銀色の水平線 | ナノ
◇ エルヴィンと話す

「……………………。」


シルヴィアは、エルヴィンと向かい合って座っては紅茶の入ったカップをソーサーから持ち上げて、一口啜る。


朝とは違う銘柄だ。


彼女は調査兵団の社交を全面に引き受ける立場にある為、ものをよく貰う。紅茶の茶葉もその内のひとつだった。



「…………エルヴィン。リヴァイは未だに私に心を開いてはくれないのだろうか。」



そして溜め息と共に言葉をこぼす。


たった今、次の壁外調査の陣形………今のシルヴィアの発言とは全く関係のないことを話していた為、エルヴィンは事情がよく分からず数回瞬きをする。



それから……なんとなく彼女の言葉の意図を理解し、「ああ……」と柔らかく笑った。



「…………リヴァイの口の悪さは昔からだろう。何も気にすることはない。」


そして地図上に何かを書き込んでいたペンをくるりと指で弄って一回転させる。


「いや………それは分かっているよ。
まあ、あの年だ。今更、更正させるのは無理があるしさせる気もないが……どうもそれだけではない。私は信用してもらえていないようなんだよ。」



ほう、とエルヴィンは相槌を打った。

シルヴィアはあまり愚痴を零す人間ではない。……だが、人間関係のことになるとどうにもナイーヴだ。


これは、彼女の元の性格と周りが受け取る印象に多少ずれがあることがその原因と言えるのだが…シルヴィア自身はそれがよく理解できていなかった。



「…………リヴァイとお前は、少し似ているところがあるのかもしれないな。両方共……どうにも不器用だ。」


「私はあんなにひねくれた刈上げな性格ではないよ。」


「刈上げな性格?」


「まあ。良い。………私とあの子の関係は兵士として円滑に進めばそれで問題は無いんだろうからな……。」


「………その上意地の張ったところまで似ているな。」


「うるさいぞ。私の心はいつだって素直でピュアーだ。」


「………………………………………。そうだな。」


「なんだその目は。噛みつくぞ。」



シルヴィアはカップの中身を一口に飲み干すと少し乱暴にソーサーに戻した。カチャン、と少々耳障りな音がなる。



「まあ……あれでも大分丸くなった方だと思うが。」

エルヴィンも紅茶を一口飲んでは少し顔しかめた。………いつも思うのだが、どうにも彼女は紅茶を濃く淹れ過ぎる。


「それもそうかもね……。あの時は殺されてしまうかもと思ったよ。」


シルヴィアは何かを思い出しては淡く笑う。………なんだかおかしそうだ。少し、元気になったようである。


「まあ、それにリヴァイだってシルヴィアが嫌いな訳ではないだろう。
……慎重な男だ。そうでなければお前が作ったものを毎回なんだかんだで完食することはない………」



エルヴィンの呟きに、シルヴィアの瞳の中で微かな光が揺らいで灯った。


…………分かりやすい奴だな、と彼もまた少しおかしくて笑みを零した。



「まあ、素っ気ない態度も愛情表現みたいなものだと思えば良いんじゃないのか。」


そう言えば、シルヴィアは「そんなぎすぎすした愛はいらないよ。」とうんざりしたように言った。



「…………っと。そろそろ刈上げ談義も切り上げて本題に戻ろうか……。」


シルヴィアは空になった自分のカップと、エルヴィンのカップに紅茶を注ぎ足す。


エルヴィンは「刈り上げ談義…?」と呟きながら軽く礼を述べた。



………………目下、二人が話し合っているのは先述の通り次の壁外調査の件である。


全体会議で大体のことは決定はしていたが、現在、詳細を二人で詰めている最中だった。



「今回は崩壊した壁は越えずに帰還することになっていたが………」

エルヴィンは指先で弄んでいたペンの先をトン、とウォールマリアの一部に置く。黒い小さな染みがじわりとできた。


シルヴィアは考え込む様にそこに視線を落とすが、やがて「いや……やはり壁の外は見ておきたいと思わないか……。せめてA地区までは………」と呟く。


「いや、駄目だ。馬も資材も足りない。もう少し体勢を立て直してからで無いと多くの犠牲を払うことになる。」


彼女の言葉を、エルヴィンは少し固い口調で遮った。



シルヴィアは顎の辺りに指先を持って来て、彼の言葉を吟味する様にする。


そしてゆっくりと口を開いた。



