銀色の水平線 | ナノ
◇ ベルトルトと百合の花 後編

「………おお、ちょっとこれ…すごくないか?」


やがて、少し後ろに下がって黒板の全体を眺めた彼女が驚きの入り混じった表情をしては言う。

手招きされて、ベルトルトは白い女性の隣に立った。そして思わず「わあ…」と声を上げる。


想像していたよりも、随分と豪華な景色がそこには広がっていた。

白一色ではあったが、真っ黒な画面から浮かび上がるようにいくつもの花がこちらに向かって咲いている。

自分で描いた沢山の小さな花が、その中で夜空を埋める星のように細かく光っているのが印象的だった。


「すごい……。こんなに沢山描いてたなんて、全然気がつかなかった。」

「随分集中してたからね。………ベルトルト君は細かい作業が得意なんだね、すごいよ。」

「いえ………そんなことは…」

「そんなことはあるよ。目の前の成果をご覧なさい。」


ね、と呼びかけながら彼女はベルトルトの腕の辺りを軽く叩く。そして再び黒板の方へと目を向けながら、「いやあ…お見事。」と満足そうに頷いた。


「………やっぱり若いって言うのは良いね。自分が気付いていないだけで、その価値は無限大で自由だ。そう、どんな花だって咲かせることが出来るのさ!」

「ええ…やっぱり気障……」

「……………。思ってること、口に出てるよ。」

「あっ…。」


すみません、とベルトルトは急いで謝るが、彼女は特に意に介した様子はないようだった。可笑しそうに笑いを漏らしながら、再びベルトルトのことを見上げてくる。


「素敵な花をここで咲かせることが出来たら、良いね。」


彼女が続けた言葉には、ベルトルトはうまく応えることが出来なかった。曖昧な返事をして思わず目を逸らしてしまう。

そんな彼の様子を、白い女性は不思議そうに眺めては「どうしたの」と問いかける。


「い…や……。どうと言うわけではないんですけれど………。」


ようやく彼女との会話にも慣れて回るようになっていた舌が、再び鈍くしか動かなくなる。

しかし、辿々しくも彼は言葉を続けた。

どこかで誰かに聞いて欲しいという気持ちが、心の隅っこにあったのかもしれない。


「でも……正直、咲いても人の役には立たない…それどころか、周りの土壌を汚染して害を及ぼすような植物だってあるわけじゃないですか……。もしも…自分が、そう言う類のものな場合……一体…どうすれば………。」

