◇ リヴァイと手を繋ぐ 後編
『恋人は、いるのか。』
『居ないよ。これからも作るつもりはない。』
『何故。』
『だって、死んでしまったら悲しいじゃないか。』
今でも…その言葉を思い出す度に辛いばかりである。
彼女の口から厳然とした、自身以外の愛しい人間の存在を語られるほうが余程ましだった。
それならばいっそのこと諦めもつくというものなのに。
…………いや。これ以上に想うのは、むしろやめた方が良いのかもしれない。
その方が楽に違いない…。このことで気持ちを煩わせるのは、傷付くのはもう
ふと、リヴァイの身体によく知った感覚が触れていくのが分かった。
数日ぶり……しかし随分と久方ぶりのような気がして、懐かしい。
「…………リヴァイか。」
続いて掠れた声が吐息と共に漏らされた。
息も絶え絶えらしく、黄泉の向こうから聞こえてくるような響きを持っている。
「ひどく落ち込んでいるな。」
彼女はぎこちなくリヴァイの頭髪を撫でていた掌を少し下ろして、彼の頬へと触れた。
そこでようやく瞳が合った。
……瞼を開くのも辛いらしく半眼となってしまっているが、相変わらず薄い色で瞳孔のみが中心に黒くある。
「なにか……悲しいことがあったのかな。かわいそうに……。」
真実に心配をしている仕草で、シルヴィアは頬に掌を留めてやったままで尋ねた。
リヴァイは……口を効けないでただ彼女をじっと見ている。
辺りは既に暗かった。灯るランプの橙の光だけが、今この世でただひとつの光源の如く眩しく感じられる。
「夢を見たよ………。」
リヴァイが何も応えないので、彼女は触れていた指を離しながら独り言のように言葉を続けた。
「すごく小さいときの夢だ。……寒くて痛くて仕様が無い。
……………。覚めて、良かった。もう寒くない。」
だけども痛いのはそのまんまだな…と呟いてシルヴィアは目を閉じた。
耳が痛い程の沈黙が蘇る。リヴァイは唐突な不安に襲われて「おい」と声をかけた。
「何かな」
シルヴィアは瞳を閉じたままで返事をする。………ひどく安堵をした。生きている。
「…………私は少し寝過ぎたらしいね。」
彼女はそのままで零した。やっとの思いで開けたらしい瞳で周囲をそろりと見渡している。
「その通りだ……大馬鹿野郎。三日の間どれだけ迷惑被ったと思っていやがる」
「三日か。……それはそれは。…………。おはよう、リヴァイ」
彼女は精一杯笑おうとしているらしい。しかしそれはうまくいっていない。
痛々しいその様子に、リヴァイの胸の内には鈍い痛みが走った。
「……………。気分はどうだ、この死に損ない」
「ひどいことを言う。そりゃあ……もう最悪だよ。全身が痛いし不機嫌さんは相変わらず不機嫌だし……」
「誰が不機嫌さんだこのくそばか」
シルヴィアは弱々しく笑い声を上げた。しかしすぐに止む。傷口が痛むのか。
そうしてリヴァイは握っていた彼女の掌が力を持つのを感じた。
……どうやらシルヴィアは自身がずっと繋がれていたことに気が付いたらしい。
「痛い。堪らないな。」
「少し我慢しろ……。てめえはそれだけの馬鹿を踏んだんだ」
「言う通りだ、反省しているよ。………それにまあ。痛いという事は生きているという事でもある……」
リヴァイはその掌を精一杯握り返してみる。シルヴィアの表情が少し安らいだ気がした。
「生きていて……良かった………。」
シルヴィアはぽつりと呟く。
………ありがとう。ともう一声。誰に対する何の感謝かはよく分からなかったが。
「リヴァイ、状況を……。私が寝てからの事を教えて欲しい。」
しかしすぐに彼女から弱い心は見えなくなった。
微かながらも聞き取りやすい響きで言葉は紡がれる。
「……ヒルデは。彼は平気なのか。他の……私の仲間は…」
次にシルヴィアが気にかけたのは部下の安否だった。
やはり…先ほどまでの危うい不安定さは跡形も無く消え去ってしまっている。
「ひとまずのところヒルデは無事だ。多少の負傷はしているが………」
