銀色の水平線 | ナノ
◇ エルヴィンと檸檬酒 前編

(エルヴィンが入団して一年未満ほどの過去の話)


ボスッと……中々良い音を立てて、エルヴィンの顔面に白い枕が直撃する。

彼はうんざりとした表情で自分の顔からそれを引き剥がしては、「………シルヴィア。良い加減にしろ…。」と友人を諌めるようにする。


「良い加減にしろはどっちだい!!!!なーーーーーーーんで私があの布団に巣食うダニ以下に百害あって一利無しのクソ貴族に謝らなくちゃいけないんだ!!むしろ向こうが菓子折り持って謝罪しにくる案件だろうが!!私は絶対謝らないぞぉおおおおお!!!」

毛布の中から勢い良くガバリと起き上がったシルヴィアは、ベッドの上に仁王立ちになりながら一息に捲し立てる。

そして立ち尽くすエルヴィンの傍までツカツカと歩いて行くと、ふんだくるようにして枕を奪い返してまたベッドの中へと逆戻りする。


「……………シルヴィア。」

多大なる呆れを含んだ声で、エルヴィンは再び彼女の名前を呼んだ。

それに対しては、「大体君こそ、なぁに勝手に女性宿舎の部屋に入って来てんだ。ここは男子禁制女人の花園だぞお、このスケベ。」という飛んだ当て擦りが毛布の中からなされる。


エルヴィンは何度目になるか分からない溜め息を吐いてから、意を決したように部屋へと踏み込む。今は日が高いためにシルヴィア以外の部屋の住人がいなかったのは幸いだった。

そして彼女が貝のように閉じこもっていた毛布を無言で一気に引っぺがす。


「はあぁ!?エルヴィン、君は鬼か!!仮にも私は先輩だぞ、なんてことしてくれる!!!」

「鬼でも悪魔でも構わないよ。引きこもって頑として先方に謝らない誰かの所為で、白羽の矢が立てられた俺の身にもなれ。貴重な休日をお前みたいな阿呆に潰されて…泣きたくなってくる。」

「ちょ、君…。いくらなんでも辛辣過ぎるだろ…。私だって傷付くんだぞ……。」


あと泣くなよ、ごめん。とシルヴィアが素直に謝ってくるので、なんだかエルヴィンは笑ってしまいたくなった。

しかし今はシルヴィアに絆される訳にはいかない。こんな下らない案件とはいえ、自分は上司に信頼されて彼女の説得を任されたのだ。真面目な彼は、その期待を裏切る訳にはいかないと思った。

エルヴィンは再び表情を厳しいものにして、ベッドの上に胡座をかいてはふてくされた表情をしたシルヴィアを見下ろした。


「…………なんだその目は。」

それに対して、シルヴィアが嫌そうに反応する。エルヴィンは腕を組み、まずはきちんと座れと彼女に指示をした。勿論それは無視されたが。


「なんだじゃない。理由はお前が一番よく分かっているだろう。」

「分かってたまるかボケ。」

「分からせてやろうかアホ。お前がワインクーラーの中身を相手方にぶち撒けた所為で膨大なクリーニング代の請求が兵団宛に来ている。…………お前、それを払えるのか。」

「……………………。一応聞くが、いくらだ。」


エルヴィンは指を三つ立てる。シルヴィアが実に渋い顔をして、万か。と聞く。それに対して彼は淡々と、桁が後ふたつほど多いと答えた。


「はあああああああああ!!!!!??????」

ありえない、とシルヴィアは悲鳴に似た声を上げる。そしてその場で蹲って「いやだあああああ」と呻くように言う。


「払えるのか。払えないだろう?」

それに追い打ちをかけるようにエルヴィンは言葉をかける。彼女は「いやだああ聞きたくないいい、君は鬼か、こんなに可愛がってやってるのに本当に薄情な男だなこの冷血漢!!兵士なんかより地獄の獄卒の方がよっぽどお似合いだ転職してまええええ!!!!!!」と全身で拒否の姿勢を示した。

