銀色の水平線 | ナノ
◇ ハンジとナナバと散歩する 後編

「本当に……良い天気だ。」


シルヴィアはどこがぼんやりとして、長い廊下に光を投げ掛ける連なった窓を見つめた。

久々に医務室を出てみると、慣れた調査兵団の公舎でさえ新鮮に思えるものである。


ナナバは…普段見る機会の無いシルヴィアの旋毛を眺めながら「そうだね」と相槌を打った。

………幾分か首が細くなったような。無理もない、ずっと寝たきりだったのだ。

それを思えば、ハンジが無理矢理食事をさせていた行為はあながち嫌がらせでは無かったのかもしれない。


そして病室の白に埋もれて色を失って見えた彼女の体も、外に出ることで少しずつ色付いていくようで安心する。

正直……壁外調査後の沈んだ空気をいつも明るくしてくれる人間があの様では困るのだ。


(シルヴィアが活躍する数少ない場なんだからね)


こういうときに、女性を副団長に据えたキース元団長の判断は中々に正しかったのだと思う。


(いや…女性だからというわけじゃないか)


「ねえおばあちゃん」

「脈絡無く罵倒するんじゃない。このあほ」


何とはなしにシルヴィアに語りかければ気の抜けた返事をされる。

満足してナナバは微笑んだ。


「ああ…でも確かにおばあちゃんみたいだよ、シルヴィア。車椅子に座ってると。」

ハンジもまたシルヴィアを乗せた車椅子の隣に並びながら笑う。


「君等はどうしてそう怪我人をいじめるんだ…!治ったら仕返しするぞ」

彼女はうんざりしながら呟いた。相変わらず年齢のことを言われると機嫌が悪くなるようだ。


「シルヴィアが養老院に入る頃になったら……また私が毎日お見舞いに来てあげるから安心してね!」

「その頃には君も同じく養老院の中の年だ、このどあほう」


シルヴィアは憎まれ口を叩いてはいるが、正直生来明るいハンジの性質には救われていた。

こういう人間が次世代を引っ張っていって欲しいとすら思う。


……今回の壁外調査でも多くの部下を失ってしまった。だが…まあヒルデは無事だった。それは良かった。


自分はそれなりの地位にいる。仲間の死を悼みはするが悲観に暮れる事でいたずらに周囲を消沈させてはいけない。

悲しいのは皆同じなのだから、と………。







「…………シルヴィア副長だ」

外に至るまでの廊下にて、彼女の姿を認めたエルドが数回瞬きしてから急いで寄ってくる。隣に居たグンタもそれに続いた。


「大怪我したって聞きましたけど大丈夫ですか!?」

「いや、無事で何よりです。貴方が溜め込んだ書類が我々の方に回されると困る」

「困るのはそれだけなの、薄情な子たち」


車椅子の肘掛けに頬杖をつきながら、シルヴィアはじっとりとした視線を二人に向けた。

……彼等とはリヴァイを尋ねる時によく顔を合わせる。若いながらもしっかりとした……否しっかりとし過ぎた性質の兵士たちだ。


「……………。そんなことないですよ。死にかけていると聞いて正直ひやりとしました。」

エルドが軽く溜め息しながら言う。

「心配かけてごめんね。でもお陰様で渋とく生きてるよ」

「流石害虫並みの生命力ですね」

「グンタ君は割とひどいよねえ」

「自身の日頃の行いを顧みて考えて下さい」

「さあ………?」


シルヴィアがにやりともにこりとも付かないいつもの笑みを描けば、二人は呆れたように顔を見合わせた。


「まあ…怪我も悪いことばかりじゃない。仕事を気持ちよくサボれるからね。」

「だから貴方の仕事はしっかり残っていますってば。回復したら覚悟しておいて下さい」

「あはは……」

「おいグンタ、この人笑って誤摩化そうとしてるぞ」

「よおしナナバ、ハンジ!ずらかるぞ急げ!!」

「合点」

シルヴィアの指示によって三人はエルドとグンタが止める間もなくその場からいなくなってしまった。

………やけに楽しそうな上官たちの後ろ姿を眺めて、二人は何だか心持ち…おかしくなる。


「………元気そうで何よりだ」

エルドが顎髭を軽く撫でて呟いた。


「あの人は少し元気が無くなるべきだ。そろそろ年相応になって欲しい」

エルドは軽くかぶりを振ってそれに応える。


「明日くらいに見舞いに行くか、グンタ。」

「ああそうだな。病室でも書類仕事は出来るだろうから…土産代わりに持っていこう」

「容赦ない奴」


談笑を交わしつつ、二人もその場からゆっくりと歩き出した。







