銀色の水平線 | ナノ
◇ ナイルと河の街 前編

(訓練兵時代)



「面白かった!!!」


……………すっかり訓練も終了し、皆思い思いの和やかな時間を過ごす夕食後の出来事である。

友人たちと実の無い話に興じていたナイルの元に、シルヴィアが何やら興奮してやってきた。


「…………おう?」


彼は訳が分からないという意味を込めて相槌を打つ。

しかしシルヴィアはおかまい無しに彼との距離を縮めてくる。更にはその無骨な形をした掌をはっしと掴んだ。


「君が貸してくれた本、すっごく面白かったぞ!!」


そう言ってはありったけの光の粒子を込めた薄い色素の瞳で、座っていた彼を見下ろす。

……ようやく事情が飲み込めたナイルだったが、彼女の勢いに気押されたのか「そ、そうか」と曖昧な反応しかできなかった。


「ああ……私は今まで君の事を限りなく爬虫類に近い矮小な生物としか認識していなかったよ……
まさかこんなにも清々しい感動を与えてくれるとは思っても居なかった…!
謝る、謝るともさ、君は今日からようやく私たち人間の仲間入りだ!!」

「俺は元から人間だこのバァカ」

「おおっとーそれはそれは……
私はまた無駄な知識を蓄えてしまったようだなァ」

「黙れブス」

「なんだとう」

「うるせえこれ以上俺の前で息を吐くな吸うな平たく言えば死ね」

「手厳しい奴だな爬虫類もどきに先祖返りしてしまえ」

「退化すんのはお前だお前なに馬鹿のくせに二本足で歩いてるんだよ」


ナイルは自身の掌を握っていたシルヴィアの指を振り払いつつ吐き捨てる。

彼女はとくにそれを気にした様子もなく、「そら失礼」と調子良く笑った。


「まあ……なんだ。何はともあれ良いものを貸してくれてありがとう。明日には返すよ」


ちょっとだけ肩を竦めてから、シルヴィアは変わらずに笑顔で言う。

ナイルは低く唸って一応の反応をした。


「……………。それじゃあ、また明日」


それを見届けてから、楽しげな様子で彼女は立ち去って行く。ナイルはしっしと追い払う仕草をその背面へとなげかけた。

そうして………相も変わらずの仲の悪い二人だなあ、と食堂にいた面々は遠巻きながら彼らの様子を面白おかしく観察していたのだった。



「………………。」


ナイルと会話に興じていた少年のうち一人が、小さく溜め息をしてかぶりを振った。

なんだ、というように彼の方へと視線を寄越すと、「お前は良いよなあ」と何やら不満げな発言。


「なにがだ」と声に出して尋ね直すと、「お前シルヴィアと仲良いだろ」とのことである。

気の所為か、言葉尻には少々の寂しさが入り交じっていた。


…………しかし、ナイルは非常に解せないと盛大に皺が寄ってしまった眉間を軽く揉む。

それから「そう見えるなら目の医者にかかった方がいいぞ」と呟いた。


「シルヴィアにフられたからってそうひがむなよ」

別の友人がその少年の肩をポン、と叩いてはケラケラと笑う。

しかし彼は殊更深い溜め息を吐いて項垂れるだけであった。


「…………!?あの白髪が好きだったのかお前…!!??
………いや、確かにここに女は少ねえがもうちょい選びようがあっただろ…??」

うわあ、お前趣味わりいなあとナイルは半ば感心したような反応をみせた。

それに対して少年はうるせー…と低くぼやいては、また共通の友人に慰められている。


「………それにしても、シルヴィアがあそこまで興味を覚えているなんて……一体なんの本を貸したんだ?」


少年の様子が落ち着いてくると、人の良い笑顔を浮かべた友人は興味深そうにナイルへと尋ねた。

ナイルは……少しの逡巡のあと、ぼそりと本の題名を口にする。


……短い沈黙。後、手前に座っていた二名の友人は同時に吹き出した。

実に癪に触る反応をされた故に、苛立ったナイルは草臥れた木製のテーブルを思わず拳で殴る。


「だってよ!!なんでまたそんな女が読むようなもん……っ」

未だ笑いの余韻を残しながら、少年は苦しそうに言葉を零す。

「いや…別に馬鹿にしてる訳じゃないんだ。………ふっ、ぶふ……
なんというか、お前の血の気の悪い顔から…ああいったキラキラとした恋愛小説の名が出るとなんとも……うへっ」