「それなら問題ないだろう……。馬も資材も、たっぷりと用意できる筈だ。」


エルヴィンは彼女の言葉に首を傾げる。それから「そんな資金はあいにくうちには無いぞ」と言った。



「いや……その頃にはある筈だ。……違うな。正確には今週の金曜日には間違いなく、ある。…もしくは受け取る手筈が整っている……。」


シルヴィアはエルヴィンの掌の中からペンをそっと取り上げては、自身の持物の中から乱雑に紳士淑女録を取り出す。使い込まれてぼろぼろである。


ページを捲るので中を覗けば、細かい書き込みがびっしりとされていた。

見かけに似合わず几帳面なところもある、とエルヴィンは感心したようにそれを眺める。



「まず一番分かりやすいのがアルブレヒト・デューラー侯爵だ。」


そう言いながら、シルヴィアはその名前が綴られた場所をペンで囲みながら言う。



「蝶よ花よと育てられ、何も分からぬ小僧のうちに親から莫大な財産を譲り受けた……人を恨む、妬むということを知らない故に偏見が無い。
庶民の良い味方とされているし、毎度調査兵団にも援助を惜しまない。…………そして、物凄いミーハーだ。」


リヴァイを連れて行くことは決まっているから……これでいつもの倍は援助を弾んでもらえる。

シルヴィアは微かに目を細めながらペン先でその綴りの上を軽く叩く。

走り書きで『相手は女性とは限らない』とされてある。エルヴィンは見なかったことにした。



「そして次はルーカス・クラナハ伯爵。まあ、単純にエロジジイで若ければ若いほど良い、という趣向だ。十代なんて最高だろうね。」

………で、ペトラ君を連れて行く、と言いながらシルヴィアは彼の名前の周りも丸で囲んだ。しゅっという小気味の良い音がする。



「最後にベアトリクス・リヒター侯爵夫人、シャルロッテ・エルンスト公爵夫人、フロウ・ダニエラ・ゾーヴァ。
この三人、今は名字は違うが社交界で有名な三姉妹で中々の影響力を持っている。
……今回の私の狙いは彼女たちで……まあ、新しい援助の窓口になってもらおうと思っているんだよ。」


今度は三っつの名前に連続して丸をつける。

気合いが入っているのかその音は乾いて鋭かった。


……………シルヴィアは少しだけ満足そうに、そして穏やかに笑う。



「エルヴィン。どうか任せてほしい。……恐らく、役に立つことが出来るだろうから……。」



彼女の笑顔をエルヴィンはじっと見た。


…………相変わらず、思考が読み取りにくい顔立ちをしている。だが彼には長い付き合いからかその考えがよく分かった。


目を少し伏せて、頷く。



「………分かったよ、俺はお前を信頼している。あまり……無茶はしてくれるなよ。」



そう言いながらペンを取り返し、編成から伸びた矢印をウォールマリアの数キロメートル先まで修正する。



シルヴィアはその様子を眺めながら、「勿論だよ……。先方に失礼のないようにはする。」と呟いた。



エルヴィンは視線は上げずに、「いや違う。」と声を零す。

彼が握るペンの先は、細かい進路の変更点を別の用紙に几帳面に書き付け始めていた。



「俺が言うのはお前のことだ……。あまり無茶は、するなよ。」



同じ言葉を繰り返す彼の長い睫毛が眼下に深い影を形作っていた。


シルヴィアは無言でそれを眺めて紅茶をもう一口啜る。………少し薄かったかな、とぼんやり思いながら。



「………いや。そうも言ってられないだろう。仕事だしね………。」


彼女の言葉に、エルヴィンはそれもそうか、と小さく返した。相変わらず視線がこちらを向くことは無い。



「でも、ありがとう。」


シルヴィアは紳士淑女録を閉じて元の場所に積み上げると、別の資料を引っ張り出して開いた。

地形に関するものだ。エルヴィンが書き進める陣形に沿って環境を確認しようと索引から目当ての場所をばらばらと引き当てる。



「……………ん。ああ。」



エルヴィンはそれに返事をしつつ作業する手を休めない。



……………話し合いの筈が、進路を延長した所為でお互い作業に追われる羽目となってしまった。



沈黙と僅かな言葉が交互に行き交う部屋の中、二人は深夜まで黙々と各自のやるべきことをこなしていた。



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