銀色の水平線 | ナノ
◇ リヴァイの頭を撫でて撫でられる 後編

「おい」

しばしの沈黙の後、唐突にリヴァイが声をかける。


「何かな……」

シルヴィアはそれには驚かず、穏やかに返した。


「今日は死ぬ程疲れた。たかがパイ一切れもらう程度じゃこの疲労に釣り合わねえよ。」

「ワンホール欲しいのかい。君意外と食いしん坊だなあ。」

「ちげぇよ馬鹿。ババアの上に馬鹿とは…あれだな。痴呆はいってんじゃねえの」

「はっはっはあ、この口がひどいことを言う口だね」


シルヴィアは穏やかな笑みは崩さずに…けれど先程とは明らかに違う種類の笑い声をあげてリヴァイの頬を抓ろうとした。

しかしそれは躱される。彼女は少し悔しそうにした。


…………無言の攻防を繰り広げた後、二人は何だか阿呆らしくなってきたのか…また鉄柵によりかかって銀色の大きな月を見上げる。


その際に、シルヴィアはやはり自分はそんなに老けているのだろうか…確かに相当良い年ではあるが…と若干いたたまれない気持ちに苛まれていた。


「次の休日、空いているか」

そしてようやく本題に入るように…隣からリヴァイが尋ねてくる。

シルヴィアはその方を向くが彼はこちらを見ず、不機嫌そうに頬杖をついていた。


「さあ……。その日の気分によるなあ。」

「空いてるってことだろこの物臭野郎」

「……今日の君はひどいな。何かに怒っているのか」


彼女の問い掛けに、リヴァイはひとつ息を吐く。微かな仕草だったが、深いものだった。


そして「別に何にも腹は立ててねえよ…」と呟く。


「その日は俺に付き合え。」

一拍した後、彼は月を眺めたまま声を発した。

急な持ちかけにシルヴィアは少々呆気にとられて、瞬きを数回する。


「…………それで今回の件はチャラにしてやる…。」


それだけ言うと、リヴァイは目を伏せた。黒い瞳が半分隠れる。

……彼は意外と睫毛が長いのだな、とシルヴィアは感心したようにその様子を眺めていた。


「うん……。」


しばらくして彼女は小さく頷く。

リヴァイはようやく…ゆっくりとシルヴィアの姿へと視線を移した。


「いいよ。」


視線がまた交わったのが嬉しかったのか、彼女は目を細める。そしてまた一言。


「いいよ。その日は君に付き合うさ。」


その答えを聞いて…リヴァイは何となく安堵した様だった。気の所為かもしれないが。


シルヴィアは視線を交えたままで何故か幸せそうに彼の顔を覗き込む。

……やめろ、近付くな酒臭いと言われたがそれはあまり気にせずに。


「でも、付き合うって言ってもどこに行くつもりかな。
……あ、待て。仕事なら嫌だよ。私は休日はしっかり休む人間なんだ。」


得意そうに胸に手を当てがって主張するシルヴィアに対してリヴァイは呆れて言葉に詰まってしまった。

本当にどこまでも物臭な野郎だ……


「………行く場所はお前が決めろ。」


うんざりした様にそう言えば、シルヴィアは意外そうな顔をする。


「……誘っておいて何だ。用事があるんじゃないのか。」


彼女の言葉にリヴァイは舌打ちをひとつした。腹は立ててないとは言ったが、今この瞬間、立った。

……奴の察しが悪過ぎるのか自分が不器用過ぎるのか、そこはよく分からない。恐らく両方なのだろう。


「昔から俺のことを連れ回して辺鄙で汚ねえ場所に行くのはお前の役目だろ。」

「汚いとは何だ。綺麗な場所にだって沢山連れてっ行っただろうに!」


シルヴィアは心外だとばかりに眉をしかめるが…すぐにそれを解き、やがて朗らかな表情を描く。


「…………懐かしいなあ。最近は中々一緒に出掛けることは無かったけれども…
君が私たちの仲間になったばかりの頃はよく、色んなところに遊びにいったものだね。」


リヴァイは黙ってそれを聞いていた。

そして彼女と共に見た様々な景色を思い出す。

自分たちに構いたがる彼女の姿に、当時はなんて暇な副団長なんだと恐れ入ったものだが……きっと、必要なものだったのだろう。

無駄な時間や無為な会話、無意義に感じた景色の数々も。


「…………あの時の目付きの悪い不健康そうな子が今は兵長さんか…。まったく偉くなったものだよ。」


私も年を取る筈だ。

そう言いながらシルヴィアがそろりと手を伸ばし、リヴァイの頭をあまりにも自然に撫でてくるので…彼は苛ついた気分でそれを振り払う。

彼女は思わず苦笑した。


「…………いつまでもガキ扱いするんじゃねえよ。」


俺だってそれなりの年だ。

リヴァイの呟きに、シルヴィアはごもっともだと返す。


「リヴァイと仕事以外の話をするのは久しぶりだね。……次の休日が待ち遠しくなるよ。」

シルヴィアの発言にリヴァイは何も応えなかった。


「………私は君といるのは…楽しくて、好きだよ。」


やはり彼は何も反応を示さない。

交えていた視線はとっくの昔に外されてしまっていたが…それでもシルヴィアは柔らかな声色で言葉を重ねた。


「心にも無いことを言うのはやはり疲れるからね…
