◇ リヴァイとお茶をする 前編
…………深夜、リヴァイは窓の外を非常に嫌そうな顔をして見ていた。
外は白熱する星空。その光に輪郭を縫われ、何とも因縁深い女がガラス越しに笑顔でこちらに手を振っている。
「…………………。」
無言のまま、分厚いカーテンを閉めた。
何かを訴える様にどんどんと窓を叩く音がする。リヴァイは無視をした。
…………少しして、音が止む。ほっと一息吐いた。
しかし、閉めたカーテンの奥からかちゃりと軽快な音がした後………ゆっくり布が膨らむ。
反応する間もなく、隙間から黒い布地と正反対に明るい色彩がするりと忍び込んで来た。
「……………さあむいじゃないか、ひどいなリヴァイ君!開けてくれたって良いじゃないの。」
「おいお前、どうやって鍵開けた」
「私が凍死したらどうするんだ、これでも調査兵団の片翼を担っている自意識はあるのよ」
「外からこの窓は開かない筈だが」
「良いだろう、そんなにいつもと違う面の新聞記事に載りたいと見える。調査兵団殺人事件、刈上げは死の香「うるせえ質問に答えろ」
リヴァイは手にしていた万年筆を余りある勢いで彼女へと投げる。
シルヴィアはそれを受け止め指先でくるりと軸を回した後に「ものは大事になさいな…」と彼へと歩み寄り、胸ポケットに差し込んでやった。
リヴァイは盛大なる舌打ちをする。
しかし彼女にはそれが聞こえないらしい。寒くて仕方がないぞと繰り返しながら今度は暖炉の方へと向かう。
……………よくよく見れば彼女は相当の薄着であった。
こういう着物はいたずらに肌を露出させるだけで下品だと彼は思う。その姿を見ていたくなかった。
シルヴィアは薄地の長い手袋を雑に脱いで近くの机に放ると、掌を炎に翳して溜め息をする。
「また仕事か」
胸ポケットにさされた万年筆を取り出して、リヴァイは仕事を引き続けることにした。
シルヴィアは彼の方は見ずに「左様」と大仰な口調しかし端的に答える。
「外套はどうしたんだ」
「…………向こうに忘れたよ」
「………。ボケてるのか」
「失礼なことを言う。受け取る暇が無かったんだよ」
彼女はようやくリヴァイの方を向く。しかし彼は書類に視線を落としたままだった。
暖炉からぱきんと薪が燃え落ちる気配がする。時計は細長い松かさのような分銅を軋ませつつ時を刻んでいた。
「………余程躾がなっていない使用人がいるのか」
「違うなあ。どちらかというと主人が問題なんだよ」
シルヴィアは温まって来たらしい指先で髪を留めていた大振りな華飾りを外す。
量が多く真っ直ぐな、見慣れた銀色が重力に従ってばさりと下りた。それをかきあげて彼女は今一度息を吐く。
「なにかされたか…。」
リヴァイは先程からずっと視線を書類へと落としていたが、悪戯に目先が文字をなぞるだけで内容は全く頭に入って来なかった。
「ふふん、逆だね。」
彼女がおかしそうに笑いながら答える。………リヴァイは些かな嫌な予感を覚えつつ先を促した。
「私がしてやったのさ」
「何を」
「奴の頭からボトルクーラの中身を全部ぶちかましてやった」
からりと愉快そうにするシルヴィアに反してリヴァイは思わず頭を抱える。「……お前」と低く唸りつつ。
「楽しかったぞう。その場に是非君も居合わせて欲しかった」
「………そうか、楽しかったか。それで責任は誰が取るんだ」
「そんなものは知らないね」
「嫌でも知っとけこのブアーカ野郎。クソババア。くたばれ。」
リヴァイは思い付く雑言を全て並べた後に手元の万年筆を再び投げつけたくなったが…寸での所で堪えて、代わりにひどく睨みつける。
………しかし顔を上げたときに思いのほか彼女が近くにいたので、浅く驚嘆した。
「良かった。ようやくこっちを見てくれたなあ」
シルヴィアは視線が交わるととても嬉しそうにする。
別にお前を見た訳じゃねえよと悪態を吐くが、彼女は別に構わないようだった。
