銀色の水平線 | ナノ
◇ 雪とダイヤモンド 中編

「久々だな、この手をお前がするのは。」

「そうだねえ。腕が鈍っていないといいんだけれど。」

「…………偶には、誰か一人でも連れて行ったらどうだ。」


自室の鏡台前に腰掛けて慣れた手付きでシニヨンを結っていくシルヴィアの後ろ姿をぼんやりと見ながら、エルヴィンは言った。

石灰のように白い、はだけた背中に浮かび上がったふたつの肩甲骨。皮膚に沿って青い血管が微かに透けている。醇美と不気味の狭間を漂う光景だと思った。


彼女は髪を抑えながら振り向いてまじまじと旧知の友人を眺める。

………そうして口にくわえていたヘアピンでそこを留めてから、「どうした急に」と尋ねた。


「お前に何かあると困る。」

「心配してくれてるのか。優しいなあスミス君は」

「自惚れるな、俺にも迷惑がかかるからだ」

「………別に自惚れじゃなかろう」

「…………………。」


エルヴィンは黙って綺羅びやかに着飾った眼前の女性を眺めた。

……出会った頃とほとんど外見が変わっていないと改めて思う。

大理石の彫刻の如く泰然として、時間は止まっている。皮膚の温度や柔らかさも感じない女だ。


「今回に限ってどうしたの。いつだって私は一人じゃないか」


黙ってしまったエルヴィンにシルヴィアはおかしそうに話かける。

彼は緩やかに首を振った。「………お前は一人なんかじゃないだろう。」と続ける。


「お前は一人のものじゃないと言っている」


不思議そうな表情をしたシルヴィアに対して、エルヴィンは静かに言葉を紡いだ。


「シルヴィアはそれで良いのかもしれないが……残された者はどうするんだ。」

「誰だって誰かを残さない訳にはいかないんじゃないかなあ。
それにあまりうちの子たちに変なことをさせたくない。」

「………お前がいなくなれば、俺はそれなりに寂しい思いをする。」

「ほらやっぱり自惚れじゃなかった。
でもそれは私だって同じだよ、君がいなくなるのはすごく嫌だ。残されたら恨む。………だから、おあいこなんだ。」


シルヴィアは笑いながら立ち上がった。

そうしてエルヴィンの肩をぽん、と叩く。真っ白い絹の手袋に包まれた指には僅かな力がこもっていた。


「なにかあったのかな。いつもこういう時は見送りにも来ないじゃないか。」

「…………。最近嫌な予感ばかりする。」

「奇遇だな、私も365日嫌な予感しか覚えない」

「シルヴィア。」


いつものように叩かれた軽口を去なしてエルヴィンの語調が一段張り上がった。

シルヴィアは「ごめん」と謝ってから、彼の肩に乗せていた掌をやや痩けた頬へと移動させる。そうしてゆっくり口を開いた。


「…………いつもの信用できるツテに手伝いを頼んでいる。
人には得手不得手がきっとある、こういうのは専門家とやるのが一番良い。」

「お前はいつからそんなことの専門家になったんだ」

「私には才能があるからね。君には無い才能が。」


シルヴィアは唇に緩やかな弧を描きながらそこから指を離した。滑やかな白い絹の手触りが遠のいて行く。

エルヴィンは表情を固くしたままで「……リヴァイはどうなる。」と低く尋ねた。


「…………。あまり私を困らせないでおくれよ。
それになんだ……命令をするのはいつだって君だよ。やめろと言うのか、大いなる矛盾だな。」


彼女はちょっと肩を竦めてから、「行ってくるよ」と軽快な口調で言う。

エルヴィンはその方をまじまじと見た。…………着物を新調したらしい。恐ろしく似合っている、悲しいことに。


「なあに、ずっとどうにかなってきたんだ。今回だってうまくやるのさ。」


安心させるようにしているのか、シルヴィアは優しく目を細める。

エルヴィンは「………悪かった」と小さく言った。「気をつけて」とも。


彼女は友人に心を込めて感謝を述べた。それから長くて薄暗い、外へと続く廊下へと歩いてその場を後にしてしまう。


………残されたエルヴィンは改めて今いる部屋を眺めた。それから窓の外を。いつからか引き続いて雪が降っていた。







「お疲れ様でした。」


男は、部屋から出てきたシルヴィアへと声をかけた。彼女は「うん」と相槌を打って淡く笑う。


「後はいつものようにお願いね。」

「はい、心得ています。」

「悪いね。助かるよ」

「持ちつ持たれつです。貴方は私たちによくしてくれるから」

「そう言ってもらえるとなんだか救われるよ」


シルヴィアは苦笑してから、「…………私は帰るね」と目を伏せて言った。


「準備出来ています。屋敷の外に馬車が……あと十数分で。」

「流石気が回るね、素晴らしい。」

「そりゃあ……もう一緒に仕事をするようになって長いもんですから。」


頼りになるよ、と彼女は男に笑いかける。

そうして軽く別れを述べてその場を去ろうとした。………が、引き止められる。


「なにかな。」

不思議そうに振り向けば、彼は「手袋はこちらでお預かりしておきます。」と言う。


シルヴィアは自身の真新しく艶やかな手袋を見下ろしてから、細い眉をしかめた。


「やっぱり、避けきれなかったか。」


忌々しげに小さく呟く。そうしてそれを両腕とも外して男へと渡した。







(…………寒いな。)


