銀色の水平線 | ナノ
◇ エルヴィンの誕生日 中下編

「シルヴィア。」


エルヴィンは総統局の会議場からすぐ出たところ、廊下の突き当たりに据えられたソファに腰掛けていたシルヴィアに声をかけた。

会議が終って程ない辺りは、未だに各地から召還された兵士たちでざわついている。

思いのほか長引いた所為か、窓の外ではすでにとっぷりと日が暮れていた。



シルヴィアは顔を上げて呼ばれた方を見る。

そしてエルヴィンの姿を認めるとほっとしたように微笑んだ。



「……………お疲れだったな。」


エルヴィンはシルヴィアの隣に腰掛けつつ労うように言う。


「うん………。君もね。」


シルヴィアは微笑んだままそれに応えた。



「………………………。」


「………………………。」



しばし、二人はそのまま無言でいた。


お互い、相当に消耗しきっていたからだ。



だが………やがて、シルヴィアがゆっくりと口を開き、微かな声を漏らす。



「………………すまなかった。」



その言葉を聞き届けて、エルヴィンは瞼を軽く下ろしては首を振った。



「謝ることは無い……。お前はよくやってくれたよ。
思い通りにはならなかったが、最初提示された条件よりは随分と譲ってもらうことができた。……感謝している。」


エルヴィンの穏やかな声に耳を傾けていたシルヴィアは、ゆっくりと顔を両手で覆って溜め息を吐いた。

掌を離しては、今度は腕を組む。身体はぐったりと背もたれに預けられていた。



「…………ありがとう。だが………これから、しんどくなるな。」


…………周囲には未だに兵士たちが留まっては言葉を交わし合っているので、やや潜めた声で彼女は呟く。



「そうだな………。」

エルヴィンもまた腕を組んでそれに相槌を打った。



「苦しいのは何も予算を削り取られることばかりではない。……我々の信用は年々低くなってきている。
いたしかたないことではあるが……。目に見えるだけの成果を、何一つとして示せたことは無いのだから。」


シルヴィアは喋りつつもその視線は天井からぶら下がる豪奢なシャンデリアを捕えていた。

橙色の光がぼんやりと滲んでいる。目が霞んでいる所為か、眩しくてたまらなかった。



「……………最近では巨人の討伐数も、陣形と装置の改善で飛躍的に上がっているだろう。
それは数字で見ても明らかな筈だが。」

エルヴィンの反論するような言葉にシルヴィアは眉をしかめる。


「そんな数字の上での出来事は無いに等しい。彼等は一か零かでしか物事を考えられないのだから。
最近では調査兵団の存在自体を疑問視する声が多い…………。今すぐにとはいかないが、このまま下手を続けると我々の兵団は解体だ。」


「…………一か零かでしか考えられない連中が相手ならば一を示せば良いだけの話だろう。何も悲観的になることは無い。」


「ああ……それはそうだが……。」


「弱気な姿勢はらしくないな。しっかりと気を持て。」


「…………分かっている。
だが、最近思うんだよ………。私たちの敵は、壁の外にいる連中だけではないかもしれない。」



シルヴィアの呟きに……同じようにシャンデリアを眺めていたエルヴィンはその方を向いた。


彼女は相変わらず夥しい量の光を放つそれを見つめ続けている。しかし、その表情は険しかった。



「…………いつしか、人間同士で多いに争わなくてはならない時がくる…。
そのことを考えると……私はどうしても気が塞いでしまうんだよ。」


………やはり、しんどくなるな。と零してシルヴィアは口を噤む。


エルヴィンは何も応えずに、彼女の横顔を見つめ続けた。しかしシルヴィアはこちらを向かない。


二人の視線は交わらないまま、しばらく時間が過ぎた。


廊下に大勢いた兵士たちの姿はようやくまばらになってきていた。


大きな窓からは鋭い三日月が覗いている。金色の、シャンデリアの灯りに負けず劣らず強い光を投げ掛けてくる月だった。



「…………………馬車を待たせてある。そろそろ行こう。」



ようやくエルヴィンが切り出すと、シルヴィアは瞳だけ動かして彼の方を見る。


先に席を立った彼が手を差し伸べるが、シルヴィアは首を振って大丈夫だ、と応えた。



…………程なくして彼女も立ち上がり、二人は並んで長い廊下を辿っては出口に向かっていった。







…………………馬車の中は無言であった。


鉄の轍が夜の街の石畳をがらがらと行く音が響くのみで、しんとした空気が漂っている。



「……………エルヴィン。ウォールシーナの近くに来たら私は降ろさせてもらうよ。」


しかし、ふいに思い出したようにシルヴィアが呟いた。



…………エルヴィンは彼女の思わぬ言葉に数回瞬きしては「それは良いが…何か用事か。」と尋ねる。



「ああ……。先日言っただろう。リヒター夫人による慈善会に明日招かれているんだ。
調査兵団の宿舎に戻るよりも一晩その付近に泊まって行ったほうが色々と面倒が少なくてすむ。」


