銀色の水平線 | ナノ
◇ 雪とダイヤモンド 後下編

「…………今夜。来たのは、お前に渡すものがあったからだ。」


その反応を見て、リヴァイはようやく安心する。

本当はずっと前から渡したかった。機会も充分にあった。

言い出せなかったのは、この期に及んで心細かったからなのだろう。



シルヴィアは………沈黙の内に自身の左手、薬指を通っていく銀色の輪を見下ろした。

それから、ちょっとだけ笑う。


「少しきついね。」


そう言って指輪がはまった掌を視線の高さまで持ってきた。「外すのが大変そうだ……」と続けて。


「外せなくて良い」


リヴァイはその光景をどこか夢見心地な気持ちで眺めながら言った。


「外す必要なんかない」


中空を漂うシルヴィアの真っ白い掌を掴んで、指を絡める。

冷たい金属が触れあって僅かな音がした。


「………これから先、俺が死ぬこともあるだろう」


いつか言われて、ずっと自身の時を止めていた言葉を思い出しながら…一音一音を大切にするように言う。

シルヴィアは黙って耳を傾けていた。


「そうした時……もしもの時。俺のことは忘れて、別の人間と幸せになれとか言うのが世の中では美談とされているらしいが……
生憎俺はお前にそうは言ってやれない。」


部屋が静か過ぎる気がする。リヴァイの声はへんによく響いた。

掌が握り返されている。もっと強い力で、こちらからも。


「俺以外の人間と幸せになりたいと本気で思うのなら、この指を切り落としてからにしろ。」


シルヴィアの視線が、リヴァイの瞳から重なった掌へと移る。

…………先程かけてやった髪がまた下りてきて、その顔色を隠した。けれど…なんとなく笑っているような気がした。


「でないと……割に、合わねえだろ。……こんなもん。」


リヴァイの言葉は徐々に小さくなる。部屋にはやはり静けさが漂っていた。

そうして動くものは窓の外に降りしきる雪だけである。


「………分かったよ。」



シルヴィアがようやく顔を上げた。予想通り……笑っている。


「その通りだね……。外す必要なんか無いんだものね。」


その声はささやかだった。けれど充分によく聞こえる。

リヴァイの胸の内はやはりひどく堪らなかった。そうして身体の中から迸り続ける熱は絶える気配が無い。


対照的に外の青い灰色は心底寒そうだった。

けれど、きっと今年最後の雪である。これから少しずつ温かくなっていく筈だ。


「…………シルヴィア。」


名前を呼ぶ。良い名前だと思う。

そういえば、長い付き合いにも関わらず姓を知らなかった。知る必要も無いのかもしれない。もう、自分と同じものだ。


「何かな、リヴァイ。」


呼び返されて素直に嬉しいと感じた。

いつの間にか視線も元のように合わさっている。


「俺はもう……許されているのか。」


彼の言葉に応えて、シルヴィアが数回瞬きをした。

絞り出すように、もう一度繰り返す。


「お前に受け入れられることを……愛することを、俺は許されているのか。」


「……………………。」



またシルヴィアは黙った。

銀灰色の光彩が微かに揺れている。

彼女の一番弱い部分を自分は今、覗いているのだ。リヴァイはぼんやりとそんなことを考えた。



「…………意味が無い行為だよ。」


シルヴィアが首を緩やかに左右に振る。

白に近い色をした髪の毛がばさりとして、いつもの儚い匂いが香った。光を反射してちらちらと細かく輝いている。


「リヴァイ、知ってるだろう。私と君の間の愛情は何も育まない。」


明確に拒否されているらしい。しかし今のリヴァイはどういう訳か諦めることをしたくなかった。


「意味が無いからしないのか……。」


握り直した掌は何だか汗ばんでいる。

この時ばかりは、シルヴィアの皮膚も少し温く感じた。


「それならお前と俺がこうして、今までずっとしてきた行為も全部…否定することになる。」


年甲斐無く、何度も繋いできた掌が離れないようにしっかりと捕える。

シルヴィアの瞳がみるみると澄んでいった。初めて言葉の意味を知った子供に似て純粋な色をしている。


「これは……無意味なのか。違うだろう。」


追い打ちをかけて言えば、彼女はゆっくりと頷く。「……違うね」とリヴァイに続けて。



「それは違うね。………意味が無くても、きっとあるんだろう……。」


シルヴィアは変わらないで笑っている。けれども泣き出しそうにも見えた。

つくづく不器用な人間である。………いや、それは自分も同じか。



「……………。リヴァイ。私はね、さっきも言ったけれど君の事がとても好きなんだ。ずっと長いこと……。
あれ…でも、好きというよりは……。誰も愛さないと、愛されることだって無いって知っていたから…絵本の王子様に憧れるようにかな。」


君が王子様だなんてなんだか笑っちゃうよね。とシルヴィアはおかしそうにした。


「でも、奇跡っていうのが起きた。凄い………。まさかこんなことが、あるなんて。」


彼女の声が掠れていく。銀灰色の光彩の色が滲んで、その奥の黒い瞳孔もぼうとした。

それでもずっとシルヴィアは笑う。目を細めるので、溜まった涙が堪えきれずに溢れた。色が失せている頬を伝ってたったひと雫。


「なんなんだろうね……。でも、愛してもらえたことが信じられない。こんな幸せが―――私にも。
感謝なのだろうか。……気持ちには精一杯応えたいと……今は心から。」


そこで彼女は言葉を区切った。唇を弱く噛んでから、再開する。


「…………ありがとう。本当にその一言に尽きる………。」


………言葉の並びが支離滅裂だった。仕事柄会話が得意なシルヴィアにしては珍しいな…と思った。

けれど何が言いたいかは充分に理解出来る。リヴァイは深く深く、溜め息を吐いた。


そうして彼女の瞳の中にいる自分を真っ直ぐに見つめる。

僅かにまだ、涙の気配がする眼差しだった。


「………屈め。」


呟くと、シルヴィアは従順にそのようにする。

右手を後頭部に回してもっと近付けた。指の隙間に細い髪が絡む。吐息が近くに。



…………彼女は、非常に驚いて身体をびくりとさせた。

小さく声を上げる。………鉄の味が口内に広がった。責め立てるように行為が続いていく。


繋がっていた掌は一度離されて、シルヴィアは呆然とする間も無く身体を強く抱かれた。

あの時と同じだ。きっと彼はこの骨の内数本が使い物にならなくなっても構わないという程に、ひどい力を込めている。


肩に顔が埋められているらしく、固い髪の毛が触ってくすぐったい。

そう感じた直後、鈍い痛みがそこに走る。

………歯を立てられた。シルヴィアは堪らずに呻く。止まった筈の涙が生理的な苦しみから再び流れた。


一際強く、首筋を噛まれた。彼女は瞼をきつく閉じてそれに堪える。

そうして……如何に今まで自分が彼を傷付けていたかを改めて思い知った。


やはり、因果応報はある。


まったく身動きが取れない中、シルヴィアは辛うじてリヴァイを抱き返した。

「ごめんね」それから「ありがとう」と呟く。


元居た場所へとゆっくり沈められた。


そうして再び掌が繋がる。



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