銀色の水平線 | ナノ
◇ ハンジとお茶をする

「……………で。」


頬杖をついたハンジが、部屋の奥から盆を持って出て来たシルヴィアへと言葉を投げ掛ける。


「で…………?」


続きを促す様にシルヴィアが応えた。ハンジの方は見ずに、その前にアップルパイが盛られた皿をかたりと置く。


「いくら毟り取って来たんだい、この悪代官」

「誰が悪代官だ」

「嫌だねえ年取ると悪知恵が働く様になって。今度はどんな悪い手口を使ったのかな」

「………………。」


置かれたと思ったパイは盆の上にひらりと逆戻りしていった。


「ああんごめんなさい…あっ、じゃあ越後屋の方か!」

「何が『あっ』ですかパイやらんぞ」

「うへえ許してもう言いませんジョークですごめんなさい」

「よし許した精々味わっておあがりなさい」

「ありがとうシルヴィア愛してるよ!」

「情熱的だこと」


シルヴィアは軽く溜め息を吐いて、一人部屋にしては大きめの卓の前に笑顔で腰掛けるハンジの元にパイの皿を戻してやった。

白い磁器である。縁のみ赤い。


ハンジが素手で早速パイにありつこうとするので、シルヴィアは「こら」と軽く嗜めてからフォークを渡してやった。

にこやかにありがとう、と言われてそれはハンジの手へと渡っていく。

…………調査兵団に必要不可欠な頭の切れるこの人物であるが、どうにも良い年をして一般常識が備わっていないところにシルヴィアは若干の危惧を抱いているらしい。


「ああ…ほら。犬食いはやめなさい。ここは君の研究室じゃないんだからちょっとはきちんとして…」

呆れた様にしながら毎度同じような事を言ってくるシルヴィアが何だかおかしくて、思わずハンジはくすりと笑う。


「まったくなにを笑っているの。」

細い眉をしかめながら、汚れた口元を拭う様に彼女はナフキンを差し出してきた。


「………どこに付いてるの?シルヴィア拭いてよ」

「全体的にまんべんなくだよ。自分で拭きなさい」

甘えなさんなと付け加えてシルヴィアはナフキンを放る。

やはりそれも真っ白だった。徹夜明けのハンジの目にはその白さが若干応える。沁みるような色彩をしていた。


「………これは…紅茶を持ってくる前に食べ切られてしまいそうだね」

ハンジの旺盛な食欲を若干感心して眺めながらシルヴィアが呟く。


「……。もう一切れちょうだいよ。」

「つくづく遠慮が無いね」

「これも私の愛の形だから。さあ受け取って。」

「うーむ、熨斗を付けてお返ししたい」


そう言いながらもシルヴィアは「まあ…余りはそこそこあるからね、良いよ。」と承諾の意を示してまた部屋の奥へと戻ろうとする。

恐らく紅茶の為の湯が沸いている気配を察知したのだろう。


「ありがとうシルヴィア。愛してるよ!」

とその背中にハンジが再び愛を告白した。

彼女は振り向かずに「随分安い愛だなあ…」とだけ言う。


「安くなんかない、本当だよ。」


…………日中とはいえ、うなぎの寝床のように細長いシルヴィアの部屋を横切る廊下の先は薄闇だった。

暗がりの中へと消えかかる彼女の輪郭が立ち止まり、ハンジの言葉に応えて振り返る。


そして自身とは対照的に、窓から差し込む光に包まれて微笑んでいるその姿をまじまじと見つめた。


「…………そうか。」


一言呟いて、彼女もまた同じ様に淡く笑う。


「それはどうもありがとう。」


短く言い残して、シルヴィアは今一度歩を進めていく。

彼女の色素が薄い髪に日光がそっと反射して弱く光り…そして完全に見えなくなった。


ハンジは誰もいなくなった廊下を、しばらくじっと…微笑したままで眺めていた。







「つくづくさ…シルヴィアが料理得意って意外だよねえ。」

二切れ目のパイをぺろりと食したハンジは、紅茶を飲んでは一息ついていた。


「何が意外なんだ。私ほど家庭的で貞淑で料理が上手そうな女性もいないだろう。」

「…………………。」

「何だその顔は。噛みつくぞ」


向かいに腰掛けたシルヴィアが不満そうに返す。

ハンジは「ああ…うん、そうなんだろうね。」という微妙な反応でお茶を濁した。


「まあそれはさておき。昔から得意なの?確か私が入団したての頃にもよく御馳走してくれたよね。」

「別に得意というほどじゃない。
……というかハンジ。君が出来なさ過ぎるだけなんだよ。鍋を爆発させる人間を私は現実世界で初めて見た。」

「鍋って普通爆発するもんじゃないの?」

「してたまるか」


シルヴィアはにべもなく言いながら自身もアップルパイを口に運んだ。

…………咀嚼して飲み込む間に少し、表情が和らぐ。どうやら出来に満足しているらしい。


「頻繁に作るようになって徐々に慣れて来ただけじゃないかな…。最初はまあ、可もなく不可もなくな感じだったよ。」


紅茶を飲みながら、何かを思い出す様にして話している。ゆったりと落ち着いた口調だった。


「と言う事はシルヴィアも鍋を爆発「させてたまるか」


しかし切り返しの鋭さは相変わらずである。ハンジは感心しつつ数回瞬きをした。


「そうだね、よく作る様になったのは私が調査兵団に所属したての頃だから…」

