増々濃くなっていた。
「リヴァイ....夕焼けがどこに沈むのか興味は無いかい?」
彼女は先程組んだ足に肘を乗せて頬杖をつく。
「無いな」
「即答か」
シルヴィアはがっかりした様に溜め息を吐く。
「はぁ....世界が平和になって...兵士なんて必要無くなったら....私はその場所を探しにいきたいんだ。
っと、私の頭は正常だからな。そんな目で見るな」
「お前...自分がどれだけ恥ずかしい事言っているか分かっているのか....」
「分かっているとも。ふふん、シルヴィアさんは15才の心を失わない乙女なんだ」
「.........。」
「そんな蛇蝎を見る様な目を向けないでくれ。分かった。15才は訂正しよう。17才だ。」
「.........。」
「何が悪い...。10代で何が悪い.....。」
シルヴィアはぶつぶつ言いながら自分の爪先を見つめた。少し機嫌を損ねてしまった様だ。
「.....何でまたそんなロマンチックが止まらない場所に行きたいんだ」
リヴァイが尋ねるとシルヴィアはこちらを見つめながらにこりと目を細める。
「.....言ってみただけだよ。興味があるんだ。
他にも雨と晴れの境目や.....ああ、これは遂最近ようやく見れたんだったな、それから虹の根元も見つけたい。きっと面白いぞ」
本気か冗談か分からない事を言いながら殊更楽しそうに笑う彼女は本当に10代の少女の様だった。
先程までそれにやましい感情を抱いていた事が恥ずかしくなってくる。
「リヴァイも一緒に来るかい?」
え.....
遠くに見える公舎の窓ガラスには、オレンジから赤に変わった夕日がキラキラ輝いていたが....その光の届かない所はもう薄暗い。
ぼんやりと輪郭にその赤さを滲ませながらシルヴィアは柔らかく笑っていた。
......やはり俺は、起きて、話して、笑ってくれるお前の方が......
「.....悪くない」
一言だけ言葉を発し、彼女から視線を逸らす。
それ以上シルヴィアの姿を見るのは胸が痛くて....耐えられなかった。
「.....意外だなぁ。君はてっきりこういうのが嫌いかと」
彼女は嬉しそうに言う。
その間にも夕日の赤はどんどん強くなる。
色素の薄い彼女はその中に溶けていってしまう様で....どうしようもなく、不安になる。
「.....約束しろ」
ぽつり、と言葉が口から零れた。
「お前の恥ずかしい旅に付き合ってやるよ。
だから.....その日がくるまで.....俺の前から消えるな。.....これを、約束しろ。」
「......約束はできないよ。君も、分かっている筈だ....」
そう言う彼女の表情は、夕闇に紛れて....もう、よく見えなかった。
夕日が沈む.....最後に、燃え上がる様な赤色を残して.....
「でも....努力するよ。精一杯努力する...。だからリヴァイ....君もどうか無事で....」
シルヴィアはそっとリヴァイの方へ手を差し出してくる。
何も言わずにそれを握った。長い間外に居た所為か、彼女の掌はひんやりと冷たい。
それでも、確かに自分を信頼し、想ってくれている気持ちが伝わってきた。
この手の先にある温もりがどんなに優しいかは....きっと一生忘れない、....忘れられない。
藤色に変わった空にひとつ星がまたたいた。
シルヴィアはポケットに入れていた群青色のタイを取り出して首元にぱちりと留める。
そろそろ、戻らなくては。
「........それ、気に入ってるのか。」
「うん?このタイの事かい」
「あぁ。最近よくつけてる」
「そうだね。気に入ってるよ」
「.....良い色だ」
「エルヴィンがくれたものだからね。悪いものの訳が無いよ。」
「.....前言撤回する。最悪だ。外せ。」
「何でまた」
「何でもだ。外せ」
外す外さないの押し問答を繰り返す二人の頭上へは次々と星が昇りはじめて、夜の到来を告げていた....。
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