あとのことは書類にまとめてお前の机の上に置いてある。そう言えば彼女は淡く息を吐いた。
また、瞼が下ろされる。
「そうか。…………分かった、回復次第処理しよう。迷惑をかけたね……すまなかった。」
瀕死にも関わらず、シルヴィアは兵士の役割に忠実だった。
どこかの眼鏡が言うように変なところで変に拘る。それはリヴァイを堪らなくさせるときがあった。
(また…………)
彼は、命を繋ぎ止めた一応の上官のことを眺める。
白い顔だ。まるで知らない人間のようにも感じた。
(…………遠い。)
それなりに、信頼関係は築けている筈である。
しかし……まだ、同じ場所にいることは許されていないようだ。
何が、何がそんなにもこの女を一人に…孤独にしているのか。
「シルヴィア。」
名前を呼べば、彼女は少々驚いたようにこちらを見た。
それから引きつってしまう笑いを浮かべながら、「どうしたの。君が私の名前をちゃんと呼んでくれるなんて珍しいなあ」と零す。
「呼んだら悪いか、このクソババアめ」
「いけない、呼び方が戻ってしまったよ。
………いや。とても嬉しいよ……。だからもっと呼んで欲しい…」
シルヴィアは空いている方の手で今一度リヴァイの頬に触れた。
彼女の動きに合わせてシーツに畝って広がる髪が、一本ずつランプの灯りに反射して光っていた。
「私が寝ている間。君が傍に居てくれたんだね…」
緩慢に、自分の声を確かめながらシルヴィアが言う。
瞳は橙の光が映り込んで温かな色をしていた。
「いや…ほとんど傍に居たのはエルヴィンだ。」
「そうか。…………。彼にはいつも迷惑をかけてしまって本当に申し訳無い。
私はこれでも奴の先輩なのに………」
シルヴィアはひどく残念そうに言った。細い眉が少々しかめられる。
「でも……リヴァイ。私は目が覚めた時、君の顔を見てとても安心したよ。」
彼女の指先がリヴァイの頬から髪の毛へと移動し、芯の通った固めの黒髪を梳いた。
…………彼はそれを聞いて感じながら、エルヴィンが去り際に言ったことを思い出す。
『シルヴィアは少し寂しがり屋なところがある。』
『目を覚ました時に、誰もいなかったらきっと……不安がる。』
『お前がいてやれば喜んでもくれるだろう』
一体これに、なんの意味が。
「本当に嬉しい。傍に居てくれて、ありがとう………。」
彼女は儚くそう締めくくった。
それがまた、向こう側へと旅立たれる前触れに思えて仕方が無く……リヴァイは焦る。
思わず握った手に一段と強く力を込めた。
「お前は……やっぱり大馬鹿野郎だよ。」
「そうかな。」
「馬鹿なんだ、馬鹿。」
「ひどいな。怪我人なんだ、労って欲しい。」
「………馬鹿が。」
「それは……悪かったよ。ごめんね。」
その後また……二人は沈黙した。手は変わらずに繋がったままで。
ランプの周りには何処からか数匹の蛾が集まって、音も無くふらふらと浮遊している。
リヴァイはゆっくりと瞼を下ろした。シルヴィアはそんな彼から掌をそろりと遠ざける。
………ようやく安心出来たのか、リヴァイは少しの眠気を感じた。
閉じた瞼の裏は熱を持っている。
そうして……諦めるなどと、想う事をやめるなどとやはり不可能に違いがないことをまざまざと思い知った。
この人間を愛している。
今更変わることなど出来はしないのだろう。
………繋いだ掌は、やはり冷たい。
いつになったら自分の体温が移って温かくなってくれるのだろう。
これでは熱を奪われるばかりで、どうしようもない。
浅く微睡んでいく彼の耳にはまた微かな歌が届く。
低くも高くも無い声で、暗い曲調、けれど優しい音色だった。
もし彼女が出来ないというのなら 私は答えましょう
少なくとも彼女が努力するだろうことを
私に知らせてください
そうしたら彼女は私の真実の恋人になる
そうしたら彼女は私の真実の恋人になる
リンゴ様のリクエストより
壁外調査で負傷したのを見て慌てるリヴァイで書かせて頂きました。
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