銀色の水平線 | ナノ
◇ ハンジと話す

「お邪魔ー、お、おわ………」



シルヴィアのうなぎの寝床のような部屋の一番奥、寝室の扉を開けて足を踏み入れたハンジは思わず声をあげる。



「ああ……ハンジか……どうしたの。」



それに応えるようにシルヴィアはその方を見て言葉をかけた。



「い、いや………。執務室に見当たらないから書類を……って思って………。」



ハンジにしては珍しくどぎまぎとした口調でそれに返す。

シルヴィアはそれに「んー、」と生返事をすると着かけていた白いシャツにそのまま袖を通した。



「そこの机に置いておいてくれ……今日帰ったら……いや、明日にでも見させてもらうよ。」



とくに着替えを見られたことは気にしていない様子であった。

何事も無かったかのように胸の金釦をかけていく。少しだけ伏せられた目の下で、長い睫毛が影を作っていた。



「……………鍵。閉めなよ。」


シルヴィアの姿は普段よりも随分肌色が占める面積が多い。ハンジはそれをぼんやりと眺めながら呟いた。


だが、変にいやらしいとかそういうことは感じなかった。

……なんとも無機質な。よく出来ている工芸品が完成され行く様を見守っているような気分になる。



「ここの部屋にいるとノックの音が聞こえないんだ。だから勝手に入って来てもらう方が都合が良い。」



それにいつも着替え中ってわけじゃないしね…と呟きながら、シルヴィアは折り目の正しい黒のスラックスを繁々と眺めた。

彼女の手の中で広げられたそれは、中途半端に開いた窓からの風に僅か斜めに靡いている。



「……………男物の服なんて着てどうするのさ。」


するりと白い脚がスラックスの中に吸い込まれていく。

ハンジは書類を適当に机の上に放ると、シルヴィアのベッドに腰掛けてはそれを横目で眺めた。



「今日の私のお相手は御婦人だからね。こういう格好の方がきっとウケが良い……。
………本当はナナバを連れて行きたかったんだけれど都合が合わなくてね。」


シルヴィアは答えながらくつくつと笑う。………割と自分の現在の姿態を面白がっているようである。



「どうだ。似合うかな?」



ベルトをしっかりと締めた後、にやりともにこりともつかない例の独特の笑みを描きながらハンジに向き直るシルヴィア。


ハンジは瞬きを数回してから促されるままにシルヴィアの姿を頭から爪先まで観察する。


……………それから、「シルヴィアは何着ても似合うんじゃない」と曖昧な笑顔で応えた。



「おお、嬉しいことを言ってくれるね。照れるよ。」


シルヴィアは返って来た言葉を素直に喜んでは笑みを濃くする。無邪気なその表情にハンジは思わず溜め息をひとつ吐いた。



「………………でも。私はいつもの格好の方が好きだな。」


ぽつりと付け加えられた言葉に、シルヴィアは「んー?」とまた生返事をしつつ今度はタイを結んでいる。深い臙脂色のタイだった。



「いつもの…っていうとドレスの方かあ?確かに華やかにはなるけれど私はあれ嫌いだよ。着るのも脱ぐのも面倒くさいし。」


「いや……そうじゃなくてさ……。」



ハンジは立ち上がってシルヴィアの傍まで近付くと、彼女の顔にかかっていた銀色の髪をそっと耳にかける。


シルヴィアはそれを少しくすぐったそうにしては笑った。



「…………何だか、余所行きのシルヴィアはいつも別の人みたいだよ。」


「それは化粧をするからね。………ドレスの時は首まで白粉しなくちゃいけないんだ。あれは息苦しい。」


「いつも文句ばっかり垂れてぐーたらしてる癖ににこにこしてお世辞ばっかり言うしさ……」


「…………貴族様の前で文句垂れてぐーたらしてたら首が飛んでしまうだろう………。」


私だって長生きはしたい、と呟きながらシルヴィアは鏡台の前に腰掛けた。


髪を梳かそうとブラシを手に取ろうとするが……それよりも先にハンジがブラシの柄を握る。


…………どうやら梳かしてくれるらしい。シルヴィアは好意に甘えて鏡の方に向き直った。



ハンジは髪を梳かしている間は終始無言であった。


そして一通り満足したらしく、ブラシを元の場所に戻す。



……………二人は、少しの間鏡越しに見つめ合った。



「あんまり………無理しないでね。」



そして、ハンジがぽつりと零す。


シルヴィアはじわりとした笑みを描いては身体を反転させ、今度はハンジの瞳を眼鏡の奥に直接眺めた。



「ありがとう。とても嬉しいよ。」



そして立ち上がり、その頬に軽く口付ける。


ハンジの応えは聞かず、首元のタイを今一度締め直した後、「じゃあ、行ってくるね。」と微笑んでシルヴィアはつかつかと部屋を出て行ってしまった。



残されたハンジは、今しがた唇が落とされた頬を軽く触った後に再び溜め息を吐く。



「…………あー……。これは今夜、さぞかし御婦人にウケが良いだろうね……。」



そしてしばらくしてから首をゆるゆる振って、そう零した。



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