銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイとお茶をする 後編

シルヴィアは白いシャツに一枚カーディガンをひっかけた、実に簡素な格好でリヴァイの前に再び現れた。

本当に脱ぐのは一瞬だったらしく、先程から10分も経過していない。


何やら……上機嫌で白い厚紙の箱を渡してくる。

受け取ると微かに香ばしい匂いがして、夜も更け空腹を感じていた彼の身体には染み入るようだった。


「この前はありがとう。お礼を持って来たから一緒に食べよう」


シルヴィアは柔らかく笑いながらそう言う。

彼女の顔右半分はランプの橙色にぼんやりと照らされて、髪の一本一本が涼しげに光っていた。


この表情がリヴァイは嫌いではない。

しかし同時に、胸の内のどこかが気付かれぬうちに削がれていったような…喪失感と鈍い痛みがもたらされる。



そうして、今夜ここにいたのが自分以外の誰かでも彼女は同じように温かい言葉、笑みをかけていたのかと考えた。


きっとそれに違いない。

卑しい奴と口では言っているが、これの本質が甘く何よりも優しいことは知っていた。

褒めているわけではない。救いようの無い彼女の性分なのだろう。


しかし…ただ優しいということは、ひどく残酷であるとも思った。

皆を愛する事は誰も愛していない事に似ている。何者も彼女の特別にはなり得ない。


いつだって誰にだって優しいのなら、自分も想われて大切にされている大勢のうち一人に過ぎない。

だから、俺はシルヴィアが嫌いだった。憎んですらいるのかもしれない。







「……………明日は雪だ。」


シルヴィアがぼんやりと、リヴァイが座する隣に用意された椅子の中で呟いた。

湯気が立つカップの取手を持ち上げている指も中空で不安定に留まったままである。


「何故分かる」

リヴァイが皿の上に盛られたアップルパイをフォークで切り取りながら尋ねた。


「だって……君が私に紅茶を淹れてくれるなんてさ」

「お前の為に淹れた訳じゃねえよ」

飲むものが無いとキツい、ついでだ。と非常に愛想無く言われて、シルヴィアはふうんと相槌を打ってはようやくカップを口に運んだ。

それから…しかしうすいな…と呟くので嫌なら飲むな、とリヴァイは眉をしかめる。

嫌な訳ないよ、と真顔で弁明されたので調子が狂った。しかし悪い気はしない。


「私は君の為に作ったんだけどなあ……」

シルヴィアもまた自分用のアップルパイにフォークを入れた。さっくりと微かな音がする。


「別に頼んじゃいねえよ」

「何故そうつれない」

「てめえが嫌いだからだよ」

「悲しいなあ…。涙で折角のパイがしょっぱくなるよ」


シルヴィアはまったく悲しくなさそうに零した。


リヴァイはそれには何も応えず、むっすりとフォークを口に運ぶ。

………美味い、と純粋に思う。食べ物は無罪なのだろう。作った奴がどんなに気に食わなくても。


「でも……。この前は来てくれて嬉しかったんだよ、ありがとう。」


軽く目を瞑ってシルヴィアが言った。

何を考えているのだろう。よく分からなかったが、とにかくその表情は安らかである。



「………今日は一人だったのか」

リヴァイがすっかり皿の上のものを食べ終えてから尋ねた。

紅茶を一口飲む。別に薄くはないと思う。こいつの舌がおかしいだけだ。


少ししてシルヴィアがうっすらと瞼を開き、空になった彼の皿を見る。

分かりやすく嬉しそうな表情をされるのが何だか気恥ずかしく、いつかの仕返しとばかりに頬をつねってやった。

彼女は抵抗はせずに、余計に喜ぶだけである。


「………うん、一人だよ。小さい夜会だったしね。」

離されたシルヴィアは、紅茶を飲みつつ答えた。


「誰か連れていけよ。……俺たちの時みたいに」

「まあ……急なことだったから。都合がつく子もいないと思って。」

「命令すれば良い。一人くらいどうとでもなるだろう」

「どうしたんだ、薮から棒に」


私はいつだって一人じゃないか、と穏やかに零して彼女はアップルパイの最後の一切れを口に運んだ。


彼女が咀嚼し、嚥下して無機質に白い喉が微かに動くのを見守る。

やはり、胸のどこかが気付かれない内に削ぎ落とされていくような。


思わずリヴァイは左胸に手を当てる。