………こんな切羽詰まった状態でよく口が回るものだなあ、とエルヴィンは逆に感心してしまう。

そして、頭を抱えながら言葉にならない唸り声を漏らしているシルヴィアのことをしばしじっと眺める。もうそろそろ観念するかな、と思いながら。


「………ふ、服にそんなにかけるとか…あいつらバッカじゃねえのおお…」

「確かにバカだが…。残念ながら彼らは金と権力を持ったバカだ。今回は相手が悪かったな。」

「なんだよ…ロンネアイリスの紅茶が100キログラムばかり買えてお釣りがくるじゃないか、いや、バカだろ。」

「そしてそのバカに喧嘩を売ったお前も割とバカだ。」

「バカバカ言うなよ、傷付く……。君はもうちょっと私を褒めて伸ばす努力をして欲しい。」

「そうだな…。ちょっと頭が楽しいタイプの人間だよな、シルヴィアは。」

「言い方変えただけじゃないか、ムカつく男だわぁ。」


身体を起こし、ベッドの縁に座り直したシルヴィアは非常に非常に嫌そうではあったが…ようやく、「…分かった、謝るよ……。」とエルヴィンの説得に応じる。


「でぇ?いつ謝ればいいんだ。十年先で良いか。」

「言い訳あるか。本当にバカだな。」

「うっっっさいわ」


…………シルヴィアは機嫌の悪さが絶頂らしい。脚を組んで舌打ちをしては、エルヴィンの方へとギスギスした視線を投げかけてくる。


「今夜にでも行ってこい。こう言うのは一刻でも早い方が良いんだ。」

「今夜ぁ!?今夜は三人で一緒に飲みに行く約束だったじゃないか!嫌だよ!!」

「飲みに行くくらいまたいつでも出来るだろう。……それともそんなにナイルに会いたかったのか。」

「んなわけあるかあぁっ!!!!!!!!誰があんな最下層の地層から発掘された土偶のような顔色の男と会いたいってえええええ!!????クソッ、思い出すだけでこっちまで出土品さながら泥まみれの気分だ!!!!洗い流すのでシャワーを浴びてくる!!!そこを退きたまえ!!!!!」

「退くわけないだろう。俺はお前をきっちり先方まで送り届けるところまで命令されているんだ。」

「もういやっ!なにこの粘着質な男!!次生まれ変わったら木工用ボンドにでもなるが良い、ピタッとくっついて皆の役に立てるぞ!!!!」


シルヴィアは立ち上がってエルヴィンへと詰め寄る。

しかし一度口を噤み……その場で彼の顔を訝しげに見上げながら、「君、またでかくなったのか。ほんと生意気だな。」と言っては手を伸ばして頭の辺りを軽く小突いてくる。


「…………別に。送られなくてもちゃんと行くよ。行けば良いんだろ。」

「いや、送らせてもらう。」

「なぁにさ、私ってそんなに信用ないのか。」

「信用が無いんじゃない。……一応俺なりに心配してるんだ。」


正直なところをエルヴィンが言えば、ついにシルヴィアは折れたように深く長い溜め息を吐いた。


「本当に、付いてこなくて良いよ……。君の気持ちは嬉しいけれど。」


ありがとう。と彼女は弱々しく笑って礼を述べてくる。

エルヴィンは食い下がろうとするが、それに対してシルヴィアは遮るように口を開く。

「君はナイルに会ってやれ、あのオタンコナスは私たち二人にドタキャンされたら結構凹むと思うし。いやそうだろう、違いない。あいつ友達少ないからなぁ、可哀想に。」


友達が少ないのはお前も同じだろう、とエルヴィンは突っ込みたかったが…それにしても、頑として自分をついて来させないシルヴィアの態度が気にかかった。しかし、と彼は反論する為口を開く。…が、それを再び制するようにシルヴィアが片手を上げた。


「そんなら君は私に胡桃パン一週間分奢れ。それで充分だし、それ位されないと割りに合わないさ…。」

「…………後輩にたかるのか。」

「こんな時だけ後輩面しよる…。なんなんだ君、そろそろ私は泣くぞ。」

「泣きたいのはこっちだと言ってるだろ。なんで休日潰されて更にはたかられなくちゃいけないんだ。」

「じゃぁあ君が謝りに行けばぁ?」

「…………………。」


エルヴィンは、無言でシルヴィアの白い片頬をつねりあげた。


「いったいな!!!離したまえこの金髪横分け野郎!!!!」

「あまり俺に迷惑をかけるな、このセンター分け白髪野郎。」

「白髪じゃないし野郎でもないっっ!!!!ほんっと生意気だな君は。どっかで悪いもんでも食べたのか、吐き出せ吐き出せ、昔の純粋な頃の君に立ち戻りたまえ!!!!!」

「………ああ食べたさ。主にお前に大量の泥を食べさせられたさ。」

「ああーーーー言えばこう言う!!!落語家にでも転職されたらどうですかねぇ!!!!」

「はいはい、それはお前の方に勧めさせてもらうよ。良いからとっとと着替えろ、寝巻きでウォールシーナ内に入るつもりか。」

「あぁもうやだあぁぁあ、壁の外も中も敵だらけだ…。私に安住の地はないのだろうか?」


ブツブツ言いながらもようやく出掛ける支度を始めたシルヴィアを見ながら、エルヴィンは何度目になるか分からない溜め息を吐いた。

…………この仕様がない人間にも、少しは公に仕える兵士である自覚を持って欲しいものだと考えながら。







「で…………。」

頬杖を付きながら、ナイルはつまみに出てきた得体の知れない肉のマリネをフォークでつついた。そして言葉を続ける。


「…………あいつは今日来ないのか。」


それを受けてエルヴィンは、相変わらず似た者同士だな、と最早関心した気持ちになる。そして、「なんだナイル、そんなにシルヴィアに会いたかったのか。」と彼女に投げかけた言葉と同じ台詞を眼前の男へと振った。


