◇ エルドの誕生日 おまけ編
『人々に注意しなさい。彼らはあなたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。』
ある夜にシルヴィアは自室の書架からひとつ本を引き抜いては……中身を音読してみた。
低い声で、囁く様にひっそりと。
『またあなたは、長官たちや王たちの前に引き出されるであろう。それは、彼らと異邦人とに対してあかしをするためである。 』
ランプの薄暗さを頼りに文字を追う。
……前に読んだのは随分昔だったが内容は大体覚えている。これは残酷な話だ。
そうして自分の未来を思った。
シルヴィアは予感を抱いている。あまり良いものでは無い。
『彼らがあなたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。 』
明日、内密裏に総当局への招集が命令された。恐らくこの身は衆目の下、あらゆる陵辱をなされるのだろう。
そうして泥を飲む様に苦しく受諾するのだ。彼等の希望を適える為に。そう見せる必要がある。
だがそれは些細なことだ。
本当に恐れるのは仲間たちから向けられる蔑みの視線か……数少ない友人からも糾弾されるのは辛いだろう。とても。
しかし騙し果せる為にはまず仲間である。……嘘が得意なものばかりではない。本気で憎んでもらわなければ。
『兄弟は兄弟を、父は子を殺すために渡し、また子は親に逆らって立ち、彼らを殺させるであろう。』
それが役目だ。
いつでも溝を覗くのはこの私……シルヴィアでなくては、そうある必要がある。
『またあなたは、すべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。』
そこまで読んで、シルヴィアはぱたんと古めかしい書物を閉じた。
瞳を固く瞑り、溜め息を吐いた。そして奥歯を強く咬み締める。こめかみが釣って痛かった。
「…………ほんとかねえ。」
弱々しく何者かに問い掛けてみる。答えは勿論のこと返って来ない。部屋にいるのはシルヴィアただ一人だ。
(救われる……?一体誰が救ってくれると言うんだ)
遥か昔、未だ少女の時代に今と同じような気持ちで夜を過ごした事があった。
朝日が昇り、その時が訪れても結局誰も救いにきてくれることは無かった。
そういうものだ。周囲を責めてはいけない。人は人を救えない。
だが……今の私には仲間がいる。彼等を信じている。信じてもらえることを信じている。
……………シルヴィアは……傍の棚にぎゅうぎゅうと押し込まれた大量の書簡のうち、縁が細い青で囲まれたものを取り出す。
もう何度となく読んだそれをまた開き、中身を改めた。
とても短い文章だ。しかし温かい。そして何だか、照れてしまう。
細く長い息を吐く。
そして「確かに君は正直な人だなあ……」と呟いた。「だが……正直過ぎるのも困ったものだ」と続けて。
喉の奥でくっと笑い幾分気持ちを軽くして、大切に封筒に入れ直したそれを元の場所へと戻した。
空は星。沈黙が経過する。長い夜になるだろう。しかしすぐに明けてしまう。
長生きなんてするものじゃないな、なんてふと思ってしまう。
あんなにかわいがって、大切にしていたのにいなくなってしまうなんてつくづく恩知らずな子たちだ、とも。
『だから…ですかね。貴方に少し憧れるのは』
シルヴィアの耳の裏に優しく低い声が響いた。
それは手紙に描かれていた一文と共に浮かんでは消え、また浮かぶ。
「そうともさ。私は猾いんだ。」
誰かに言い訳をするように、強がってみた。
そうだ、蛇のように賢くなくてはいけない。彼が描いてくれた私の像のままで生きていく。
シルヴィアは…もう空で言えるようになっていたエルドからの手紙の内容を呟いた。
………結局、色々と面倒な事に巻き込まれるうちに返事は書けずにいる。
少し思案するように薄闇が漂う中空を眺めてから…彼女はゆっくりと口を開いた。
「拝啓 エルド君。
何が何だか分からぬうちに読み終わる短い手紙を頂きました。正直、大変反応に困っている。
だから、私も君をちょっとばかし混乱させる短い文言を送ることにします。
『その言葉を、そっくり君に返します』
困ったかな、笑ったかな、どちらにせよ嬉しいよ。匆々。」
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