こうして本音を言い合える人間は、私にとって大変希少でありとても大事だ。」

そう言いながら彼女は首に締めていた臙脂色のクロスタイを外す。シャツの釦もふたつほど開けた。

白い首筋が青い夜風に晒されて心地良さそうである。


「…………心にも無い自覚があるなら少し自重したらどうなんだ。」


少ししてリヴァイは遠くを眺めたまま呟いた。

シルヴィアは瞳だけ動かし、彼へと視線を移す。


「お前の良く無い噂はよく聞く。」


そう言えばシルヴィアは緩やかに瞳を眇めた。優しい仕草である。


「……だが、良く思ってくれている人だっているよ。」


彼女は鉄柵に置かれていたリヴァイの手の甲に掌を重ねた。

驚くほど低い体温である。思わずリヴァイの肩がぴくりと揺れた。


「どんなに多くの人にどれだけ嫌われたって、たったひとりでも私を大事に思ってくれる人がいるなら…
その人の為に、何でも出来るさ。」


シルヴィアがリヴァイの掌を握る力が少し強くなる。

………彼は一度離すように促してから、自分の方からまた握り返してやった。


普段いがみ合う仲であっても…どういう訳か昔から、二人でいるときは手を繋ぐという行為に抵抗が無かった。

だから二人は年甲斐も無く、よく手を繋いだ。

やはりこれも無為な所作なのだろうと理解していながら。


「………君だって分かる筈だよ。
誰かに想われる権利が無くても…帰るべき家や愛しい家族いなくても全然平気だってことを。
ひとりでも良い、ふたりでも良い。大事にしてくれる人がいると知っているから…それだけで生きていける。戦っていくことが出来る筈だ。」


そういうものじゃないか、とシルヴィアは付け加えた。


…………リヴァイは彼女の言葉を聞き届けた後に、一際強い力でその手を握る。

シルヴィアは小さく「痛…」と声を漏らした。


そして彼女の冷たい掌を離したリヴァイは…先程シルヴィアにされた行為をやりかえしてやった。

わしわしと少し乱暴にそこを掻き混ぜれば、細い銀色の髪が指の隙間を通っていく。


「…………お前は馬鹿だ。」


そして乱したシルヴィアの髪を元に戻す様に今度は軽く叩いてそう言い放った。

彼女はきょとりとしてリヴァイの言葉を聞いた。


「何が『君は何でも一人でやろうとする悪い癖がある。』だ。
他人の様子を知って故老ぶっている癖して自分のことは何ひとつ分かっちゃいねえ…!」

リヴァイが少々語調を荒げるのでシルヴィアは少し驚くが…やがていつものように薄く笑って、彼に撫でられた場所にそっと触る。


「…………馬鹿なんだよ。大馬鹿野郎。」


それを言ったきり、リヴァイは口を噤んだ。

………シルヴィアは、そうかもね…と零す。そして小さくありがとう、と礼を述べた。


満月の輪郭ははっきりとしていて鋭利である。

触ればきっと当たり前のように傷が出来てしまいそうなほどに。

その下で二人はただ黙って互いのことを眺めて過ごしていた。


…………やがてシルヴィアは鉄柵からゆったりとした動作で身体を離し…橙の明かりが灯る大ホールへと一歩踏み出す。


「………もう資金繰りは終ったんじゃねえのか。」


少しだけ遠くなった彼女の背中にリヴァイは声をかけた。


「キルヒナー氏のチェスの相手をひと勝負だけしてくるよ。このまま黙って帰ったらきっとご機嫌を損ねてしまう。」

シルヴィアはタイを結び直しながらそれに応える。


「……すぐに終らせるよ。帰りの馬車もきっともうすぐ来る…。それまで待っていてくれ。」

そして首だけ動かしてリヴァイへと振り向いた。


「それで……帰ろう。愛しの我等が調査兵団の公舎へ。」


相変わらず薄くて不適な微笑である。

だが、その時のリヴァイは何故かそれをいつものように不快には思わなかった。



「……………。巨人の項だけ削いで食っていけたら楽なのにな。」


呟く様に呼びかけると、彼女はちょっとだけ困ったように眉を動かす。


「でも巨人を倒すのは人の為だからね。それの中には勿論ここにいる人たちも含まれている。」


そう言ってはシルヴィアは前へと向き直り、賑やかな大ホールの中を見据えた。

沢山の人が踊り、飲み、食べ、喋っている。ここから馬車で数時間も無い街の貧困も知らぬままに。


「……それにご機嫌取りだって悪いものじゃないさ。」


やる時はきちんとやらなきゃなあ…と言い残し、シルヴィアは歩を進めていった。


リヴァイはそれをしばらく見送った後に、また月が浮かぶ紺黒の夜空を見る。

遠くには湖があった。

それはただ白く茫として空と水の境が無く、岸にひっそりとしている枯木の枝は湖水の靄を含んで重く垂れ、その奥には森、更に向こうにはいつもと変わらず黒い壁が聳えている。


微風が時折、吐息の如く通過して湖面や枯れ枝を揺らした。

背中に控える喧噪とは対照的に、いかにも静かな夜の風景であった。



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