「はああああああああ!!!?????誰があの思いやりが希薄で三角コーナーの底にへばりついた腐ったモヤシみたいな女に会いたいって!!???奴のことを思い出させるな、生ゴミの匂いが移るだろうが!!!!!!」

「いや、シルヴィアの話を最初に出したのはお前だろうが。」

「そんなことはどうでも良い、ああもう汚された!!俺の脳味噌が細胞レベルで汚された!!!!!!!クソッ」


ナイルがテーブルを拳で殴るので、上に置かれていた皿やコップが飛び上がって騒々しい音を立てる。

エルヴィンは……本当にこの二人には困ったものだ、と若干うんざりした気持ちになる。……なんとなくの、疎外感と共に。


「でぇ?腐ったモヤシの癖に人との約束を反故にするなんて良い度胸だよな?一体何があったんだよ、ついに兵団クビにされて畑の肥料にでもされたのか。最もあいつに大した栄養があるとは微塵も思えないけどなああああ」

あまり怒鳴るな、唾が飛ぶ、とエルヴィンは口角を泡立てて捲したてるナイルとは対照的に、淡々と落ち着いた口調で応える。


「シルヴィアなら今…クローチェ伯爵…名前くらいなら聞いたことがあるだろう。そちらの邸宅に赴いている。」

「はぁ?なんであいつみたいな木っ端兵士がそんなお偉いさんに。」

「まあ…色々あったんだ。その色々の残念な結果、あいつは謝罪の為に内地に赴いている。」

……今朝のシルヴィアとの攻防を思い出し、エルヴィンは再び呆れた気持ちになってはかぶりを緩く振った。


「おぉ!?あいつ何かやらかしたのかよ。」

そしてナイルのこの嬉しそうな反応である。先ほどのイラついた態度が嘘のように生き生きとしている。

エルヴィンは手元にあったコップから薬品臭い安酒を煽り、一息付いてから事の顛末を話し始めた。


だが話が進むにつれ、ナイルは嬉々としてニヤついていたその表情を潜ませてしまう。そして何かを考え込むように口を噤み、しばし黙った。

この話題はナイルにとってはシルヴィアを馬鹿にするまたとない要素である。喜んで食い付くだろうとばかり思っていたエルヴィンは、その意外な反応を些か訝しげに思う。


…ひとまずのところ、全くあの人はいつまでも兵士としての自覚を持ってくれず困ったものだ。との言葉で会話を締めくくってみる。

だが、ナイルは黙ったままであった。顎の辺りに指を持って行っては何か言おうとするのを留めるように薄い唇を少しだけ開いたり閉じたりする。


そしてようやく彼は、「なあ……。」とこちらに言葉を投げかけてくる。しかし瞳はエルヴィンの方を見ていなかった。

……何か言い出しにくいことでもあるのだろうか。わざと視線を逸らしているような印象すら受ける。


「お前、あいつ…あの馬鹿から…ワインクーラーの中身を相手にぶち撒けた原因と言うか…経緯は聞いているのか。」

「経緯?……クローチェ家主催で開催された懇親会のようなものに彼女は兵団代表で参加したんだよ。そこで何かしらトラブルがあったんだろう。」

まあ、シルヴィアが起こすトラブルだから程度は低いものだろうが。とエルヴィンはナイルを笑わせようと冗談を織り交ぜて応える。

しかし当然のようにナイルは笑わない。それどころか、より一層深刻そうな表情をする。片眉が上がり、眉間に軽い皺すら寄ってしまっている。


「……あいつがそんな大層な場に…?そんな話は初めて聞いたぞ。」

「そうだな、つい最近のことだから…彼女の仕事にその類…社交に関するものが加わり始めたのは。今までは団長が出席していたが、お忙しい方だからな。シルヴィアにも手伝わせているんだろう。」

