銀色の水平線 | ナノ
◇ ペトラと準備する

「…………大丈夫……!大丈夫です、本当に!!自分で着替えられますからっ……!!」



……………それから程なくしてシルヴィアは再び自室に帰ってくる。

最近ようやく打ち解けては口をきくようになってくれた女性兵士の部下を連れて。



……ハンジは、いつの間にかその姿を消していた。



「慣れないと一人で着るのはまず無理だよ。はい、背筋を伸ばして。締めるから……ちょっと苦しいけど我慢してね。」


「うう…………。」



今夜の準備をするから、ということでペトラは初めてシルヴィアの部屋に招かれることになった。


副団長の自室に、いわゆる一介の兵士に過ぎない自分が足を踏み入れるだけでも緊張すると言うのに、いきなり服を剥かれては着替えさせられるものだから堪ったものではない。


……彼女は色々な意味でパニックに陥り、事態の処理に頭が追い付いていなかった。



「…………うーん。どうかなあ……。ちょっと地味かもね。」



ようやく着終わったウィスタリア色のドレスの胸元に、白い薔薇の飾りを留めてみながらシルヴィアが首を傾げて言う。



「どう思う?ペトラ君。」



そして大きな姿見の鏡越しに未だ混乱から抜け出せずにいるペトラに話かけた。



「い、いえ……。こ、これでじゅ、充分だと思います………。」



もしここで首を縦に振ったらまた着替えの為に裸に剥かれるのが目に見えている。

それだけは回避したいと、ペトラはようやくその言葉だけ絞り出した。



「いや………。ペトラ君は若さと華やかさが武器だからなあ……。もっと明るい色のものの方が良いかも……。」



だがシルヴィアは納得していないらしい。ぶつぶつと何事かを口の中で呟きながら衣装箪笥の方へ足を運んで行く。



「やっぱりこっちにしてみよう。はい、脱いで脱いで。」


「だから……!自分で出来ますから……!!」


「二人でやったほうが時間の短縮にもなるでしょう。女同士なんだからさあ恥ずかしがらずに」


「そういう問題じゃないんです話を聞いて下さいっ」



だがペトラの言葉は聞き届けられずに、鬼のような早さでウィスタリア色のドレスは脱がされてしまう。


またしても肌着姿となってしまった自分の姿がちら、と映る鏡を眺めては、彼女は盛大に溜め息を吐いた。







「………………うん!」



それから数着ほど着替えさせられた後……遂にシルヴィアが納得したように首を縦に大きく振る。



「似合うなあ……!すごくかわいいよペトラ君!!」



そして姿見に映し出されたシャンパンゴールドのドレスを纏ったペトラに向かって若干興奮したように呼びかけた。


それに反して慣れないドレスを一度に五、六着も着せ変えさせられたペトラはぐったりとしている。


このままでは懇親会まで持つかすらも不安である。



「どうしたの。折角かわいいんだから笑わないと。笑顔笑顔。」


そう言いながらシルヴィアはドレスに合わせた装飾品を選んでいた。


小さな真珠が散りばめられたものか大振りの白金の首飾りで悩んでいるようである。


このドレスと合わせて、それ等が自分の給料何ヶ月分、いや何年分であるのかを考えてはペトラは目眩を覚えた。



「…………こういうのって、全部自腹なんですか。」


そして思わず聞いてみる。

シルヴィアはペトラを鏡台の前に座らせては首飾りを留めていた。指先が微かに首に触ってこそばゆい。



「まさか。社交界に顔を出すの仕事のひとつだから、こういうのは経費で落ちるんだよ。
……………あとはまあ……宝石は貰うことが多いかな。」


「も、もらうんですか。」


「そうそう………。ほんとにポン、とくれるんだよ。まるで飴をひとつどうぞ、みたいなノリでね。
…………最初は断っていたんだけれどもうキリが無くなっちゃって。
そういうことがあるたんびに彼等と私たちは住む世界が違うんだなあとつくづく思うよ……。」


シルヴィアは今度はブラシを手に取ってペトラの髪を梳かし始めた。

「少し髪も結って行こうか。巻き毛を作ったことは?」と聞かれるので無言で首を振る。


「じゃあ今回は軽くまとめるだけにしようか……。急に色々やると疲れちゃうからね……。」


そう呟くシルヴィアの声は穏やかだった。………そしてどこか幸せそうにも感じる。

ペトラは相変わらず黙ったままで鏡の中の自分を見つめた。


…………洋服が変わって、化粧をしただけでいつもとまるで違うように感じる。


勿論兵士として姿や形は二の次だと弁えてはいるが……こうしてどんどん自身が変化していくところを見るのは、恥ずかしいのと同時に…少しばかり、胸が高鳴った。



「…………緊張してる?」


ふいに、シルヴィアが声をかけてきた。

ぼんやりとしてしまっていたペトラは思わず変な声をあげてしまう。


「ごめんごめん。何だか心ここにあらずっていう感じだったからさ……。」


驚かせてしまったことを詫びるようにシルヴィアは苦笑した。


「わ、私こそすみません……。ぼーっとしちゃってて……。
確かに仰る通りに……少し緊張しているのかもしれません。兵士として公の場に出るのは初めてなので……。」


「大丈夫だよ。ちゃんとフォローはするから……。
それにほら、こんなにかわいいんだから自信持って、ね。」


「そんなことないですよ……。そう思って頂けるのはきっと副長のプロデュースの賜物です……。」


「ふふん、お世辞が上手だねえ。」


「お世辞じゃないですよ……!こんなに素敵なドレス、私初めて着ましたし……。」


「…………………。気に入ったのなら、あげようか?」


「へ?」



唐突なシルヴィアの言葉に、ペトラの目は思わず点になる。


だが彼女は一向に構った様子はなくヘアピンを器用に扱いながらペトラの髪を結い上げていた。



「…………いや。そんなに驚かないでよ。もうそのドレスは私の年で着るのは些か厳しいものがあるんだよ。
古着として処分しても良いんだけれどなんなら喜んでもらえる人にあげた方が良いかな…と」


「いえいえいえいえいえ!!こんなのもらえませんよ!!第一どこに着ていけば良いんですか!!」


「うーん…………。また貴族との懇親会がある時にでも着れば良いんじゃないかな。」


「え?」


「それで私にもう一度着いて来てくれたりしたら………。嬉しい、かも。」



そう零した後に、シルヴィアは最後の仕上げとばかりにローズピンクの花飾りを彼女の髪に差し込む。


そしてその具合を微調整しつつ確認しながら…「なんてね。」と鏡越しに微笑みかけた。



「手伝ってもらうのは今回きりだから安心して良いよ。
……まあ、ちょっとしたイベントだと思って気楽にしていてくれれば大丈夫。」


面倒なことは私がやるから……と呟きながら、シルヴィアは満足そうに着飾ったペトラのことを眺める。


それからもう一度「すごくかわいい。」と言ってはにっこりとした。



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