屋敷の外、大仰な石の門にもたれて馬車を待ちながらシルヴィアは思った。

…………勿論外套は身につけている。しかし手袋を外した所為で深々とした冷たさが身体に応えるようであった。


(雪も、降っている。)


細かく乾いた雪が暗闇の中で輝く光景を、ぼんやりと眺めながら息を吐く。白い。

……嫌いな色だ。これが混ざればどんな彩色でさえ濁る。

純粋の代名詞のような顔をして、ひとつでも染みが出来れば非常に汚らしく見えるのだ。


周囲の白を視界から消す為に、彼女は瞼を下ろす。

しかし……すぐに開けた。微かな人の気配。

………屋敷の中では宴もたけなわの筈。こんなところに出てくるものなど。


「……………………。」


シルヴィアは目を細めて、気配の元を見た。

にっこりと笑い、「今晩は。」と声をけかる。


「…………。こん、ばんは。」


少年は恐る恐る挨拶を返した。……まだ十才にも満たない筈である。

愛らしく美しい外見をしている。衣装を変えれば少女と言っても充分通るだろう。


「どうしたの、こんなところにいたら風邪を引いてしまう。早く戻りなさいな」


シルヴィアは………この少年が誰だか分かっていた。

その顔にはありありと面影を感じることが出来たから。


少年は黙っている。しかし真っ直ぐに彼女のことを見上げていた。

透き通った水色をした瞳である。無垢。その一言に尽きる。なんていう目をしているんだろう。


「それとも、私に用事がある。」


シルヴィアは優しく尋ねた。

………早く馬車は来ないのか。胸の奥のざわめきを目の前の少年に察せられないように、穏やかに。


「……………。お父さんが。」


彼のか細い声が、降りしきる雪を合間を縫ってシルヴィアの元へと届いた。

…………そう、と彼女は呟く。そうなの。と続けて。


「貴方が……したんですか。」


少年は続けた。本来真っ白であろう頬が寒さと緊張から赤く染まっている。

シルヴィアは黙ってそれを眺めていた。


「貴方が、僕のお父さんを殺したんですか」


あどけなく澄んだ言葉は、か細いながらもはっきりと響く。

シルヴィアは微笑んだ。少しの間、黙って美しい少年を見下ろす。二人の間には一定の感覚で粉雪が降り続いた。


「まさか」


やがて彼女は言った。それから緩やかに首を振る。


「でも……貴方が部屋から出て行った直後のことです。………血が。」

「………彼は身体に弱いところがあっただろう。喀血したのは今回が初めてでは無い筈だよ」

「喀血じゃなかった……!」

「いや、喀血だ。そのようになる。」


シルヴィアは一歩、彼の方へと足を踏み出す。……それに合わせて少年は後ろへと退いた。

また一歩彼女が歩を進める。少年は動けずにいた。やがて二人の距離は無くなる。シルヴィアは膝を折って、彼の低い視線と自らのものを同じ高さにした。


「…………君は選択を誤ったね。
私のところなんかに来ないで、すぐに使用人やお母さんにこれを伝えにいけば良かったんだ」


そうして耳元で囁く。柔らかい声、しかし無意識にひどい冷たさを孕ませている。


「もう今頃は何もかもが片付いている。
………私は日頃の苦労も相まってそれなりに信用がある人間だ。いたいけな子供の君よりも、周りを納得させる力を持っている。」


その淑やかな言葉を打ち消すように轢の音が響いた。

………馬車がやってきたのである。シルヴィアを迎える為に。


「でも………。君がどうしても自分の真実を信じるのなら、私に復讐しにおいで。
………付き合うよ。最後まできちんとね。」


馬車が二人のすぐ傍へと止まる。シルヴィアはそれを一瞥してから少年の柔らかい栗毛をぽん、と撫でた。


「坊や、大いなる志を持つと良い。」


笑って、彼女は吸い込まれるように真っ黒な馬車の中へと消えて行く。

重たい車輪を引き摺りながら、来たときと同じ様にそれは遠ざかった。

少年はただそれを眺めていた。ずっと、汚い泥色の轍が雪に覆われて白く消えるまで。



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