「相当大昔のことだね!」

「お黙んなさい」


何だか楽しくなって来て、思わず合いの手を入れたハンジの言葉はまたしてもぴしゃりと遮られた。

………シルヴィアの年齢は定かではないが、割とこの話題には敏感な反応をしてくる。

気にする必要は無いのに…とハンジは日頃から思っているが、いつも余裕の態度を示す彼女が直情的になってくれる数少ない大事な要素なので、それは口には出さない。


「ごめんごめん、大丈夫だよ。小皺もえくぼだから」

「そんな諺はない!」


シルヴィアはがちゃんとやや乱暴にカップをソーサーに戻す。

ハンジは実に愉快そうにからりと笑いながらその様を見ていた。


「………で、なんでまた調査兵団に入ってから作るようになったの?さては餌付け…賄賂か!相変わらず悪いね、流石シルヴィア!!」

「菓子料理の類は賄賂にはならない、精々差し入れだ…。というか現在進行形でまんまと餌付けされている人間に言われたくない」

「大当たり!おかわり下さい!!」

「泥でも食べてなさい」


シルヴィアは足を組み直して溜め息をまたひとつ吐いた。

…………それから無言で傍の大皿からもう一切れパイを切ってはハンジの皿に盛ってやる。

ハンジは笑顔でありがとう、と礼を述べた。シルヴィアもまたどういたしまして、と返す。


「まあ…なんだ。自分が作ったもので喜んでもらえるのは嬉しい事だし…。」

早速三切れ目をフォークでつつき出すハンジを眺めて、シルヴィアはぼんやりと零す。


「美味しいもの食べると人ってやつは結構簡単に笑顔になってくれるじゃないか。
私たちの仕事は悲しい事や辛い事が中々多いから…こうした日常の小さい幸せを大事に感じてもらいたいっていうのが…あるのかな?」

「なんで疑問系なのさ」

「さあねえ。まあ…あとは親の気分だよ。この年になるとそろそろ老婆心も芽生えてくる。」

「おおっ、遂に自分が老婆ってことを認めた!」

「君はいつも一言多い」


シルヴィアは苦々しげな表情でパイの最後の一切れを口へと投げ込む。

それから自身がこの考えに至った経緯を何とはなしに思い出しては…ああ、あれからどの位経つんだろうか、とちょっとした感慨に浸った。


…………ハンジには、なんとなくではあるが彼女の思考を読み取る事が出来た。頻繁に料理を作っては、誰のことを喜ばせようと思っていたのかも。

いつだってシルヴィアは実直過ぎる彼のことを心配しているから……


(私が今、この良く出来のパイを味わえるのも…その恩恵っていうもんかね。)


だが、しかし。


「…………どうした、ハンジ。急に静かになったなあ。」

まあものを食べている最中に口を開かないのは良い事だ…と零しながらシルヴィアは伏し目がちにカップを持ち上げて唇を付ける。

優雅な仕草だった。調査兵団において社交を全面的に引き受けているだけのことはある。


………ハンジは時々彼女はどこの育ちなのだろうかと疑問に感じることがあった。

気位の高さや不遜とも言える態度からは良いところのお嬢様だったのかとも思うが、どうもそれは腑に落ちない。憶測や噂はよく聞くけれども。

以前エルヴィンに尋ねてみたが、雪郷の出である、という以上の答えを聞く事は出来なかった。

だが…、まあ。出自などは大した事では無いのかも知れない。

現在シルヴィアは調査兵団の副団長で、自身の良き理解者で、好きな人だ。そして自分も好かれている。

今大事なのはそういうことで…けれど、それだけでは満足いかない人間の存在も知っているわけで……



「…………リヴァイも気苦労が絶えないよねえ…」

色々とぐるぐる考えた後、ハンジが一言漏らす。


シルヴィアは少々面食らって「なんで急にリヴァイの話になるんだ。」と返した。

「いやあ…うん。」

「確かに彼も中々に不器用で生き辛そうではあるけれど…」

「それはシルヴィアもでしょ」

「ふふん、生意気を言っちゃいかんよ」


彼女は薄く笑って頬杖をつく。

…………しかしハンジの皿に視線を映して…三切れ目のパイもすでに胃袋の中に移動してしまっているのを確認すると、少々呆れながら三度溜め息をした。


「ちゃんと食べているのか……?食い溜め寝溜めはあまり感心しないな。」

「うーん、そうも言ってられないからねえ。」

「……ほどほどにね。」


身体には気をつけなさいな、とシルヴィアは皿と同様空になっていたカップに紅茶を注いでやる。

ハンジは肩を竦めつつ「はあい、ママ。」と応えた。


「私は君ほど年のいった子供を持っているような年齢じゃないよ…。」

「さてどうだか」

「良い加減怒るぞ」


シルヴィアがこれくらいで怒るわけはない、とハンジは充分に理解していた。

彼女が自分に甘過ぎる位甘いことは結構前に確信済みである。


「………怒らないで。愛しているからさ、シルヴィア」


そう呟くと、シルヴィアは「もうさっき聞いたよ…」とうんざりしたように頭を振る。

ああ、照れてるんだ。と分かってなんだか堪らなくなり、ハンジは目を細めた。



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