思わず迂闊なことを口走ってしまったと思った。彼女が兵士ではない、一介の掃除婦であることに甘んじて。

淡い銀灰色の瞳が、こちらをじっと見据えている気配がする。

しかしそれだけで、何も言葉を返してくることはない。辺りは少しの間静寂した。


「……。一概に毒とは言い切れないんじゃないかな。」


考えるような仕草をしてから、彼女は言葉を返す。そしてこちらを安心させるように、掌を取ってきては外側からそっと握った。


「ところが変われば毒も薬になったりするものだよね。」


そう言いながら、彼女は空いている方の手の指を一本立てながらつ、と重なった二人の掌へと近付ける。長く、白い指だった。骨のような色をしている。

細長い爪が印象的な指先が、ちょいちょい、とその場所をなぞっていく。そうすると、いつの間にかベルトルトの掌中に真っ白い百合が現れた。


………突然のことに当然彼は言葉を失う。

ようやく、「えっ………どこから…」と声を絞り出せば、彼女は満足そうに笑いながら掌から白い指を離していく。


「ふふん…タネも仕掛けもあるけれど、内緒。」

それとも黒板の中から一本はみ出てきちゃったかな、と彼女は悪戯っぽく言う。

そうして鎖に繋がれた時計を取り出して確認しては、「おやもうこんな時間だ。私はそろそろ行くよ。」と言ってこちらを見上げて小さく首を傾げた。


「………ベルトルト君は、私たちにとっての薬になってくれるかな。」


…願わくば………と彼女は続けて呟く。その後に続いた言葉は、小さくて聞き取ることが出来なかった。


やがて彼女は先ほどの言葉通り、まとめた掃除道具を持ってゆっくりとその場を離れて歩き出す。ベルトルトはただ、その姿勢の正しい背中を見送ることしか出来なかった。


「あ、あの………!」


扉のノブへと手をかけた女性へと、彼は咄嗟に言葉をかける。

応えて振り返った時に揺れた彼女の髪が、いつのまにか高い場所の昇っていた太陽に照らされて、抜き身の刃のように光った。


「いえ……。その…………………。」


………呼び止めたものの何を言うかまるで考えていなかったベルトルトは、自身の顔めがけてどんどんと熱が集中していくのを感じていた。

彼女はベルルトの足りない言葉を吟味するようにゆっくりと瞬きをする。

それから笑顔で「さようならだね。短い時間だったけれど、私は楽しかったよ。」と別れを告げた。


「でも…また近いうちに会えるさ。その時にまたゆっくりと話をしよう、ベルトルト君。」

そう言い残して、今度こそ彼女はその場を後にした。


ぼんやりとした気持ちで、ベルトルトはしばらくの間銀色の色彩を持った女性が消えて行った扉を眺める。


(あれ………でも。)


やがて、遠くの方から人の話し声と足音が入り混じった気配が近付いてくるのが分かった。ようやく他の同期生たちも集まり始めたのだろう。


(そういえば……あの人、なんで僕の名前知ってたんだろう……。)


「おっ、ベルトルトじゃねえか。早えな。」

「居ないからどうしたかと思ってたんだぞ。」

「えっ、って言うかなんか黒板すごくねえか!??」


ジャン、ライナー、コニーの三人が扉から室内に入ってきたために、ベルトルトの思考はすぐに遮られた。

………とりあえず、彼はいつものように小さな声で「おはよう」と三人に挨拶をする。


「おおー……本当だ。すげえなこれ。」

「落書きにしちゃ手が込んでるな。お前が描いたのか。」


感心するジャンとコニーの隣からライナーが尋ねてくるので、ベルトルトは「う…ううん……僕だけじゃなくて。ほとんどはあの……あ、掃除婦の女の人が描いたんだ。」と答える。


「掃除婦…?」

「うん。……結構綺麗な人だったから目立つと思うけれど。銀色の髪をしてる気障ったらしい感じの…」

「いや、調査兵団に専門の掃除婦なんていないぞ。掃除はしっかりと新兵の仕事に組み込まれている。」

「えっ?」


彼等が話している間にも、次々と見知った新兵の同期達が部屋の中へとやってきた。

皆黒板に咲き乱れる見事な花の数々に驚いては感嘆の声を上げている。いつの間にやらベルトルトが描いたことになっているらしく、皆意外そうにしながらも一様に彼のことを褒めた。


…………しかしベルトルトはそれに応えることも忘れて、掌中の一輪の百合を見下ろしながらひたすらに首を捻っていた。

まるで狐につままれた気分である。あれはこの古い建物に取り付いた狐狸妖怪の類だったのだろうか。

信じられない話だが、そう考えると妙に納得するところがある。あの胡散臭い笑い方は、明らかに人間のものとは思えない……。


………考えれば考えるほどに、ベルトルトは背筋が深々と冷えていく気分になった。

隣にいたライナーが「………大丈夫か。なんかお前顔色が悪いぞ」と心配そうに声をかけてくる。


「おお、皆集まってるみたいだね。お喋りがひと段落ついたらぼちぼち席に座りなさい。」


そしてこのタイミングで再び扉が開く。………顔を上げてその方を見たベルトルトは、心臓が口から飛び出すような気持ちがした。


……………先ほどの狐狸妖怪が、何故か調査兵団の制服に身を包んで再びこの部屋に入ってきたのである。

彼女の方も、どうやらベルトルトに気がついたらしい。視線が合うと、にこりとにやりの中間のような笑い方をなされる。


「………ねえ、また近いうちに会えたろう。ベルトルト君。」


目を細めてそう言われたベルトルトに、ついに我慢の限界が訪れた。思わず引きつった叫び声をあげる。驚いた周りの同期たちが彼の方を振り返った。


「でっっ、でっ、出たーーーーーーーっっっっっ!!!!!!」


「おわっどうしたベルトルト落ち着け!」

「なんだなんだ??」

「うわこいつ泡吹いて倒れたぞ」

「えっ、大変…!早く手当てしないと」


…………和やかな朝日が差し込む室内は一変、阿鼻叫喚の光景が広がる。

そして不穏な雰囲気に包まれながらも兎も角、104期生たちの調査兵団としての生活がスタートすることとなったのだった。




リクエストBOXより ベルトルトとの絡みで書かせて頂きました。
素敵なリクエストをどうもありがとうございました。



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