07剣の百合
頬にあたたかなものが触った。
あまりにも優しく触れてきてくれるので、なんだか涙が出そうになった。
「クロエ....」
目を開けると、マルコが目の前にかがんでクロエの頬をそっとなでていた。
「クロエ、どこに行ったかと心配したよ....急に飛び出して行ってしまったから....」
「....よく、見つけてくれたね....」
ここは森の中でも随分と分け入った場所だ。普通に歩いていてはたどり着けないだろう。
「そりゃあ....泣いてどこかに行ってしまうクロエを見つけるのは、
昔から僕の役目だったからね。」
マルコがクロエの隣に腰を下ろす。そうして手をそっと握ってくれた。
マルコの手はいつだってあたたかい。私はいつも、この温もりに甘えてしまうのだ....
「ねぇ、マルコ....マルコが嫌だったら、もう、私と関わらなくても良い....」
クロエが消え入りそうな声で言う。再び涙が頬を流れ落ちてきた。
「マルコに、嫌な思い、してほしくないもの.....」
涙は止めどなくながれていく。この数時間で一生分の涙を使い果たしてしまいそうだ。
「でも、ごめんなさい......私、マルコに嫌われたくない......
お願い、気持ち悪いって....思わないで......」
最後は言葉になりきらなかった。
嗚咽が喉をせりあがってきて、それがひどく喉を痛ませる。
しばらくクロエはとても苦しそうに涙を流し続けた。
マルコはそんな彼女の手を、ただ、ずっと握りしめていた。
*
空に星がひとつ登る頃、ようやくクロエの嗚咽は収まってきた。
頭はくらくらするし、喉がひどく乾いている。
風が頬に触れると、涙の跡でひりひりと痛んだ。
「.....嫌いになんかなるもんか...」
マルコがぽつりと言った。
「嫌いになんかなるもんか...僕は昔から一回でもクロエの事を嫌いになったことなんてない.....
再会できた時だってすごく嬉しかった。......僕の事を、もっと信用してよ.....」
その瞳はクロエと同じ様に苦しそうだった。
「でも、私は駄目な人間なの....外見に中身が全く伴ってない.....
今日だって....気持ち、悪いと言われてしまった.....」
「気持ち悪くなんかない!」
マルコが急に大きな声を出した。クロエの肩がびくんとはねる。
「あんな奴が言う事....気にしなくていい。
それに外見に中身が伴ってないって言うなら、伴う様になればいいんだ。
クロエの高い身長が似合う様な、強くて格好良い女性になってあんな奴、見返してやりなよ。」
「私なんかが、....なれるかな....」
「なれるよ....クロエが気付いてないだけで、君はとても強い力がある。
それは僕が保証する。」
マルコの瞳が力強くクロエを見つめた。
「...ありがとう....。」
そう言うと、再びクロエは口をつぐむ。
握られた手が熱い。マルコの視線もとても熱い。
その瞳が何故か直視できなくて、目をそらしてしまった。
*
「クロエ!」
宿舎へマルコに手を引かれて戻ると、入口にいたアニが駆け寄ってきて手を握った。
「心配したよ....やはりマルコに探しに行かせて正解だった....」
「アニ....」
「クロエ、疲れただろう...食事は部屋に運んである。食べられるかい」
「....わざわざ食事をとっておいてくれたの?」
クロエがぽつりと問うた。
そこでようやくアニは自分が少々取り乱していた事に気付き、はっとして握っていた手を離した。
「...とにかく、今日はもう女子寮に戻ろう。
マルコ、いつまでクロエの手を握っているんだ。
あんたの役目はもう終わってるよ。」
「は、はぁ....」
マルコが呆然として手を離した。ここまで饒舌なアニを初めて見たのだろう。
アニに手を引かれながらマルコの方へ振り返ると、いつもの優しい笑顔でおやすみ、と言ってくれた。
マルコはとても優しい.....私はいつも助けられてばかりだ....。
でも、私は貴方に何も返してあげれない......
だから、せめて、あなたが言う様に強くなれる様に少しだけ頑張ってみます.....
*
「アニ」
部屋で冷めたスープを飲みながらクロエが呼びかけた。
「なんだい」
相変わらず視線は本に固定したままアニが答える。
「今日は....本当にありがとう。....大好きよ」
「......無駄口叩いてないでとっとと食べな....」
アニはぶっきらぼうにそう言ったが、金色の髪から覗く耳はほんのりと赤く色づいていた。
アイリス:『剣の百合』とも呼ばれ、
聖母マリアの悲しみ、イエスの受難を象徴する。
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