「入団して高々数年の新兵だぞ。普通そんな大事なことを任せるか……?」

「………どうしたんだナイル。一体何が言いたい。」

「…………………。」


そこで暫時、二人の会話は途切れる。

他の客の話し声や笑い声、酔っ払って怒鳴るように何かを歌い上げている喧騒ばかりが賑やかに二人の周りを通り過ぎていった。


………そしてナイルがようやくエルヴィンの方を向き、言葉を選ぶようにしながらゆっくりと話し始める。


「俺は…シルヴィアとは、顔を突き合わせば罵倒の応酬ばかりだが。未だかつて、あいつに手を上げられたことも本気で切れられたことも無いんだよ…。」


エルヴィンは未だに彼が何を言いたいのかが分からなかった。

しかし、ひどく嫌な予感を覚えた。程よくアルコールが巡って温まっていた身体が、徐々に徐々に深々と冷やされていくような気持ちすらする。


「…………シルヴィアにそこまでの行為を行わせるには、何か大きな原因があったと…。お前はそう言いたいのか?」

心の中に芽生え始めた不安を留めるように、エルヴィンもまたゆっくりと言葉を紡いだ。


「シルヴィアが切れる要因なんてひどく限られた範囲のことだけだろ。大体数種類…。そして俺は、今回の状況から察するに大凡の理由が思い当たる。」


ナイルはそれに応えながら溜め息を吐いた。

そして訳が分からないという表情をとり続けるエルヴィンについに業を煮やしたのか、詰め寄るようにして身体をこちらに近づけてくる。


「おいエルヴィン、まだ分からないのかよ…!お前はなんでシルヴィアをクソ貴族のところになんか行かせちまったんだ!?あいつのただひとつの長所を思い出して良く考えろ、何故兵士として目立った能力も無いあの阿呆に白羽の矢が立ったのか…!!」

その際に、机上の食器動いて耳障りな音が鳴った。


「お前はどれだけ純粋なんだよ!!?其れ相応の理由が、そこにあるに決まってるだろうがっ……!!」

絞り出すようなナイルの言葉に、ようやくと言った形で…エルヴィンにも全ての納得がいった。いや、正確にはもっと前から分かっていたのかもしれない。そんな厭わしい現実を理解したくなかっただけで。

だが、純良な彼にはまだそれを受け入れる心の準備は出来ていなかった。信じられないという気持ちばかりが強くなる。


「な…、そんな訳…。俺たちは公に、国民の為に心臓を捧げた兵士だぞ…。そんな、人道に反するようなことを…団長がする訳…」

「この国の現実を見ろよ。調査兵団は赤字も良いところで国益を害する存在としか見られてねえんだぞ?持ち上げてるのはお前含めて一部の夢見がちな人間だけだ…。」

「し、しかし。巨人の脅威から国民を守る為に我々の存在は不可欠な筈だ。」

「そんなもん、金を持ってる連中は誰も必要としてねえよ。ここには壁がある。壁に守られた内地が平和で美味いもんが毎日食えればそれで良いんだよ、奴らは。だから調査兵団の方も必死だ。予算を獲得する為に……。で、手っ取り早い方法を思いついたんだろ。」


ナイルの言葉が終わる前に、エルヴィンは勢いよく席から立ち上がった。

そして踵を返すようにして店の入り口へと向かおうとするが、ナイルに腕を掴まれた為にそれは適わなかった。


「………何をする、離してくれナイル…!!」

切羽詰まっていた所為か、声が幾分上ずっていた。

そんなエルヴィンに対してナイルは、「何をするは俺の台詞だ。今からここを飛び出してお前はどうするんだ。」と対照的に落ち着いた口調で言う。………先ほどとはまるで逆であった。


「どうするって……」

「クローチェのところに行くつもりか?この時間に内地までの足がある訳ねえだろ。歩いて行くのかよ、それにしても到着は明日だ。その頃には綺麗さっぱり全部終わってる。」


とりあえず座れ、とナイルはエルヴィンを自分の向かいに戻そうとする。しかしエルヴィンは今再び元の場所に腰を落ち着けるつもりは無かった。

ナイルはそんな彼の気持ちを見抜いたのか、「良いから落ち着け。お前が焦っても仕様がねえことだろうが。」と今一度座るように説得する。


「俺の推測が外れてる可能性だって…有りえる。」

「…………………。」

「………下手に動くなよ。今のお前に、俺たちに…何が出来るって言うんだ。」


……………エルヴィンは瞼を下ろし、数回かぶりを振っては溜め息を吐いた。

ひどく嫌な気分である。色々なことへと憤るあまり、何に対して怒りをぶつけて良いか最早よく分からなかった。


だが、一番に腹立たしいのは自分たちの大切な友人をおもちゃの様に利用されたことにある。そして…無邪気で人が良い彼女が、それによって歪んでしまわないか心配だった。

この時ばかりは、どんなに自分に迷惑をかけても構わないと思った。今のままのシルヴィアでいてくれるのならば。


(もしものことがあるならば……恐らく…この夜が明けて、再び顔を合わせた時に。俺たちの関係はきっと変わってしまう………。)


エルヴィンにはそれが恐ろしかった。

此の期に及んで自分のことばかり考えてしまう自身にもほとほと嫌気がさしたが…それでも、彼女との距離が隔たってしまうことだけは嫌だった。



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