銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイと手を繋ぐ 前編


山を下りて行くのなら

そこに住むあの人によろしく伝えて下さい

彼女はかつて私の真実の恋人でした


彼女に私のために亜麻布のシャツを作らせてください

縫い目も細かい針仕事もなしに

そうしたら彼女は私の真実の恋人になる


それを楓の小道で織るように言って

そしてそれを花の籠に集めるように

そうしたら彼女は私の真実の恋人になる




雨音を背景に……細長い部屋の奥から微かな歌がしていた。


……………なるほど、奴はいるらしい。

リヴァイは小さく舌打ちをしてから遠慮をせずにずかずかと中へと踏み入る。

突き当たって、煙って白くなった光が大きな窓から差し込む場所に至った。歌は止む。

そうしてパセリ、セージ、ローズマリーにタイム等の鉢の奥からシルヴィアが彼の方へとゆったり視線を向けた。


「おお…リヴァイだ。」


そう言って彼女は自身の頭と大体同じ高さに下がっていた鳥籠の扉を閉める。

中にはインコが二羽収まっていた。それぞれ色と模様が微妙に違う。


「おお…リヴァイだ、じゃねえよ。念のため様子を見に来たらこれだ。
そろそろ行かないと開門に間に合わねえぞ」

呑気なその態度に彼は多少苛立ちながら告げた。

彼女はもうそんな時間かあ……と呟きながら脇の机に放られていたクロスタイを自身の襟に回して留める。

黒くて艶があるものだった。留め具は菱の形を銀色に反射している。


「今度は鳥か………」


その様子を見守りつつ、リヴァイが呟いた。


「うん。ほら……エルンストのものだよ。心が優しい子だったからね、その鳥も大人しくて扱いやすい。」

黒い毛玉のほうとは大違いだ、と溜め息を吐いてから…シルヴィアはリヴァイの方へとおかしそうな笑みを向ける。

しかしリヴァイは一緒になって笑う気分にはなれなかった。


少しの間、鳥を観察する。

一羽は自身の羽毛に埋もれて眠たそうで、もう一羽は先程シルヴィアが中身を代えてやったらしい水皿の様子をせわしなく観察していた。


「…………ああ。」

リヴァイの様子に何か思い当たったように彼女が声を上げる。


「心配しなくて良いよ。
いざとなればあのクソみたいなヒゲのところのチビちゃんがもらってくれる。毛玉のほうもね。」


シルヴィアは旧知の某師団長のことを忌々しげに形容しながら言う。

しかし、リヴァイの心持ちは苛立ちを募らせるだけだった。


…………いざ。いざとは、何を指している。



「お迎えありがとう。リヴァイは昔から変わらずに優しいなあ。」


シルヴィアは頭ひとつ分低い、リヴァイの黒々とした頭髪に触れる為に掌を伸ばした。

………させるがままにしてみる。拒否されなかったのが嬉しいらしく彼女は目を細めた。



「動物が好きなのか」


離れていく長い指のしなやかさを名残惜しく思いながら、リヴァイが尋ねる。


「育てるのが好きなんだよ、植物も動物も。……愛情をかけて大切にするのが。
生の喜びを教えてもらえる。」


だが…それもきっといずれ


その後の言葉は聞き取れなかった。沈黙の隙間に雨音が忍び込む。



「行こうか」


シルヴィアはリヴァイへと手を差し伸べた。………無言のまま繋ぐ。相変わらず冷たい。

狭い通路を掌を引かれて歩んだ。彼女はまた小さな声で歌う。



それを向こうの乾いた井戸で洗わせて

水が湧き出ることも雨の雫がふりこむこともない井戸で

そうしたら彼女は私の真実の恋人になる

そうしたら彼女は私の真実の恋人になる








雨は壁外にもしとどに降り続けていた。

最悪の視界の中、薄闇の重く湿った空気が辺りを取り巻く。



「リヴァイ……!!」


それらを切り裂いて、悲鳴に似たハンジの声が彼の耳へと飛び込んで来た。

