愛しい雨 | ナノ


07剣の百合  


頬にあたたかなものが触った。

あまりにも優しく触れてきてくれるので、なんだか涙が出そうになった。


「クロエ....」

目を開けると、マルコが目の前にかがんでクロエの頬をそっとなでていた。


「クロエ、どこに行ったかと心配したよ....急に飛び出して行ってしまったから....」

「....よく、見つけてくれたね....」
ここは森の中でも随分と分け入った場所だ。普通に歩いていてはたどり着けないだろう。

「そりゃあ....泣いてどこかに行ってしまうクロエを見つけるのは、
昔から僕の役目だったからね。」

マルコがクロエの隣に腰を下ろす。そうして手をそっと握ってくれた。


マルコの手はいつだってあたたかい。私はいつも、この温もりに甘えてしまうのだ....


「ねぇ、マルコ....マルコが嫌だったら、もう、私と関わらなくても良い....」

クロエが消え入りそうな声で言う。再び涙が頬を流れ落ちてきた。

「マルコに、嫌な思い、してほしくないもの.....」

涙は止めどなくながれていく。この数時間で一生分の涙を使い果たしてしまいそうだ。

「でも、ごめんなさい......私、マルコに嫌われたくない......

お願い、気持ち悪いって....思わないで......」


最後は言葉になりきらなかった。
嗚咽が喉をせりあがってきて、それがひどく喉を痛ませる。


しばらくクロエはとても苦しそうに涙を流し続けた。
マルコはそんな彼女の手を、ただ、ずっと握りしめていた。





空に星がひとつ登る頃、ようやくクロエの嗚咽は収まってきた。

頭はくらくらするし、喉がひどく乾いている。
風が頬に触れると、涙の跡でひりひりと痛んだ。


「.....嫌いになんかなるもんか...」
マルコがぽつりと言った。

「嫌いになんかなるもんか...僕は昔から一回でもクロエの事を嫌いになったことなんてない.....
再会できた時だってすごく嬉しかった。......僕の事を、もっと信用してよ.....」
その瞳はクロエと同じ様に苦しそうだった。

「でも、私は駄目な人間なの....外見に中身が全く伴ってない.....
今日だって....気持ち、悪いと言われてしまった.....」


「気持ち悪くなんかない!」

マルコが急に大きな声を出した。クロエの肩がびくんとはねる。

「あんな奴が言う事....気にしなくていい。
それに外見に中身が伴ってないって言うなら、伴う様になればいいんだ。
クロエの高い身長が似合う様な、強くて格好良い女性になってあんな奴、見返してやりなよ。」


「私なんかが、....なれるかな....」

「なれるよ....クロエが気付いてないだけで、君はとても強い力がある。
それは僕が保証する。」
マルコの瞳が力強くクロエを見つめた。


「...ありがとう....。」
そう言うと、再びクロエは口をつぐむ。


握られた手が熱い。マルコの視線もとても熱い。
その瞳が何故か直視できなくて、目をそらしてしまった。





「クロエ!」

宿舎へマルコに手を引かれて戻ると、入口にいたアニが駆け寄ってきて手を握った。

「心配したよ....やはりマルコに探しに行かせて正解だった....」

「アニ....」

「クロエ、疲れただろう...食事は部屋に運んである。食べられるかい」

「....わざわざ食事をとっておいてくれたの?」
クロエがぽつりと問うた。

そこでようやくアニは自分が少々取り乱していた事に気付き、はっとして握っていた手を離した。

「...とにかく、今日はもう女子寮に戻ろう。
マルコ、いつまでクロエの手を握っているんだ。
あんたの役目はもう終わってるよ。」

「は、はぁ....」
マルコが呆然として手を離した。ここまで饒舌なアニを初めて見たのだろう。


アニに手を引かれながらマルコの方へ振り返ると、いつもの優しい笑顔でおやすみ、と言ってくれた。


マルコはとても優しい.....私はいつも助けられてばかりだ....。
でも、私は貴方に何も返してあげれない......
だから、せめて、あなたが言う様に強くなれる様に少しだけ頑張ってみます.....





「アニ」
部屋で冷めたスープを飲みながらクロエが呼びかけた。

「なんだい」
相変わらず視線は本に固定したままアニが答える。


「今日は....本当にありがとう。....大好きよ」


「......無駄口叩いてないでとっとと食べな....」


アニはぶっきらぼうにそう言ったが、金色の髪から覗く耳はほんのりと赤く色づいていた。



アイリス:『剣の百合』とも呼ばれ、
聖母マリアの悲しみ、イエスの受難を象徴する。


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