銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイの誕生日、門、冬の花火 後編

夜も更けた頃、リヴァイは冷たい廊下を通って自身の部屋へと戻っていた。

石の床の上を歩く度に固い足音が辺りに響く。


(………………。)


彼は厚手に作られた上着の内側のポケットから真っ白い箱を取り出した。

薄い色をした細いグレーのリボンがかけられている。

ゆっくりと解きながら…確か『部屋に帰ってから開けろ』と言われていたことを思い出す。


……………どうにも辿り着くまで待てなかった。

つくづくこの手の事が絡むと堪え性が無くなるのには呆れてしまう。

だが、今が在るのは自身のそういった性質故でもあるから…あながち悪いことばかりでは無いのだろう。


そんな風に言い訳をする様にしながら光沢のあるリボンを完全に外し、それは元のポケットにそっと仕舞った。


次に厚めの紙で作られた白い箱に取りかかる。

少し開けにくかったので立ち止まり、なるべく傷を付けない様に慎重になりながら開けた。


…………現れたのは深い藍色をした、これもまた箱である。やはり小さい。

布張りである。細かい毛が立ったビロードで囲まれていた。安い物では無い。


それを見た瞬間にリヴァイの胸の内、柔らかい部分が抉られたような気分になる。


実際に手に取った事は無かったが、それに似た種類のものは幾度か目にした事があった。

もしも予想が当たるのなら、これはどういうことなのか。

段々に目眩がしてくる。皮膚が粟立った。寒さの為では無い。どこに立っているのかもよく分からなくなっていく。


いつの間にか止めどなく震えていた指先で、しかし覚悟を決めてそれを開けてみる。



………………目を疑った。



もう一度見る。けれど、なんだ。一体どういう。



奥歯を強く噛みしめたので、こめかみが釣って痛い。眼は普通の倍も大きく見開いていた。



冷たい石造りの廊下の脇にはとくに興味も惹かれない絵画が有った。窓の外には街灯がひとつ侘しく光っている。

足下には磨かれて凍てついた床。頭の中には覚えのある例の微笑。それと共に漏らされる息遣いまで聞こえる。

もう奴の部屋からは遠く離れているというのにやはりあの匂いがした。自身が贈った香水に交ざって。



リヴァイはいきなり踵を返して元来た道を辿り始めた。


走る。足音が静寂であった廊下に乱暴に響き渡る。


そうして奥歯をぎりぎりと噛んだ。真冬だというのに汗が出る。背中が棒のようになった。

膝の接目が急に痛くなった。膝が折れたってどうあるものかと思った。けれども痛い。苦しい。


何故かシルヴィアの部屋には中々辿り着かない。先程は容易に行く事が出来たのに。

近付いたかと思えば膝の痛みは強くなる。腹が立つ。無念になる。非常に口惜しくなる。


それでも我慢して辛抱強く彼女の元へと向かう。堪えがたいほど切ないものを胸に忍ばせながら。

それが身体中の筋肉の下から持ち上がって、毛穴から外へ吹き出よう吹き出ようと焦るけれども、どこも一面に塞がって、まるで出口がないような残酷極まる状態である。


そのうちに頭が変になるような気持ちがした。

窓の外の街灯もちらほらと脇を横切っていく画も、長い廊下も石の床も、有って無いような、無くって有るように思えた。

それでもシルヴィアの部屋にはちっとも辿りつけない。ただ良い加減に滅茶苦茶と走っていたようである。


ところへ忽然古びた木の扉が現れた。ネームプレートには求めた名前。


はっと思った。右の手をすぐ真鍮製のドアノブにかける。やはり鍵は閉まっていなかった。







部屋の中は明かりが落とされていた。

構わずに進む。そして細長い部屋の最奥の扉をほとんど蹴破る様に開いた。


中にいた彼女は非常に驚いた様子でこちらを見る。

着替え中だったらしい。まだ全ての釦をかけ切れていない寝間着の前を咄嗟に手で閉じた。


リヴァイは舌打ちをする。