先程触れられた箇所だ。心臓が浅く鼓動しているだけである。



――――恋人は、いるのか。

且つて一言そう尋ねた。


居ないよ。これからも作るつもりはない。

簡単過ぎる答えが返って来た。


何故。

それでも質問を重ねる。


だって、死んでしまったら悲しいじゃないか。

またいとも容易く返事をされた。


それから今までずっと、その先は何も聞けずにいる。


あの後、何を言うのが正解だったのか。

絶対に死なないとは言えないし、絶対に死なせないとも言えない。


確かな言葉は何も見つからない。

かといって、諦めることも正直になることも出来なかった。

何故ならここは居心地が良い。いつでも傍で、愛情を寄せられるこの場所に甘んじてしまう。


だが、しかし


あの時置き去りにされた言葉を探して、今も気持ちだけは続いているらしい。

ずっと。もしかしたら永遠に。



「急に静かになったね。……眠くなったのかな」

シルヴィアの声でリヴァイの思考が現実に戻って来る。

その手がそろりと自分の髪へと伸ばされる気配を察して、拒否をした。彼女は大人しく腕を下ろす。


…………本当は触れて欲しかった。自身の拒否を聞き届けずに多くを望んでくれれば嬉しかった。

しかしそれはしてくれないのだろう。


初めて会った時からずっとこれだ。

触ろうとすると逃げ水の様に去って行き、かと思うと一定の距離を保って傍らに居る。

そして弱みも痛みも本心も見せない癖に、残酷にも優しくしてくるのだ。


その態度を取られる度に、一緒に苦しんでやる事もさせないつもりか、そんなに俺は頼り甲斐が無いのか、と叫び出したくなる。


…………特別になりたいのだ。


しかしどうやって?


分からない。


ただ、気持ちをぶつける時は今ではない。いたずらに傷付けることはしたくない。


ではそれはいつなのか?


……分からない。


ずっと分からないまま、今を過ごしている。



「…………。まだ話したいけれどそろそろお開きにしようか。」

そう言って、シルヴィアは食器を片付け始めた。


「ああ……。美味かった、礼を言う。」


その様子を一瞥して呟けば、彼女は照れた様にはにかむ。


「そう言ってもらえて良かった。私も美味しく食べてもらえてとても嬉しいよ。」


机の上は瞬く間に片付いて、元の殺風景な書類と筆記具だけの景色が広がる。

隣に据えてやった椅子も元に戻され、おやすみの一言だけ残して奴はいなくなった。

突然来て突然消える。用事がないのに構ってくる。求めても応えてはくれない癖に。



「…………。」


ふと………暖炉の脇の机にシルヴィアが脱いだままにした手袋が目に入る。

何とはなしに立ち上がり、近付いて手に取ってみた。


衣服に頓着しないリヴァイでさえも安くはないことが理解できる代物である。

………何を思ったか、腕を通す。途中でつかえた。細過ぎる造りだ。


これを嵌めていつも愛想を振りまき媚を売っていることを思うとひどく不快である。

よっぽど傍らで燃え盛る暖炉に焼べてやろうかと思った。


しかし…奴は今日、珍しく理不尽に対して怒りを露にしたようである。


(余程……。)


………愚痴でも零してもらえれば幾分救われたかもしれない。

だがやはり頼っては貰えないらしい。

ひどく辛く、遣る瀬なく、寂しくなって手袋を元の位置に戻した。上品に白い手形が机の上で重なる。


「………持って帰れよ」


思わず呟いた。たったこれだけ残していくなんてつくづく嫌な奴だと思う。


…………窓の外は変わらず星だった。夜も更けて大分になるのにまだ明ける気配はしない。


そう……いつになるかは分からないのだ。

それでも、彼女に何かがあった時に今度こそ「俺を頼れ」と言える位の人間にはなっていたいと。なれたのだろうか。

否。あれの中の俺はいつまで経っても出会った時のどうしようもない、年下のゴロツキのままだ。


「あれから何年経ったと思っていやがる……」

少し歩み、凍てついた窓ガラスに触れてから軽く額を擦らせた。

ひんやりとした感覚が頭を冷ましてくれる気持ちがする。


「だせえ……」

吐息に似た呟きが、夜を映す窓を白く曇らせていった。



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