銀色の水平線 | ナノ
◇ エルドの誕生日 後編

「ううん………」


シルヴィアは少し首を捻り……エルドに渡してやろうとしていた真っ白い便箋と封筒をすっと元の書簡箱に戻してしまった。

当然受け取ろうと伸ばしていた彼の腕は空を切る。


「無地じゃあまりに色気が無いよねえ……。もう少し華やかな…且つ爽やかなものは……」


そう言いながらシルヴィアはごそごそと机の上に置かれた大きな箱の中を探っていた。

………細い紙の帯に巻かれた沢山の封筒や、いくつもの使いかけの便箋が行儀よく収まっている。見た所無地のものがほとんどであった。

正直どれも同じに見えるのだが、微妙に大きさや色が違うところから考えるに…用途により使い分けるらしい。


やがて、また目の前に便箋と封筒が差し出される。……やはり無地…しかし、縁が薄い青色で細く囲まれていた。


受け取りながら「……沢山持ってますね。」と呟けば、「そりゃあ私の仕事道具のひとつだからねえ」とのことである。


「それに…好きだからね。手紙も。」


そう言ってシルヴィアは更にパラパラと何枚か切手をエルドの掌の上に落とした。

ひらりと色々な方向にいってしまうそれらを彼が慌てて回収する間に、シルヴィアは書簡箱の蓋を閉める。


「でも手紙って言われても……何を書いて良いのやら」

呟くエルドへと彼女は向き直った。それから「なあに、」と応える。また片眉が少し上がった。


「何だって良いんだよ。
まずはお礼……それから仲の良い友人や上官部下のこと、最近少しだけ寒さが和らいだり掃除に精を出す毎日とか…
何なら昨日の夕飯の感想でも良い。」

「………日記みたいですね。」

「あれも未来の自分に宛てた手紙みたいなものでしょう。」

何にせよ貰った方は嬉しいものだよ。と言いつつ、シルヴィアは先程エルドに渡そうとしてやめた無地の封筒を窓の光に透かす。

外に茂る嵯峨たる老木の椎の影が、薄い紙越しに画の様に淡く浮かんでいた。


「折角だから情熱的な言葉のひとつやふたつを書いてあげたらどうかしら。」

「そういうのは良いですから……」

「ふふん、意外と手紙ってものは口で言うのは憚れることもすんなり書けちゃったりするんだよねえ」

「…………………。書いたことあるんですか、情熱的な言葉。」

「生憎私はそういうのは口で伝えたい派なんだ」


愛してるよ、エルド君。と実に軽い口調で言われる。……はあ、どうも。としか応えられなかった。


ふと…部屋の脇の棚にぎゅうぎゅうと押し込まれた大量の封書が目に留まる。

紙の日焼け具合から考えて、相当古いものも混ざっているようだ。


「………つくづくものを溜め込む人ですねえ」

呆れ半分感心半分に零せば、「そりゃあ……どれも大切なものだからね。」とエルドと同じ場所を眺めて彼女は微笑む。


「とくに手紙っていうのは何だか特別だと思うよ。
私の場合…受け取る書簡は事務的なものやうんざりとする文句が書かれているものがほとんどだけれど。」


シルヴィアが渋そうに顔をしかめた。余程普段受け取る手紙の内容はろくでも無いものばかりなのだろう。


「でも親しい人間からの手紙は届いて嬉しい、封を開くのに些か緊張する、読んで高揚する、読み返して感慨に浸る、また封に戻して満足する……とね。
とても贅沢なものだ。場合によっては一生の宝ものになる」


