銀色の水平線 | ナノ
◇ エルヴィンの誕生日 結編

「エルヴィン」



名前を呼ばれた方を見て……エルヴィンは少し驚いた表情をした後に顔を綻ばせた。



「シルヴィア………。来てくれたのか。」


「うん。結局、当日には間に合わなかったけどね。」



シルヴィアはエルヴィンの隣に軽く断りを入れてから着席する。



「構わないさ……。ここに来てくれただけで充分だ。」



彼の優しい言葉に、シルヴィアは思わず目を細めた。


…………それから、「改めてお誕生日おめでとう、エルヴィン。」と囁くように言ってグラスをかざしてくる。


それに応えるようにエルヴィンは軽く自らのグラスを合わせた。カチンと、気持ちの良い音が鳴る。



「……………随分、ぼんやりとしているな。流石に疲れたか?」



シルヴィアの様子を眺めながらエルヴィンが尋ねると、彼女は「そうかもね」と呟いては微かに笑った。



「だが………疲れ以上になんだか不思議な気分だよ。」


「というと……?」


「みんなが優し過ぎるというか……。いつも通りすぎるというか……。
もっと気を使われたり励まされたり、はたまた怒られたりすると思ってたよ。」



彼女のぼんやりとした言葉を聞いて、エルヴィンはそっと笑った。


それからゆっくり隣の彼女に掌を近付け、頬を軽く抓る。



「……………何をする。酔っているのか。」


シルヴィアは頬を摘まれたまま訝しげに尋ねた。



「多少は酔っているかもな………。だが、まあ……いつもとあまり変わらないよ。」


エルヴィンは彼女の頬から手を離してはくつくつと笑う。

シルヴィアは溜め息を吐いて抓られていたところをそっと触った。


「まあ……。確かに君は昔から思いもよらないことを急にしでかしたりする奴だったからなあ……。」


「その通りだ。人はそう簡単に変わるものではないからな。」


「…………私から見ると随分変わったように思えるけれどなあ。昔はもっと懐こくてかわいかったのに。」


「それは変化では無く成長したからだよ。
………今でも根本の部分はまるで変わっていない。昔から何一つ同じで、今もお前には存分に懐いているつもりだよ。」



エルヴィンの言葉を聞いてシルヴィアは何とも言えない表情をする。


それから「やっぱり酔っているな……。」と呆れたように言った。



「それほどひどく酔ってはいないさ。…………だから今日、例え日付には間に合わなくてもお前が来てくれて嬉しかったよ。」


本当だ、と付け加え、エルヴィンは相変わらずの笑顔をシルヴィアに向ける。


あんまりに爽やかな笑みを眺めながら………彼女もやがて笑ってしまった。


……………ざわついた室内で、二人はひとしきり笑い合う。



「確かに……私が思った程は変わっていないようだなあ。」


しみじみとシルヴィアが漏らすと、エルヴィンは楽しそうに頷いた。



「そうさ……。他の連中もきっと同じで、変わりたくても変われない頑固な奴ばかりだ。
…………だから、安心すれば良い。」



彼の呟いた言葉を聞いて、シルヴィアはまた小さく声をあげて笑った。

そしてそれと同時に、何故か泣きたい気持ちがこみ上げてくる。


それには気が付かないふりをして、グラスの中の液体を一口に飲み込んだ。

………やはり、沁みる。そしてとても美味しかった。



ふと。その時に、辺りの灯りがテーブルの上のひとつを残して一度に落とされた。



「おお………。なんだ?」


ほどよく酔いも回っていたシルヴィアはびっくりして思わず声を上げる。



「エルヴィン、これはどうしたんだろう。」


そして隣に座っているエルヴィンの袖をひいて尋ねるが……彼はただ笑って、そっと背後を振り返ってはそこを指差す。



「え………。」


シルヴィアもつられてその方を見た。


そして思わず言葉を漏らす。………何なのだろう。今夜は驚いては間抜けな声を上げてばかりだ。



背後には今さっきまで好き勝手に話し、騒いでいた調査兵団の兵士たちが集まってはグラスをかかげてこちらを眺めている。


皆、酔いも手伝っているのだろうが……とても幸せそうに笑っていた。



「シルヴィア。………本当はね、今夜はエルヴィンと一緒にシルヴィアのお誕生日も祝おうと思っていたんだよ。」


その真ん中にいたハンジが口を開きつつ、穏やかに上瞼をたゆませる。



「だからシルヴィアが来れなくなったって聞いてすごく残念だったんだけど……でも良かった、来てくれて。」


そのまま微笑んでいるハンジの表情は年齢よりも随分と幼く見えた。


…………シルヴィアは、事情がよく飲み込めずに瞬きを数回繰り返すのみだった。



「忘れたのかい、シルヴィア。自分の誕生日をあんなに大々的に資料に印刷して皆にバラまいたのに関わらず。
今月は君の誕生月でもあるんだよ。」



ナナバの補足する言葉に、シルヴィアは且つてやらかした失敗を思い出して思わず赤面する。



「い、いや違う……。あれは、ハンジが勝手に……!」


「とにかく、だから皆で決めていたんだ。今夜はエルヴィンと一緒にシルヴィアの誕生日も祝おうって……。」



シルヴィアの弁明は聞き届けられず、ナナバはにっこりと美しい笑みを顔に描いた。

……………その笑顔を前にシルヴィアは最早何も言えずになり……ただ口を噤むばかりである。



ミケが音も無く傍に寄り、少なくなっていたエルヴィンとシルヴィアのグラスに酒を注ぎ足した。


…………彼女は満たされたグラスを持っては少し照れ臭そうにエルヴィンに目配せをした。


彼は相変わらず、穏やかに笑っている。



「それじゃあ仕切り直しにもう一回乾杯しよう!皆、グラスにお酒は行き渡った?」


先程から浴びるように飲んでいるのに関わらず、ハンジはしっかりとした元気な声で皆に呼びかける。


それに合わせて、各兵士たちはすっと自分のグラスを先程より高くかかげた。



「愛すべき我々の団長、並びに副団長のお誕生日に!」


ハンジの晴れやかな声がただひとつ明かりが灯った部屋に気持ちよく響く。


シルヴィアは自らの誕生日を祝われるという不測の事態に非常に緊張しつつも、慌ててグラスを皆と同じようにかかげた。



「「「「「「「乾杯ー!!」」」」」」」



グラスが触れ合う音が部屋のあちこちでして、夜更けなのに関わらず辺りはずっと賑やかである。



シルヴィアは未だに夢見心地でふわふわとしていたが、やがて色々な人物におめでとうと声をかけられては我に返って対応をしていた。



その合間に、そっと目を伏せて幸せに感じ入る。


言葉ではうまく言い表せないけれど、その時はただ嬉しくて、本当に嬉しくて………。



初めて、生まれて来たことを祝われるのがこんなに幸せだなんて。



………………やがては変わって行く、動乱へと進み行くのを止めることが出来ないのなら、精一杯今日のことを覚えておこうと思った。



そして辛い時や迷った時は何度でも思い出して、一生忘れないでいよう。



幸せな今は、大切な仲間は確かにここにあったということを。



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