銀色の水平線 | ナノ
◇ ペトラを助けて助けられる 後編

………………やにわにホールの一角が騒がしくなったのを感じ取って、シルヴィアはその方に視線を向けた。



そして、ハッとする。


その渦中にいる人物が、自らの部下であるということに。



(………………………。)



胸中にはむくりと不安と焦燥が起き上がってくる。

そしてシルヴィアはその方向へすぐさま身体を向け、早足で人々の間を分け入っては彼等の元へ急いだ。







「ペトラ君………」


怒らせている彼女の肩にそっと手を置き、落ち着かせるように耳元でその名を小さく呼ぶ。


だが、ペトラはシルヴィアの声を聞き届けはしなかった。

尚も目の前の数人の男女に食って掛かるような鋭い眼差しを向けている。



「………取り消しなさい!!」



そして、先程と同じ言葉を強い語調で再び吐いた。



「…………取り消すとは、何のことかな。」


僅かな時間の静寂を打ち消したのは、ペトラが相対していた数人の男女のうちの一人だった。

未だに怒りをあらわにしている彼女とは対照的に…非常に落ち着き払っている。


「……………そのままの意味です。貴方たちが今さっきその口から叩き出したこと全てです……!
聞こえないとでも思いましたか…いいえ違うわ、貴方たちはわざと聞こえるように言ったんでしょうね……!?」



「ペトラ君、少し廊下に出よう。」



今にも彼等に掴み掛からんとしているペトラの腕を取り、シルヴィアは今一度彼女の耳元で囁いた。


……………ようやくペトラはシルヴィアの存在に気が付いたようで、顔を上げてその方を見る。



「でも……副長。この人たちっ、」


「……………さあ。少し酔いが回ってるみたいだからね。休もう。」



尚も何かを言いかける彼女を遮って、シルヴィアはその掌を少し強く引いた。



「皆様、うちのものが申し訳ありません…。不慣れな場所で戸惑っているのです。
どうか寛仁の念でご容赦下さいませ。」


シルヴィアは彼等に向かって丁寧に、それでいて深々と頭を下げる。

顔を上げてはにっこりと微笑んだその表情は何の陰りも隙も無く、相変わらず美しい。


ペトラと言葉を交わしていた男性はそれをしばらくじっと見た後…ふうと目を伏せた。



何がしか無言の駆け引きが終了したのだろう。


シルヴィアはもう一度軽く会釈すると、ペトラの掌を強い力で握ったまま…ロビーの外、廊下へと通じる扉の方へ向かった。







「落ち着いたかな………。」


そう言って、シルヴィアは壁に寄りかからせたペトラを気遣うように言う。

しかし彼女はその問いかけには答えなかった。

シルヴィアは少しだけ息を吐いて、弱く笑う。



「社交界での人付き合いは我々がいつも行う演習とはまるで違うからね…。
訓練兵時代上位に名を連ねたペトラ君にも少しばかりまだ難しかったかな。」


そして、重たくなってしまった場の空気を和らげようとちょっとばかり明るい声色で言う。


……それに対してペトラは眉根を寄せたまま「そういう問題ではありません…!」と業腹に返した。


「訓練兵団でも調査兵団でも……まして社交界、どの様な場所でも人への礼節は尊ぶべきものです…!
……私は小さい頃から両親にそう教えられて育ちました。それを、あのような形で………」