少しの間、お互いの瞳の中の自身をじっと覗き込む。正反対の色をした光彩だ。二人にはそれが新鮮だった。
やがて彼女はゆっくりと目を細める。優しい仕草に正直な愛情が滲んでいた。
「………夜遅くまでご苦労様。あまり無理をしないようにね」
言い残す様に零して、シルヴィアは執務室の扉へと向かう。立ち去るようだ。
「結局用事はなんだよ……」
その背中に声をかける。「さて…」と少し思案するようにしつつ、彼女は足を止めた。
「なんだかねえ。くたびれて帰って来たら明かりがひとつ灯っていて……覗いてみたら見覚えのある不機嫌さんがいた」
「誰が不機嫌さんだ」
リヴァイは今度こそ我慢出来ずに衝動に任せて万年筆を投げた。
しかしまたしてもそれは中空で止められて、同じ様にくるりと一回転してからシルヴィアの掌に落ち着く。
「…………現に今不機嫌じゃないの」
彼女がおっかなびっくり、という表情で振り返った。流石に後ろからの不意打ちには驚いたらしい。
「別に不機嫌じゃねえよ。お前の態度が気に食わなくてひどい苛立ちを募らせてるだけだ」
「ふうむ、辞書を引いて一度不機嫌の意味を確認することをお薦めする」
シルヴィアはもう一度リヴァイの方へとやってきては、やはり左胸ポケットの中に万年筆を返してやった。
「ものは大事に、年上は丁重に。暴力もいけないなあ」
「ワインクーラの中身をぶちまけるのも中々に暴力的だと思うがな」
「ふふん」
「笑って誤摩化すんじゃねえよ」
「……怒らないでおくれよ。私は君と喧嘩をしに来た訳じゃないんだ」
それなら何だ、とリヴァイは同じことを視線で尋ねた。
シルヴィアは彼の胸元からゆっくり指先を離す。どこか名残惜しそうでもあった。
「まあ……さっきの続きだけれど。で、君が一生懸命仕事をしていたわけだ。こんな深夜に。」
「誰かの所為でまた仕事が増えたようだがな」
「そう言ってくれるない、ちゃんと後始末はするよ」
思わず彼女は苦笑する。リヴァイは言うに決まってるだろ、と未だに恨みがましそうにした。
「………………それで、なんだか情けなくほっとしてね。嬉しくなってしまったの…かも。」
シルヴィアはくしゃりとした表情のままで言葉を続ける。
………リヴァイはその先を少し待ったが、これで終わりの様だった。
それだけか、と尋ねれば…うん。それだけだよ、と簡単に返される。
リヴァイが口を噤んだので、シルヴィアは少し目を伏せた後に「ちゃんと寝ないと駄目だよ」と母親みたいなことを呟いた。
衣擦れの音がして、今度こそ彼女は遠ざかるようである。
……………衣服は背中が大きく開いている。皮膚が青白く血管が薄く浮いているのが少し不気味だった。
それに以前より痩せたように思う。平素は気にも止めていなかったが。
「おい」
呼べば振り向く。当たり前のことだか少しの安堵がリヴァイの胸を満たした。
「……………着替えてもう一度来い」
彼の言葉の意味を数回の瞬きの内で考えた後、シルヴィアはまたいつものように妖しく笑う。
「ドレスはお好みではない……」
そうして自身の身体を包む白橡色をした薄い布の重なりを軽く持ち上げた。
「ああ」
リヴァイは迷い無くそれに答える。
「てめえの内面以上に低俗に見える」
彼の手酷い評価を何故か彼女は嬉しそうにした。待っていたまえ、着るのは面倒だが脱ぐのは一瞬だ。と悪戯っぽく片目を瞑る。
そうして来た時と同じ様にあっという間にその姿を消してしまった。
………………。
リヴァイはしばし万年筆の軸の後ろを顎にあてがいながら閉められた扉を眺める。
(…………脱ぐのは一瞬なのか)
ほんのひと時何かの想像が彼の脳内を駆け巡るが、無かったことにした。
しかし先程から続く苛立ちは倍増していく。今晩何回目かの舌打ちも自然と漏れた。
なるほど、俺は確かに不機嫌なようである。
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