我慢しようとすればするほど笑いは堪えられなくなってしまうのか、友人二人は遂に腹を抱えてしまった。

ナイルは実にきまり悪い気分でそれを眺める。


「……………別に。俺が興味ある訳じゃねえよ……」


ようやく…二人の哄笑が一段落したので、ナイルはぽつりとした言い開きのようなことをしてみせる。

友人のうち、勘の良い方はピンと来たらしい。「ははあ」と訳ありそうな表情をする。


「………どっちにしろ、お前のキャラじゃねえな。」

彼の発言に対して、未だ状況を理解していない少年は不思議そうにした。


「好きな女の趣味に付き合ってわざわざ本買って、しかも時間割いて読んでるとはなあ。
意外や意外に一途な性質だよ、お前は」

「ああ……そういうことか…。例の酒場の手伝いの娘だっけ?
………なんだよチクショーお前本命いる癖にシルヴィアにまで手出してんじゃねえよ」

「あのババアに手ぇ出した覚えはねえよ、手を上げた覚えなら数えきれないが」


ナイルはひとつ溜め息を吐いて……シルヴィアが先程消えて行った食堂の入口をなんとはなしに見つめる。

現在その門は固く閉ざされていた。


(いつかに比べて、随分接しやすい奴にはなった。)


ナイルは…出会った当初のシルヴィアを思い出してみる。冷淡、無関心、非情とも高慢とも見える人を寄せ付けないその態度と共に。

それがあの日……奴が一週間以上に渡り消息を断ってはヒョッコリと再び現れ、
教官にこっぴどく叱られて鬼のような量のペナルティと引き換えに、兵士としてここに戻ったあの時……


そこからだ。


少しずつの変化ではあったが、著しく。

それが良いのか悪いのかは分からないが、取り合えずは軽口を叩き合えるくらいの仲にはなった。

他の訓練兵たちや教官も徐々に彼女との交流を深めてはいっている。


(だが)


依然として、その手の話になると水が退くように……。……………。


やはりあの容姿は目立つのか今でも時折、好意を寄せられている。奴は。

そういった気持ちから贈られたものを……燃やすことは無くなったが、代わりにまったくきっぱりと受け取らなくなってしまった。

捉え方によっては以前よりも頑な態度とも、考えられる。


(まあ、俺には関係の無いことなんだが)


ナイルは気を取り直して、すっかり別の話題に移っている向かいの友人たちへと視線を戻す。

自然と溜め息をしてしまった。

頭の中には、僅かに頬を紅潮させては例の…甘ったるい小説の内容を反芻しているらしい先程の彼女が……

自身の掌をしっかりと握って、感謝を伝えたシルヴィアの声が折り返し浮かんで、少しの余韻を残して消えていった。







その夜、時計の針が日付を超えようとしていた時間帯である。ナイルが再びシルヴィアに出会ったのは。

いや…正確には目撃した、というのが正しいのだろうか。


ぼんやりと白い輪郭を浮かび上がらせて、窓の外、対照的に黒い森の中を音も無く歩んでいる。

室内、相部屋の兵士たちはすっかり眠りについていた。故に、彼女に気が付いたのはナイルだけであった。


(………………。)


なんとはなしに、僅かに窓を開いてみる。初夏独特の生温い空気が肌に触った。

だが目線の先にいる不気味に青白い女の周りには、未だ冷たく厳しい冬の気配が立ちこめているような…そんな


やがてシルヴィアはナイルの視界を横切って、深い闇をたたえた樹々の奥へと消えていく。

……それをただじっと…真っ直ぐに伸びた彼女の背筋が見えなくなるまで眺め続けて、彼は目を細めた。


ゆっくり窓を閉める。耳障りな木の枠の軋みが伴って鳴った。細めた目をそろりと開いて、ナイルはそこから歩き出す。



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