銀色の水平線 | ナノ
◇ 名も無き猫と話す

黄金を透明にしたような光が細く、雨戸の隙間から差し込んでいる。


時計はもう、昼時を回っていた。



シルヴィアはぼんやりと壁に据えられた大きな柱時計で時刻を確認し………しかし、それでも尚再び眠りの世界に旅立とうと毛布を頭に被り直す。



「………………ぐっ……」



しかし、身体にのそりとした重たい感触がのしかかるのを感じて間抜けな声を思わずひとつ。



もう一度毛布の中から顔を出し、自らの上に乗っては不満げにこちらを見下ろす同居者のことを見つめた。



…………早く起きて飯を作れ、と催促している。



シルヴィアは彼の顔面をぐにぐにと弄り、それから頭の天辺をかりかりとくすぐった。その両端にある尖った三角の耳を触ると、嫌そうにする。


彼女はそれがおかしくて、しばらく彼と寝転んだ姿勢のままで遊んだ。



……………そうしているうちに頭の中がはっきりとしてきたシルヴィアは、ようやくではあるが、よいしょ……というかけ声と共に上半身を起こした。



真っ黒い猫を抱き上げて胸に収めると、微かな声で鳴かれる。



よしよし、と軽く撫でてベッドから起き上がり、雨戸が閉め切られた窓へと向かい、それを開け放った。


そこには、ちょっと指先に触れただけでぱきりと音を立てて壊れ落ちそうに冴え切った青空が広がっている。



綺麗なものだ、とシルヴィアは感心しながら眺めるが、やがて軽い目眩と頭痛を覚えて眉をしかめた。



………溜め息をひとつ吐き、彼女は窓から離れる。



そもそも。自分はあまり酒が得意ではないのだ。


親しくない人物と飲むのならそれは尚更で、けれど飲まなくてはならない時は大いにある。昨晩のことが良い例だ。



(……………………。)



シルヴィアは黒猫の背中辺りの毛を擦る様に撫でた。


暖かくて、滑らかだ。



主人の気も知らず、心地良さそうに腕の中で喉を鳴らしている。

……いつから一緒にいるかはよく思い出せないが、大切な友人のひとりだ。



名前はない。まさに小説のように。



且つて可愛がった少女に少し似ているところ……快活で食い意地の張っている、瞳が大きくて綺麗な……があるのでその名を付けようとしたこともあるが、やめた。



何だか、悲しいからだ。



「流石に二日連続で夜会というのは気が重いよなあ………」



そう言いながらシルヴィアは部屋の奥へと足を進める。



彼の食事を用意しなくては、怒らせてまたカーテンをぼろぼろにされてしまう。







床に置かれた銀色の皿の上の朝食……いや、もう昼食か…を食べる彼の一生懸命な姿を、シルヴィアは何とはなしに見下ろしていた。


普段はひどい甘ったれだというのに、ものを食べている時に身体に触れたりすると大変ご機嫌斜めになる。なんとも難しい奴だ。


やがてシルヴィアも自分も何か食べよう……と食物を探して辺りを見渡した。



……………丁度、真っ赤な林檎が三つほど目に留まる。……そう言えば、アップルパイの試作をしようと思って買ったのだけれど結局忙しくて作れなかったんだっけ………。


シルヴィアは、その内のひとつを手に取って、まじまじと眺める。

深い赤に、少しの緑が混ざっている。自然界にしか存在しない美しい色の調和だ。


つやつやとした表面をしばらく見つめた後、剥かず切らずに口元に運んで、齧った。


さくりという心地良い音の後に強い甘みを感じる。


………なかなか美味しい。もしかしたらパイにするよりもこのままの方が良いんじゃないか、と思いながら、シルヴィアは二口、三口と繰り返しそれを噛んでは嚥下していく。



「……………なあ。リヴァイは、私が作ったものを喜んでくれるだろうか………」


食事を終えて少し眠そうにしていた彼に尋ねれば、声に応えるようにカウンターの上にするりと登って近くにくる。

シルヴィアはその頭をぽん、と叩くように一度撫でた。



「いつも完食してくれるのは……エルヴィンが言う様に、本当に私を嫌っていないからなのかな……」



質問を重ねるが、勿論返事が返ってくることはない。林檎をもう一口、齧る。



「次も……食べて、美味しいって思ってくれたら……良いよなあ……。すごく。」



呟いて、食べかけの林檎をカウンターの上に置いた。軽く瞼を閉じると、やはり頭痛がする。



「……………今日は……二人、仲間がついてきてくれるんだ。」


シルヴィアは黒猫を抱き上げながら、囁くようなごく小さな声で漏らす。



「ちょっと強引な方法だったけれど、そうして良かった。それだけですごく…………。」



呟きながら、彼女の顔には笑みが広がった。やはりにやりでもにこりでも無い、けれども柔らかい笑顔だった。


一番の親友である、真っ黒い彼の前でしか見せないあどけない表情である。



「ほんと……いくつになっても子供みたいで、嫌になるよなあ………」



シルヴィアはくつくつと喉の奥で笑いながら、台所を後にする。



……………今日は、夜会の時間まで休みをもらっている。


エルヴィンの気遣いだか何だかはよく分からなかったが、有り難く享受させてもらうことにした。



部屋の中には開け放した窓から沙椰、と風が吹き込んでくる。



……………どういう訳か、シルヴィアは今の様に部屋の中一人でいる時よりも、大勢に囲まれて酒を飲み交わし褒めそやしあっている時の方が強い孤独を感じていた。


その感覚は年を取れば取るほど強くなって、時々攻め付けられている気分になる。


事実、自分は綺羅びやかな社交界の影ではひどい言われようをしているのを知っていた。……いや、最近は影でも無くなっている。

時々は新聞にも下品な言葉と共に顔写真が載ったりもした。



それは別に構わないし気にしていたらきりが無いのだが、この冴えに冴えた秋の空色に浸っているとどうにも寂しいような気持ちになる。



(まあでも………生きているんだ。……それだけで充分……。贅沢を言っちゃ駄目だよなあ………)



シルヴィアは部屋に吹き込む空気を感じ入る為に瞼を下ろした。


りん、とした音がしそうな程に澄み切っている。


遠くの方で訓練に励む兵士たちの声が聞こえた。


………着替えをすませたら様子を見に行ってみようかな……。そんなことを考えるといくらか穏やかな気持ちになる。


そして不思議にも秋風に吹かれてさわさわ揺れている青い草の感覚というようなものを感じるのであった。

いつの間にか心は清すがしいものに変わっているので、シルヴィアは軽く鼻歌をしながら部下たちを冷やかしに行く為に身支度を整えるのであった。



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