彼女は窓の外を眺めながら答えた。


エルヴィンは足を組み直しては「そうか。」と短く相槌を打つ。



「……………少し眠くなって来てしまったから……着いたら起こしてもらっても構わないかな。」


「ああ……。」


「それと、明日は恐らく言えないと思うから言っておくよ……。お誕生日おめでとう。」


彼女の銀灰色の瞳は、いつの間にかエルヴィンの姿をしっかりと捕えていた。


そして穏やかに祝辞を述べると、それはゆっくりと閉じられていく。


…………エルヴィンはその様をじっと見つめた後に少し笑って「ありがとう」と応えた。



――――



やがて、シルヴィアは眠りに落ちて行く。


寝息すら立ててはいないが、気配でなんとなく察しがついたのだ。



エルヴィンは………彼女の色濃い隈をこさえては疲弊し切った顔を少しの間ぼんやりと眺める。


数時間前まで会議室の中で見ていたふてぶてしくも怖いもの知らずな女とはまるで別人のように感じた。


…………年々求められる回数が多くなるに連れて…彼女の、裏と表での性質の差は顕著になっていくような……そんな気持ちがする。



(きっといつしか、人間同士で多いに争わなくてはならないときがくる……か。)



そして先程の彼女の言葉を頭の中で繰り返した。


…………確かに壁の外と中、ふたつの敵に囲まれれば自分たちの立場は相当に厳しくなるだろう。


人間。………敵としてこれ以上に面倒な相手はいない。時と場合によれば巨人よりも厄介だ。



思えば、シルヴィアの仕事の中心は常にその人間との戦いだった。


………これは先代の団長の時分からずっと変わらないことである。そして恐らくこれからも。



少しだけその苦労を思ってみるが、他人の心配ばかりしていられないことに気が付いては溜め息を吐く。



(お互い……これから苦しくなりそうだな。)



心の中で呟き、窓の外に視線を移した。


……明日が、自分の誕生日だとは信じられないほどに心持ちは薄暗い。



そして何故か今思い浮かぶのは、何も不安なく毎日を楽しんでいた十代前半……訓練兵の時代である。


あの時の念願は適って自分は調査兵団に入団し……そして無我夢中に職務をこなすうちに気付けば団長にまで昇りつめていた。


そしてシルヴィアも同じように。



だが、お互い日々に忙殺されいくうちに話すことと言えば仕事の内容ばかりになってしまった。


かつては……何の話をしてはあんなに笑い合うことができたのだろう。もう、よく思い出せなかった。



(…………そういえば、俺の誕生日になると…シルヴィアはナイルと連れ立ってこちらに抜け出して来ては、祝ってくれたものだったな………。)



それからも毎年、どんなに忙しくても必ず一言おめでとう、と声をかけてくれた。


長い付き合いの中……そういえば、今回が初めて当日に会えない年なのかもしれない。



それを思うと、…………何とも言えない気持ちになった。



(まったく…………)



虚ろな気分を払う為にわざと大きく息を吐く。



「年を取るのも善し悪しだな……。」



窓から再びシルヴィアへと視線を移した。

彼女は死んだように眠っている。

表情がちょうど影になっている為に今はどんな夢を見ているかも見当がつかなかった。



……………あの時はそれが当たり前過ぎて気が付かなかったが、何の屈託も無く笑い合えた時間というのはどうやらとても大切なものだったらしい。


成長するにつれて使命や責任で身動きが取れなくなって行く。


勿論それは自分で望んだ結果だ。後悔は無い。シルヴィアもその筈だ。同情や哀憐は必要ないだろう。



(だが………しかし。)



エルヴィンは口を閉ざしたまま……ウォールシーナまでの数十分間、シルヴィアの陰った横顔をただ眺めていた。



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