そうだ、こういうことがあると困るから鍵は閉めておけと念を押しているのだ。

今この光景を目にした者がもし自分では無かったかと思うと腸が煮えくりかえる気分である。



「リ、リヴァ…」



シルヴィアが自分の名を呼び終わる前に強い力でその身を抱く。


まるで加減などしなかった。

きっと痛いに違いが無い。だがそれで良いと思った。もっとひどい力で掻き抱いてやっても構わない。


彼女が二の句を告げずに息を呑むのが聞こえた。何だいつもの余裕は何処に行った。


首筋に顔を埋めるとやはり匂う。優しくて少し甘い。

次に耳に口元を寄せた後、頬と触れあう。掌だけでなくそこの皮膚も随分と低い温度だった。

唇だって勿論冷たい。けれど接したところから熱くなっていくような感覚もした。気の所為かもしれないが。


やがて何かを訴えようと彼の上着を掴んでいたシルヴィアの指の力が弱まり、離れ、だらんと元の位置に戻る。


彼女の身体から全くの力は失われていた。


それを支えてやりながらリヴァイはずっと同じ事を繰り返す。何度でも分からせてやろうと思った。



少しして、僅かに離す。



いつの間にか、藍色のビロードの箱が床に転がっていた。

落ちた弾みでか蓋は開いてしまっている。

青い闇に染まる室内で箱の内部、真っ白い絹の台座が発光しているかの如く見えた。


だがそれだけだ。中身は空である。



「これは、どういうことだ。」



ゆっくりと尋ねた。シルヴィアは何も答えない。ただリヴァイの身体に自分を任すのみであった。



「答えろ。シルヴィア!!」



名前を叫んだ。



それから、再び抱いて肩口に顔を埋めた。匂いはより濃く辺りに漂うようである。


もう一度幽かに離して、その顔を覗き込んだ。



……………また、名前を呼ぼうとしたが…それが憚れるほどに彼女は情けない顔をしていた。



普段全く色味を持たない表情が赤面して、項垂れている。瞳は伏せられて、こちらを見る気配は無い。

リヴァイに縋る様にしながら、シルヴィアはゆっくりと膝を折った。


それに合わせて彼も屈む。

今一度低い位置で顔の高さを同じにすれば、辛うじて彼女と視線が合った。


熱く滲んだ輪郭を持った銀灰色の光彩の中、真っ黒い瞳孔に確かに姿を捉えられる。



しばらくじっとして見つめ合えば、シルヴィアが恐る恐るといった体でリヴァイの頬に指先を触れた。

それから淡く息を吐く。


そぞろに合わせられた唇の冷たさは、今度は然程気にはならなかった。

苦い紅茶と同じで慣れればどうということは無いのだろう。


離れてから、すっかり寝間着の釦が閉まりきっていないことを忘れているらしいシルヴィアに変わって留めてやった。

青白い肌だ。死人に似ている。



「中身を抜いたのは…私に勇気が足りなかったからだよ。」


シルヴィアはそれに弱々しい声で礼を述べた後にゆらりと立ち上がる。

それから覚束ない足取りで…自身のベッド脇に据えられたサイドテーブルまでようように歩むと、何かを掌に収めてはリヴァイの元に戻って来た。


「でも君がそうするのなら、私もこうしよう。」


そして彼の骨張った左手を静かに取る。

細い銀色の輪が薬指を通っていった。冷たい。まるで氷で出来ているかのようにすら感じる。


「普通…逆だろ。先にするのは。」


自身の指に嵌ったものを見下ろしてリヴァイが囁く。

シルヴィアはもう全ての力を使い果たしてしまったのか、再び彼の身体に支えられてくったりとしてしまっていた。


「でも……それが私の本当の正直だ。もう嘘はつかないよ。」

だがまさかこうくるとは…


それを言ったきり、彼女は黙ってしまった。


リヴァイの背中に緩やかに腕が回る。

やり過ぎたのかも知れない…と些か思うが反省も後悔も、彼の内には微塵も存在していなかった。



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