銀色の水平線 | ナノ
◇ エルヴィンの誕生日 後編

「…………………………。」



シルヴィアは、荒く乱れた息を整えては調査兵団の公舎の前にいた。


時計を出して確認すると、時刻は午前一時少し前。


小さく舌打ちをしつつ、彼女は時計の蓋を閉じた。



(………………間に合わなかったか。)



そして高く聳える公舎の最上階、唯一明かりが灯っている部屋を見上げては溜め息を吐く。



(まだあそこでは……皆夜通し騒いでは普段の息休めをしている最中なのだろう……。)



遠くに見えるかすかな灯影は、人気のないこの場所をより一層淋しく見せた。



しんとした辺りの空気を肌に感じつつ、シルヴィアは今現在友人たちを取り巻いている暖かい空気を思ってそっと目を閉じる。


…………本来ならそこに加わって、エルヴィンの誕生日を大いに祝いたいところだったが……、それには悔しいことに、ぎりぎり間に合わなかったようだ。



今からそこに参加しても勿論良いのだろうが……

ここ数週間の疲れが溜まっているのと、会議において……よりによって肝心の最後に、自身の力及ばずで結果が出せなかったことが強い罪悪感となってシルヴィアの胸中にのしかかっていた。



(正直………会わせる顔が無い。)



自分の役目は充分に分かっているつもりである。

そして情けないことに、こういうことでしか力になれないことも。

だから、数少ない務めをやり遂げることができないのがひどく悔しかった。



(恐らく皆は……決して私を責めたりはしないだろう。)