戦慄くペトラの身体を沈めるように…シルヴィアは先程と同じに彼女の双肩に掌を置いてそろりと視線を合わせてくる。


…………ペトラの柔らかなアンバーの瞳と対照的に冷たく金属質な銀灰色をしたシルヴィアの瞳が交わった。


思わず、ペトラはそこから視線を逸らせてしまう。



シルヴィアは彼女の仕草に少々苦笑した。

それから……「何か、ひどいことでも言われてしまったのかな。」と優しく声をかける。


…………ペトラの肩が小さく揺れる。



「どんな事か言ってごらん。もし誤解が向こうにあるのなら私が解いて来よう。」


彼女の言葉に、ペトラは「ちがう……そう言う訳では……、」と弱々しく声を漏らした。


それを聞いて、シルヴィアは緩やかに首を傾げて彼女の顔を更に覗き込む。

恐らく、ペトラの胸の内…そして色々なことは既に悟っているのだろう。



「それとも………私のことかな。」



シルヴィアとペトラの視線は再び交わっていた。

ペトラの微かな瞳の揺らぎから、シルヴィアの予想は確信へと変わる。


…………そうして身体を起こすと、小さく息を吐いて「……人気者は中々辛いものだね。」と何だかおどけたように言ってみせた。


全く持って気にかけた様子は無い。

その様を、ペトラは唖然として眺めた。



「なぜ………」


そしてしばらくして口を開く。

シルヴィアは黙って耳を傾け、続きを待った。


「なぜ………そんな風に何でも無いようにしていられるんです……。
先程からもそうです、心にも無い態度を取ったり発言したり……」


ペトラは言いながら…目の奥が熱くなり、涙がじわりとして滲んでくるような気持ちがした。


「あんなふうに……直接意見を述べる勇気もなくて下品な陰口を叩くだけの人たちにも我慢がなりませんが、副長…貴方もですよ……。
媚びへつらって顔色ばっかり伺って……!
公舎での貴方は確かにろくすっぽ仕事しないロクでも無い人間ですが……こんな兵士としての誇りの無い人だなんて思わなかった……!!悔しくは無いのですか!」


彼女は浮かんだ涙をぐっと堪えて、シルヴィアのことを見上げては胸の内を吐露するように言っていく。


…………恐らく、興奮して自分が何を言っているかをよく理解していない。

平素の彼女であれば、如何に親しいとは言えども上官にこのような口を効いたりはしないだろうから……。



シルヴィアはそんなペトラの様子を見守るようにしている。


それから彼女の言葉の意味を咀嚼しつつゆっくりと頷いてから、にっこりと……先程と同じく、何の陰りも隙も無い笑顔をその方に向けた。



「…………それが私の仕事だもの。仕様の無いことだよ。」



その穏やか笑顔を前にして……ペトラは自身の中で静かに、けれど猛然と燃え立っていた何かがみるみると鎮静していくのを感じる。


そしてそれと同時に湧き起こるのはやってしまった、という焦燥と眼前の上官への陳謝の念だ。



「……………ペトラ君?」



固まってしまった自身を呼ぶ声で我に返る。

そしてばっとシルヴィアを勢い良く見上げたあとに、同じくらいの勢いで深く頭を下げた。


唐突なペトラの行動にシルヴィアは目をパチパチと瞬かせる。



「…………申し訳ありませんでした……!!
職務中であるのを忘れて遂カッとなってしまって………、私の所為で折角シルヴィア副長が準備してくれた場が台無しに………
いえ、そして何よりも私、なんて失礼なことを……」


