銀色の水平線 | ナノ
◇ ナイルと河の街 後編

「なんだここは!!天国なのか!!!」


悲鳴に似た声を上げるシルヴィアの頭へと真っ直ぐに拳骨が下ろされる。割と力の入った。


「うるせえよ……」


ナイルは…想像以上にはしゃぐ彼女へと呆れた視線を注ぐ。

しかし今までに無いほどハイテンションの最中にいる友人には、ナイルの言葉など届かないようだった。


「ほ……本がこんなに一杯だと?なんだここの館の主人は大金持ちなのかっ??」

「まあ……これだけデカイ本屋だからな。金は持ってるだろ。」

「つ、つかぬ事を伺うが、これを読んでも良いのか…?」

「(なんだこの口調)あまり長時間立ち読みすると文句言われるけどな。基本的には自由に読んで良い。」

「すごいぞ!太っ腹だなあ!!」

「商売なんだから当たり前だろう……」


あまり、うるさくするなよ。ナイルは呟きながら近くの本棚から適当に書籍を選んで渡してやる。

分かっているよ、それくらいは。上機嫌な様子でシルヴィアはそれを受け取った。ありがとう、と礼を言いながら。


(なんでまたこんなことに……)


ナイルは唸り出したい気持ちを抑えながらゆっくりと本屋の高い天井を仰いだ。堆い書架が視界の端に映り込む。

視線の高さを元に戻せば、隣ではシルヴィアが…今しがた渡してやった本のうち、深い緑色の皮で装丁されたものを熱心に読んでいた。集中しているようである。


(まあ……なんというか。)


その様を一瞥して、彼も書架のひとつへと腕を伸ばした。流行のものが収められている棚である。目新しいものがほとんどだった。


(悪い気は…そこまで。)


本を開けば、インクの薬品臭さと真新しい紙の匂いが混ざったものが鼻をつく。

シルヴィアがすっかりと黙ってくれたお陰で、辺りは実に静かだった。賑やかな街のざわめきも遠く、微かなものに思えるほどに。





「素晴らしい場所だった!!街がこんなに面白い場所なんて!!!」


大量の書籍を内包した袋の重さも気にならないらしく、シルヴィアは…いつぞやの夕べと同じく興奮した面持ちでナイルに話かける。


(安い奴だな)


ナイルは呆れ半分、微笑ましさ半分で彼女を見下ろす。


(……………本当に、街に遊びにくるのは初めてなのか。)


それから…二人で歩む賑やかな通りで見かける何に対しても、子供のように新鮮な反応をする彼女の様子を些か忍びなく思った。

一体全体、シルヴィアという女はどんな幼少時代を、何を楽しみに過ごしていたのか。……人との接し方も、当然の娯楽も知らずに……



「ナイル、それじゃあ私はこれで」


少しぼんやりとしてしまっていた彼は、シルヴィアの言葉で我に返る。


「………え」

思わず呆けた声あげると、「今日は素敵なところに連れてきてくれて嬉しかったよ。また明日。」と言ってはさっさとその場を後にしようとする。

「おい……!」

思わず焦って、またその腕を掴んでしまう。彼女は不思議そうにナイルの方を振り向いた。


「………。お前、何かこの後用事があるのか」

「いや……別に。」

「それなら……疲れたのか。」

「とくに疲れてはいないよ。」

「まだ午前中だぞ」

「………うん?そうだね。」


ナイルは、ひと呼吸おいてから…「そんなに、早く帰りたいのか。」と尋ねる。

しかし…考えてみればそれは当たり前である。そもそも自分とシルヴィアはお世辞にも仲が良いとは言えない関係だ。

本来なら共に居る時間など一刻も早く終らせたいというものだろう。だから…こうしている今も、きっと奴は


「いや……早く帰りたい訳じゃないけれど。」

シルヴィアはナイルの心中をよく理解できないらしく、少し困ったような表情をする。


「このまま一緒にいる理由もとくに無い」


(理由)


ナイルは……彼女の腕を掴んだままで、その言葉を胸の内で何回か繰り返した。


「シルヴィア…。お前、腹は減っているか。」


そうして、唐突な質問。シルヴィアはきょとんとしながらも「うん。もうお昼時も近いからね」と答えた。


「…どっかで、飯を食うぞ」

「え…?」

「理由を作ってやったんだ。有り難く思え」


どういう訳か居たたまれない、こそばゆい気持ちになったナイルは再びシルヴィアの頭上に拳骨を落とそうとする。

しかしそれは彼女の空いていた掌で防がれた。


「頭の形が変わるからやめなさいよ」

「てめえの石頭をちょっとは柔くしてやろうとしただけだ」

「それはどうも……次はもっと優しい手段で頼む…」


ナイルが掴んでいた腕を離すので、自由になった手を…シルヴィアは差し出してくる。微かに笑っていた。

それを少しの間眺めた後、彼は小さな舌打ちをする。

シルヴィアは肩を竦めてから、残念な様子でその掌を引っ込めた。







「うむ!美味しい!!」


適当に入った喫茶店にて…オムライスを食べながら、シルヴィアはまたしても興奮した声を漏らした。

………ナイルからしてみれば、腹に溜まるだけでそこまで美味しいとは思わないのだが。



「そんなに美味いか…?」

自身の前にある料理をもそもそとつっつきながら、彼が尋ねる。


「ああ、勿論だとも…!第一温かいってだけで相当だ。
訓練場のものは配膳が終って口に入れる頃には大分冷めているだろう。あれはいただけない。」

「確かにあそこに比べればマシだが…そこまで感動するほどでも」

「ご馳走様!お代わり!!」

「………良く食うな。」


なんだか、ものをよく知らない小さな子供の相手をしている気分になる。

それにしても、ここまで楽しんでもらえたのなら…街に連れてきた身としてはやぶさかでは無い……


「……ああ…。それにしても、君は物知りなんだなあ。」


ようやく空腹が落ち着いたのか、食べるペースを先程よりもゆっくりとしたシルヴィアが感心した様子で零す。


「はあ?」

いつものように、『当たり前だ』とか『お前に比べたらそりゃな』とかあつかましい言葉を返すつもりでいたのだが…

シルヴィアの声が実に素直な響きをしていたので、遂々間抜けに聞き返すだけに留まってしまう。


「だって、色々楽しいことを知っているからさ。」

彼女は余程美味しいのか……幸せそうに一口分のオムライスが乗っかったスプーンを眺めながら言った。


「………お前が知らなさ過ぎるだけなんだよ。」

「そうかもね…。私は所詮田舎者だから……」


シルヴィアの反応が大人しいと、何だか物足りない気分になる。

ナイルはどう応えれば良いか分からず、黙って食物を口に運んだ。


「ああ……、うん。でも本当に美味しいな。」

「……そりゃ良かったな。」

「美味しいことは良い事だし……。誰かと一緒に食べると楽しいんだね。君じゃなければもっと楽しかった。」

「この野郎」

「嘘に決まってるじゃないか。あと、野郎じゃない。」


ナイルは手にしていたスプーンでシルヴィアの額を叩こうとするが、汚いからやめなさい、と非常に嫌そうな顔で避けられる。

理由もなく、馬鹿と罵れば馬鹿とはなんだ馬鹿とのことである。ナイルが唇を閉ざしたので、いつもの不毛な小競り合いには発展しなかった。



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