シルヴィアは日の光に翳していた封筒も書簡箱にひらりと入れてやる。

君もこれを機に筆まめな男になって喜ばせてあげると良い、と彼女はエルドの肩をぽんと叩いた。



「なんだか…何から何まですみません」

エルドは腕の中の二冊の本と封筒、便箋、幾枚かの切手に視線を落とす。


「なあに、お誕生日だ。……それに元から持っていたものだからね。」

むしろお下がりばかりで申し訳ない。と今度は逆にシルヴィアの方が謝った。


「そうだ…お下がりついでにこちらもどうかな。こうなったら一揃いあげちゃおう。」

そうして書簡箱の傍らにあった木彫りのペン皿を引き寄せる。……置かれた万年筆が数本、触れあってかたりと音が鳴った。


「君もそれなりの年だ。一本くらい良いものを持っていても損は無い」

どれもそこそこの品だ、好きなものをひとつ持っていきなさい。と穏やかに言われるのが…流石に恐縮の気持ちから遠慮をしてしまう。


「………そう言わずに。
私もそんなに老い先長い身じゃないからねえ……形見分けみたいなものだと思って受け取ってちょうだいよ。」

「縁起でもないこと言わないで下さいよ……」


貴方にはまだまだ生きてもらわないと。色々と借りやツケが溜まってますよ。と言えば、彼女は何のことかしら、ととぼけたようにする。


…………エルドは意味も無く笑った。


室内は静かである。


外からは男女入り交じった声がぼんやりと聞こえてくる。廊下からは通り過ぎる人々のざわめきが。でも何だか全部遠く感じた。


けれど先程から抱く白い表象、真っ白い声だけが…彼女が口を閉じた後も脳裏で止まずに、鳴る様に。



エルドは手を伸ばしてペン皿の上、軸が深鼠色で銀のラインが入った万年筆に触れる。

そこから持ち上げては「これを頂けますか」とシルヴィアに渡した。


彼女は確認するようにくるりとそれを掌のうちで一回転させる。


「おや」


そして呟いた。


「これはいけない。私のイニシアルが入ったものだ……あげるには不向きだね。」


しかしエルドは首を緩く振って、彼女の手から万年筆を再び受け取った。


「いえ……だから選びました。」


シルヴィアは不思議そうな表情で、エルドの顔と自身の短縮された名前が入った万年筆を見比べる。


「げんかつぎみたいなものですよ。」

エルドはそれを胸ポケットに収めた。もう、返すつもりは無いらしい。


「これを使っていれば……俺も少しは貴方みたいに猾く生きることが出来る気がして」

「なんだと」

「おっと怒らないで下さい、別に貶しているわけでは無いんです」


エルドは片手をあげて苦笑した。シルヴィアもとくに怒っているわけではないらしく…ふむ、と続きを促す。


「俺たちは皆…おおかみの中に送られた羊みたいなものです。だから鳩のように純真で、蛇のように賢くなくてはいけない。」 

「ふうん………なるほど。
我々が生きる邪悪で罪深い今において純真さは、蛇のような賢さで防備されなければたちまち食べられてしまうようだからねえ。嫌な時代だ。」

「賢さを知らなければそれだけ絶望や諦めに近くなります。
そして…他に望みをかけなくてはいけない。それは宗教であったり王であったり、はたまた金銭……。彼等の生き方を別に否定はしませんが」


そこでエルドは一度言葉を区切る。

……端正にして男性らしい顔立ちへと昼下がりの弱くなった日がそろりと差していた。


「でも、それは惨めだ。」


それだけ言って結ばれた彼の唇を、シルヴィアは少し目を細めて眺める。……眩しいな。と弱く思いながら。


「まあ…なんて言うんでしょうか。俺は結構考えが甘かったり正直過ぎるところがあると思うんですよ。」


エルドは些か厳しかった表情を緩めて緊張してしまっていた場の空気を解すようにする。

シルヴィアもそれに同調して淡く微笑んだ。


「だから…ですかね。貴方に少し憧れるのは」

家を建てるなら岩の上です、と付け加えた彼の言葉にシルヴィアはその通り、油を壷の中に用意していた乙女たちのようにね。と応えた。


エルドがはは、と楽しそうに笑いを漏らした後に「花婿は来ましたか」と聞く。


「ふふん、ご想像にお任せしよう。」

「良いじゃないですか。教えて下さいよ」

「………………そうだね、ひとつだけ言っておこう。待ってもいないのに門を蹴破ってこちらまでやってきてくれたよ」



シルヴィアは机を迂回して優しい日の光を投げ掛けてくる窓を開ける。

冷えた空気が室内に流れ込み、そこかしこに置かれた軽いものや弱いつくりのものが微かに震えた。


彼女は凛と鳴りそうな冬の空気の中で深く呼吸してからゆっくり振り返る。

………視線の先の彼の金色の前髪は風に揺らされてそよりとしていた。


(…………………。)


シルヴィアはもう一度目を細める。やはり、少し眩しい。


「昔はかわいかったのにねえ……」

先程の言葉を繰り返して零せば、エルドは「今はそんなにかわいくないですか」と困った様子で肩を竦めた。


「うん。かわいくはないねえ、もう。」

「それは悲しい」

「でも、良い男だ。」


シルヴィアの銀の髪も風に乗せられて穏やかに流れていた。

相変わらず辺りは外界から遮断されたようにしんとしている。静かで、明るい。


(また……)


エルドの脳裏に、彼女の真っ白い言葉が鳴りながら留まる。

いつまでも止まないで、ずっとそのままで……そうあって欲しいと。


「……………。副長は良いですね。
それだから………俺は貴方のことが好きなんだと思います。」


自然と気持ちを言葉にする。

彼女はとくに驚いた様子も無く……しかしとても嬉しそうに、「私だって君を愛しているよ。さっきも言っただろう」と返事をした。



シルヴィアは今度は逆の方へと向かってゆったりと歩く。

エルドもそれに続く。……扉だ。出口へと導かれている。



「私が死んだら」


彼女はお馴染みの…施錠を忘れたノブを捻ってドアを開いた。


「この部屋の本を譲り受けてはくれないか」


………エルドを通す為に脇に避け、こちらを見てくる彼女は遺言めいたことを言いながらもどこか楽しげである。

確かに顔色は平素通りに紙のような白さだ。だが唇の色は滲んで紅く、とうてい死にそうには見えない。

しかしシルヴィアは静かな声で、自身の死後をはっきりと語った。


「私は本来空っぽの人間だ。君が思う様に賢くはない。
しかし本を読む事で…先人が描いた文を知る事で少しは中身があるように見えているのかもしれないね」


動かないでいる彼の腕をそっと引いて、外へと優しく運んでいく。

エルドは逆らわず、それに従った。


「私が読んできた本は私の一部でもある。だから、本と私が大好きな君に託そう。」


お誕生日おめでとう、エルド君と彼女は最後に祝辞を述べる。

彼もありがとうございます、と心から礼を言った。


やがて扉は閉められて、お互いの姿は見えなくなる。

だがエルドはドア越しに一言「副長、今夜はきっと来て下さいよ」と呼びかけた。

………返事は無い。が、彼女は了承してくれているのだろう。根拠も無く、そう確信した。



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