ペトラは頭を下げたまま一口に言い切った。

そして回答を待たず、またしても頭を上げる。


……シルヴィアは、ひたすらにきょとりとした顔をしてそれを眺めていた。



「でも……でも、私許せなかったんです……!
あんなに下品な言葉を……それもややもしたら副長に聞こえる様に…!最低で、卑怯だと思います…!!」



少しの間……二人はまたしても互いをじっと見つめ合う。


やがてシルヴィアはびっくりとして固まっていた面持ちを解いて、淡く笑った。

………それがいつもと違って随分と優しい表情だったので、ペトラの身体の内には忘れていた涙の感覚がどういう訳かまた蘇ってくる。



「な、何笑ってるんですか…………。」


それを悟られぬように目を逸らして尋ねれば、双肩に置かれていたシルヴィアの掌がペトラの柔らかな頬へと触った。

そうして彼女は額が触れるほどの距離まで顔を近付けると、小さな声で囁きかけるようにする。



「…………君のそういうところはとっても良いところ。どうか無くさないでね。」



それを言い終わると、またシルヴィアは顔を離して……掌も、そっと下ろす。



「ありがとう、ペトラ君。」



今日君がいてくれて良かった、と彼女はもう一度微笑んだ。



「…………落ち着くまでここに居なさい。無理をして連れてきて…悪かったと思っているよ。」


そう言ってシルヴィアは身体の向きを変えてまた巨大なホールの喧噪の中に戻ろうとする。


ペトラが思わず引き止めようと腕を伸ばすが、その気配を察したのか「私はまだ仕事があるからね。」と振り返って…もう、いつもの不思議な微笑の表情に戻っていた。



そしてシルヴィアはペトラから一歩ずつ離れ、元居た場所へと赴いていく。



ペトラはぼんやりとその背中を眺め……そして、本日彼女が一番の目的だと言っていた権威ある貴族の三姉妹へと話かけにいくのを見守っていた。


………シルヴィアが戻って行ったことで、また会場内の一部では彼女へと陰険な空気が向けられるようになる。


それは先程自分が騒ぎを起こしてしまった所為でより強く、粘つくような色合いを持って場に存しているように思われた。



(……………………。)



彼女は、今までもずっとあの様な息詰まりの、悪辣で孤独な場所で……一人、戦っていたのだろうか。



多忙な団長に変わって上層部や他兵団、貴族と調査兵団の関係を潤滑に保つのがシルヴィアの主な仕事のひとつだ。


…………彼女はあまり裕福な出自ではないと聞く。この様な豪奢な集いは当初、さぞ肩身が狭かった事だろう。

今の自分と同じように。


そしてペトラは……数時間程前、共に準備をしていた時にシルヴィアが妙にというか…年甲斐も無く、はしゃぐようにしていた様子を思い出す。



ひとつ深呼吸をしてから………………自分も大ホールへと再び足を向けた。


目指すのは美貌の三姉妹と談笑に興じるシルヴィアの元だ。



…………リヴァイの言う通り、シルヴィアはこの場所では調査兵団の誰よりも手練だ。


(私が彼女の力になれる事なんてたかが知れている……。)


でも、少しでも負担を減らすことが出来たのなら…。共に戦うことが。


(そうだ。それが目的で今夜、私はここにいるんじゃないか。)



急く様にして早足でシルヴィアの隣にようやく立つ。

………突然のペトラの出現に、彼女…そして三姉妹は少々驚いたような視線を向けて来た。


中でもやはり三人の姉妹の視線は鋭く…値踏みしてくるようなものを感じて、不安な気持ちになる。

けれどペトラはそれを精一杯に気にしない様にしながら口を開いた。


「わ…私も、お話に参加してもいいですか……!」


その言葉にシルヴィアは意外そうにして目を見張った。

だが……やがてペトラの顔をまじまじと見下ろしては、「もちろん」と言って微かに笑う。



「リヒター侯爵夫人、エルンスト公爵夫人、フロウ・ダニエラ・ゾーヴァ。どうか部下の相伴いをお許し下さいませ。
お美しい貴方がたを前にして私も大変緊張しておりまして…助けが欲しいと思っていたところなのですよ。」


そして彼女たちの方を向いて、上品に笑いながら饒舌に語っていく。

三姉妹はその言葉に気を良くしたのか鮮やかに笑みを零す。どうやらペトラの同席を承認したようである。



緊張して汗が滲むペトラの掌を、シルヴィアが周りに悟られない様にそっと握った。


そしてシルヴィアの無機質に白い顔の中、唯一滲んだ様に赤い唇がゆっくりと動き…「ありがとう」の形を描く。


勿論、元から声は出していなかったのか…それとも周りの喧噪にかき消されたのか…それがペトラの耳に届くことは無かったが。



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