だからこそ、辛い。


そして………その優しさがこれからも同じでいてくれるのかが……少しだけ、不安になる。


自分が先程までいた綺羅びやかな社交界でも、何かしら変化の気配はあった。


恐らく、これから動乱の時代がやってくる。

その事態に直面しても、自分は変わらずに…今の不安定なバランスを保ってここにいることが出来るのだろうか。


そして周りを取り巻く皆も…………。



…………今まで通りには、恐らく行かないに違いない。


何もかもが変わって、終わりは訪れるものだ。それは嫌と言う程に知っている筈なのに、今はそれが空恐ろしい。



……………シルヴィアはそこから離れようと、目を伏せてから数歩、ゆっくりと後ろに退いた。



「おわ………」



しかし、退いた先で何かに背中がぶつかる。


……辺りに障害物は無かった筈だ。突然の出来事に彼女の口からは間の抜けた声が漏れる。



「いきなり動くな。それから少しは気配で気付け。」


「おお………。」



………この不機嫌そうな声色を聞き間違う筈は無い。そして、随分と久々に聞いた気もする。


シルヴィアは急に言葉をかけられた驚きにまた…小さく声をあげてはゆっくりと後ろを振り向いた。

そして何故か、その姿を認めた後にひどく安堵した気持ちになる。



「リヴァイ……。今晩は。」



彼女の挨拶にリヴァイは何も応えず、ただこちらをじっと見つめていた。


夜も更けた穏やかな風が沙椰と吹いて彼の黒い髪を揺らしている。


シルヴィアもまた、その様を微かに目を細めて眺めた。



「……………部屋に帰るのか。」



少しして尋ねられるので、そっと頷きかける。

……が、その前にリヴァイがシルヴィアの腕を握った。彼は真っ直ぐに彼女の瞳を見つめたまま、ゆっくり口を開く。



「少しくらい顔を出していけ。」



それからシルヴィアの答えを聞かずに手を引いて歩き出した。


彼女は思わず進むのを躊躇するが……振り返ったリヴァイがまた何も言わずにこちらを眺めてくるので、緩く首を振っては従うことにする。



……………二人で並んだまま無言で夜の道を歩いていると、ふいにシルヴィアの胸にひどく懐かしいと思う気持ちが去来した。



その感慨を表すようにいつの間にか合わさっていた彼の掌を少し強く握ると、同じくらいの力で握り返される。



どういう訳か、それだけで随分と救われたような気持ちがした。



「……………察するに、わざわざ外で待っていてくれたのかな。」



じわりとした笑みを零しながらシルヴィアがリヴァイに尋ねる。



「さあな……。好きに考えろ。」



リヴァイの声色は相変わらず抑揚が少なく無愛想だった。


…………シルヴィアは微笑んだままで「ありがとう。」と礼を述べる。


彼は何も応えなかった。しかしシルヴィアはもう一度ありがとうと繰り返す。



それからはまるきり無言だった。


二人はどちらからともつかず、いつの間にか随分とゆっくりとした歩調で公舎の入口まで歩いていく。



シルヴィアは………やはり、彼の傍にいるとどうしようもなく安心できる自分がいることを、歩きながら再確認した。



そして、今現在なんの心置きも無く隣にいることが出来るのはこの上無い幸せなのだと……とくに信じている訳でもない神に、初めて感謝したい気分になった。







「シルヴィア!!」


団長室の入口からリヴァイに連れられて入って来たシルヴィアの姿を見つけた途端、ハンジはその名を呼んで大急ぎで傍まで寄ってくる。


「凄いなあ……。リヴァイの予想した通りだよ、どんなに遅くなってもシルヴィアは来る、って………。」


「リヴァイはシルヴィアを待つことに関してはひどく頑固になるからね……。去年の忘年会のときを思い出すよ。」



ハンジの後ろからナナバもやってきてはシルヴィアに飲み物の入ったグラスを渡してくる。


そして彼女がそれを受け取ると、にっこりと笑って「お疲れ様。」と言った。



「あ、ありがとう………。」



シルヴィアは思わずどもりながらそれに応える。

………先程まで会わせる顔が無いとまでに思い詰めていたのに関わらず……実際会ってみると想像以上に和やかに接してもらえて正直、拍子抜けしたのだ。



「なんだ急にかしこまって……。シルヴィアの雰囲気が固いとこっちも調子が崩れるよ。」


ナナバはおかしそうにしながらシルヴィアの肩をポンと叩いた。



「シルヴィア、来たのか。
……………俺は正直、お前は帰っては来ても今日はもう部屋にしけこむとばかり思っていたんだがな……。」



「おわ…………。」



今度は背後から唐突に声をかけられるので、シルヴィアはまたしても何とも言えず間抜けな声をあげ、グラスを取り落としそうになる。

ナナバがすかさずそれをキャッチした。



「いや、しけこもうとしていやがった。だから強制的に連行した。」



リヴァイはミケに応えつつ溜め息を吐いた。

ミケは唇の端を持ち上げては「やはりな」とどこか愉快そうにする。



「なんだその態度は。文句あるのか、疲れていたんだ私は。」


シルヴィアは反対に若干不愉快そうにしながら先程取り落としかけたグラスの中のものを一口煽る。

ほどよいアルコールが疲れた身体に沁みていくような気持ちがした。



「いや……。文句は無い。文句はな。」


「何が言いたい。はっきり言いなさい。」


「言いたいこともとくに無いさ……。まあとりあえずは、よく帰って来た。」



ミケはシルヴィアの頭を軽く叩く。

………後にスン、と軽く鼻孔から音をたて、「ひどい香水と煙草の匂いだ。今日は念入りに風呂に入れ。」と呟いた。


「そんなにひどいかな……。自分じゃよく分からないのだけれど。
………ああ、でも最近社交界では女性用の煙草なんていうのも増えたからね。あれは結構不思議な匂いがする。」


「へえ、普通の煙草と違うの?」


ハンジが少し興味深げに尋ねてくる。


「うん。……なんて言うのかな。やはり女性が好むように甘い匂いがする香料が入っていたりするんだ。」


「ああ………確かに変な匂いする。何これ、これが社交界の香りってやつ?」



シルヴィアの首筋の辺りに顔を寄せてスン、と試しに匂いを嗅いでみるハンジ。


思わずシルヴィアは眉をしかめて「くすぐったいからやめなさい。」とぼやいた。



「へえ……。どれどれ、私にも嗅がせてよ。」



それに便乗するようにナナバもシルヴィアの首筋に顔を埋めてみる。


……………しばらく、シルヴィアはハンジとナナバに左右から首筋の匂いを嗅がれるという何とも非日常的な体験をすることになるが………

もう、抵抗する気力は無かったので成すがままにさせておいた。



「リヴァイ、羨ましいのか。」

その光景を眺めていたミケがリヴァイにぼそりと尋ねる。



「…………………。別に、糞の先ほども羨ましくはねえよ。」



リヴァイは相変わらず抑揚の無い低い声で応えた後に、ミケから渡されたグラスの中身を一気に煽った。



「ほんとだ……これ変な匂いだね。今の流行なのかな。ちょっと分からないね………。」


一通り満足したらしいナナバが顔を上げて感想を述べる。



「だよねえ。………というかこんな甘ったるい匂いのシルヴィア不気味だよ……!いつもの匂いはどうしたの!」



ハンジに尋ねられては「………いや、いつものって言われても……私は普段そんなに匂うかなあ……」と弱々しい声で答えるシルヴィア。



「匂うよ!………ねえリヴァイ!!」


「知らねえ。俺に話を振るな。」



…………リヴァイは何となく不機嫌そうである。


その理由がよく分からないハンジは少しだけ首を傾げた。



「ま、何はともあれお疲れ様だよシルヴィア。今夜会えてすごく良かった……!もっと沢山飲んでね。」


シルヴィアの空になったグラスになみなみと度数の高そうな酒を注いで行くハンジ。


その様を眺めつつ、ナナバは「ゆっくり飲ませてあげなよ……」と苦笑した。



「……………シルヴィア。一応今日の主役はエルヴィンだから……ああ、今はちょっと話し中だが……一声かけにいってやれ。
あいつもお前を待っていた筈だ。」


ミケは自分のグラスにも酒を注ぐようにハンジに促しながらシルヴィアに声をかける。


シルヴィアは曖昧に笑いながら頷いてそれに応えた。



「…………何だそのしけた面は。しゃんとしろ。」


脇からリヴァイが眉をしかめながら言う。………未だに不機嫌なようで、その声はやや低かった。



「分かってるよ……。………。でも、しけた面のつもりでは無いんだけどなあ……。」


そう零してシルヴィアは微笑む。



リヴァイはしばらくその顔を眺めた後に、小さく舌打ちをしては溜め息を吐いた。



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