リヴァイの顔が肉眼で確認できるほどまでになると、ハンジは乗っていた馬を捨てて駆け寄ってくる。


……………普通では無い形相だった。

雨か冷や汗かそれと別の何かか、その頬には水滴が次々と滑っていく。

いつもの飄々とした態度が嘘の様に…全くの余裕が感じられないままハンジはリヴァイの傍までやって来た。


「シルヴィアがっ今……怪我、して。」


真っ白く吐き出される息の合間、途切れ途切れに言葉を吐き出す。

それを聞きながら、リヴァイは身体の芯が凍っていくような心地になった。


嫌な予感が。それ以上を聞くのがひどく恐ろしいそんな予感が。


しかし遮ることも出来ないままでじっとする。

ハンジは震える手でリヴァイのぐっしょりとしたマントを掴んだ。



「血が………もう、駄目なんだ。止まらない……」



やがてハンジの声は、なにかの限界を越えてしまったらしくひどく弱々しくなっていく。

リヴァイは身体が全部凍てつく石になった気分でそこに立っていた。


「どうしよう……彼女、どんどん白くなって」


濡れて黒くなった布を握るその指は、寒さと恐怖からか蒼白である。

そして爪の隙間には血液が辛うじて雨に流されずに付着していた。

恐らく今しがたまでシルヴィアの応急処置をしていたのだろう。


あれの血だ。違いない。

なんだ………、一応血は赤かったのか。


焦燥で真っ白に染まりつつあるリヴァイの脳内の片隅では何故か、場違いに呑気な考えが浮かんだ。



「もしシルヴィアが死んじゃったら……、嫌だよ。どうしよう……、そんなの、」


しかし彼以上にハンジがパニックを起こしていてくれたお陰で、気持ちが平静になる。

……………ハンジはシルヴィアを好きなのだろう。いつも困らせてばかりいるが、母親のように彼女を慕っていた。


自身のマントを掴む掌を上から強く握ってやる。……少し、その茶色い瞳が惑って揺れた。



「落ち着け。負傷くらい珍しい事でもなんでもないだろう」

「だって…シルヴィアがあんなにひどい怪我するのなんて今まで無かった……。何で……どうしてこんな」

「……どんな手練だって死ぬときは死ぬだろ。」


言ってみて、これはなんて残酷な言葉だと思った。……しかし構わずに続ける。


「それとも……何か理由があるのか。」


段々と落ち着いたらしいハンジはリヴァイのマントを掴んでいた掌の力を緩めた。

それから深呼吸をする。


「…………分からない………。でも、ヒルデがずっと彼女に謝ってる。憶測だけど、多分。彼を庇った。」

「ババアを負傷させた巨人はどうした」

「討伐済み……。シルヴィアが項を削いだ。
死にそうだったのに、いつもみたいに几帳面に教本通りのやり方で。」


変な所で拘りがあるよ、あの人……とハンジが呟いた。

取り乱されていた精神は安定したらしいが…それと同時に強い疲労を感じているようである。


「怪我の状態はどうなんだ……」


リヴァイの声は低く囁くに留まるくらいに小さかった。

ハンジは頷いて答える。


「何とも言えない……。出来る限りのことはして一応、生きてる。
でも時間の問題かもしれない。………とても危険な状態…かも。」

「帰還命令が先程達したな……」

「うん、この雨だ。それが懸命だね」

「なら今はてめえが生きて帰ることに全力を尽くせ。取り乱すな、みっともない」

「……うん、悪かったよ。……………。リヴァイは凄いね、いつも冷静で。」

「………………………。」


その後、リヴァイは口を開くことは無かった。

現実感がまるで伴わないのが……正直なところである。


たった数時間前まで、喋っていた。触れてくれた。……手を繋いだ。

あれがいなくなるなんて、とても…………


何かの悪い夢である気しかしない。


激しく泥を打つ雨音に混ざって、また微かな歌が……聞こえたような。



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