外へ通じる入口へ向かう途中、多くの兵士がシルヴィアに声をかけた。

その度に止まって話し込むのでなかなか目的地に辿り着かない。

皆一様に無事を喜んで…時には涙ぐんで…くれるものなので、正直彼女は驚いていた。


「私はそこそこ愛されているんだろうか……」

と思わずぽつりと呟けば、ナナバが「またまた…」と苦笑する。


「その通りに決まってるじゃないか。皆君の事が大好きなんだよ」

いとも簡単に返された直接的過ぎる褒め言葉が恥ずかしくて、シルヴィアは軽く咳払いした。

その様を眺めていたハンジが「シルヴィア、顔赤いよ」と見逃さずに指摘する。



「あ…シルヴィア副長」

ようやく公舎の正門をくぐって外へ出た時に、またしても呼び止められた。


三人の眼前ではペトラが大きく綺麗な瞳を驚いたように見開いている。

掌には薄紅色の山茶花が束となって収まっていた。

清楚な形をした花と愛らしい彼女の雰囲気はとてもよく似合っていて、眺めるシルヴィアたちは三者三様に感心してしまう。


「今ちゃんと束ねてから医務室の副長のところに持って行こうと思っていたんですけど…まさか今会っちゃうなんて」

びっくりさせようと思ったんですけどね、と少し残念そうにペトラは言った。


「山茶花かあ…そういえば今年見るのは初めてだなあ」

綺麗だね、とナナバが静かに笑いながら感想を述べる。


「わざわざ摘んで来たの?君もほんとシルヴィアが好きだね」

良かったねおばあちゃん、とシルヴィアに笑いかけたハンジの額は拳骨で叩かれた。基本的に懲りるということをしない人間である。


「いえ……あの、そういうのでは。ちょっと外に出たときに綺麗に咲いているのに気付いて……
それで副長の面会謝絶が最近解けたって聞いたから……!」

どういう訳か慌てて弁明を始めるペトラの仕草ひとつひとつが、シルヴィアにはいじらしくも可愛らしくも感じられた。

傷口に響かない程度の声で笑ってしまう。



「山茶花かあ、かわいい花だね。少女時代を思い出すよ…訓練場の端に確か咲いていた。
ペトラ君にとてもよく似合っている」

シルヴィアの視線はペトラの頭を通り越して、青く澄んだ空に向けられる。

冬の冷たい空気に浸されて、冴えに冴えた色をしていた。


「シルヴィアにも少女時代なんてあったんだ。変なの」

ハンジは額を軽く擦りながら零す。……シルヴィアはもう怒る気力が無くなっていた。


「あるに決まっているじゃない。それはもう山茶花のように愛らしい少女だったよ」

「……………。それって何年遡った頃の話?50年位前?」

「流石に50年前は生まれていない」

「ハンジ分隊長、女性に年のことを言うのは……その、失礼ですよ。」

二人の会話の合間、ペトラが遠慮がち言う。ハンジは思わぬ人物から諌められたと意外そうな表情をした。


「でもシルヴィア副長が元気そうで良かったです。すごく…本当に安心しました。」

ペトラはにっこりと可愛らしい笑みをする。しかし、その表情にはどういう訳かもの悲しさが漂っていた。


「…………ペトラ君?」

それに気が付いて、シルヴィアは思わずその名を呟いた。


「足止めしちゃってごめんなさい。私は医務室にこれを生けておきますから…ゆっくりしていって下さいね。」

失礼しましたと礼儀正しくお辞儀をして、彼女は三人の脇を通り過ぎて行ってしまう。

花束を大事そうに抱える姿はとても可憐で、後ろ姿すらもまるで絵画の中から抜け出して来たような楚々たる雰囲気があった。



「行っちゃった……」

しばらくしてハンジがぽつりと呟く。


「………良い子だね。」

ナナバも続けて発言する。シルヴィアはそれに応えて「ああ…良い子だよね、とても。」と頷いた。


「シルヴィアって………意外や意外にモテるよね。一体どんな老獪な手段を使って若い子を虜にしているのさ?」

ハンジが心底不思議そうにシルヴィアを見下ろす。

「失礼な」と彼女は軽く睨み返した。


「理由なら単純明快じゃないか……」

進もうか、お願いするよ。とシルヴィアはナナバに頼む。

一行は冬晴れの下を再び歩み始めた。


「私も皆の事が大好きだからね」


シルヴィアの言葉に、二人は何も返事をしない。

しかし何だかこそばゆく、幸せな気持ちでそれを聞いていた。



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