アニと紅葉 後編
櫨紅葉は風吹く度にひらめき、僅かに散っていく。きっと全てが落葉してしまうのももうすぐだ。
頭上では鳥の群がゆったりと飛び回っている。渡り鳥だろうか。……越冬の為にどこかへと去っていく。
「…………自然には適わないねえ。」
それを見上げながら、クロエは白い湯気が渦巻く紅茶が入ったコップを両手で持ち直して呟いた。
「春は咲いて秋は紅葉する……。やっぱり自然には、適わないよねえ。」
そう言って彼女は苦笑する。
アニは言葉の意味がよく理解できず…けれど少しだけ分かったような気がして、黙って耳を傾けた。
「こうやって一年はあっという間に過ぎて私たちも来年には受験生だよ…。
きっと大学は別々だから、離ればなれになっちゃう。………それはすごく寂しいよね…。」
クロエは温くなって来た紅茶を一口に飲み干すと、脇に置いていたスケッチブックを取り上げて…
硬度の柔らかい、色の濃い鉛筆を選んでは、また山の斜面の紺青と紫とに染められた岩の割目を綴る紅葉を描写し始める。
色は全く使用していないスケッチなのに関わらず、これは朱だとアニには理解することができた。
理由は分からないが、その絵は確かに今日この時の秋の景色だったから。
「…………でも、離ればなれになっても…今一緒に隣にいたことは事実だよね。
私は今日描いたこれを見る度に、それをきっと思い出すよ。」
自然には適わないと言っておきながら、クロエの面持ちはどこか清々しくあった。
きっと全部に負けた、きれいに負けたと素直に自覚して、不思議にフレッシュな気配を身辺に感じているのだろう。
……………アニは、僅かばかり残る自分の赤いコップの中身を覗いた。
風が吹くと僅かに揺れる。それに映った自分の顔も。
「……大学が別だって、何も一生の別れって訳じゃないでしょう。」
それから、ゆっくりと零した。クロエが応える様にスケッチブックからアニへと視線を移す。
「今までの様にとはいかないけれど…これからも一緒にいることは出来るんじゃないの。」
あんたの言う『一緒』の定義はよく知らないけどさ、とアニは愛想無く付け加えた。
………………クロエは少しの間、じっとアニのことを見つめていた。
そしてアニはコップの中身を。二人の視線は交わること無く、しばらくの時が経過する。
「そっかあ………。」
そして、気の抜けたようなクロエの声。
アニは紅茶を飲み干してその方を見た。おかわり、とでも言う様にコップを突き出すのを忘れずに。
「そっか、そうだよねえ……!アニってば凄い…、やっぱり天才だよ……!!」
クロエはアニのおかわりの催促に気が付かず、けれど彼女の両肩をはっしと掴んで感動したらしいキラキラとした瞳を向ける。
アニはそれをうっとうしそうに振り払い、「早く」とコップをまたずいと近付けた。
クロエはようやくそれに気が付いて焦っては紅茶を注いでやる。
こぽぽ…という心地良い音と共に白い湯気と甘い香りが立ち上っていった。
…………アニはそれにまた息を吹きかけてから少しずつ飲む。
クロエはその様子を眺めた後に、自分の絵へと視線を落とした。
そして先程のアニの言葉を思い浮かべては、自然と笑顔になるのだった。
「何にやにやしてるの。」
気色悪い、とアニはばっさりと言う。
だがそれでもクロエは上機嫌に「なんでもないよお。」と笑顔を浮かべ続けた。
二人がいる頂上の真紅から始まり…少し下がった水準で色づき初めた落葉樹が橙に、ずっと下の方はまだ深浅さまざまの緑が染め分けられ、それに黄葉を点綴しては混ざっている。
やはりこの景色は何回見ても綺麗だな、とクロエは感じた。
そしてそれを思えば自然に「アニにも見せれて良かった…」という言葉が漏れる。
それに対してアニはふん、と小さく鼻をを鳴らした。
すげない反応だが…クロエは、多少なりともアニが喜んでくれているのが分かって温かい気持ちになる。
それからクロエは再び少しの間、周りの景色をスケッチをした。
アニは時々手持ち無沙汰に携帯電話を弄り、だが基本的にはクロエの手元で仕上がっていく画と彼女の横顔を眺める。
……………何枚か描き進めるうち、ひとつに「うまいね。」と正直に感想を述べるとクロエは非常に照れた様に…しかし嬉しそうにした。
その反応をかわいらしいと、アニは素直な気持ちで思う。
やはり…自分はずっと好きなのだ。
クロエの絵を、クロエと一緒に過ごす時間を、クロエ自身を。
*
やがて二人は、来たときと同じ様にぽつぽつと話したり…腕を組んだり掌を取って助け合ったりしながら、低い山を降りていく。
今から街に戻って、遅めの昼食を摂るのだ。
……………それから、どちらかの家に行ってまた取り留めの無い話をするのだろう。
そういう何でも無い時間が大切だと、お互いによく理解しているから。
アニは、見事な紅葉の景色の中にいながら結局一枚も絵を描くこともそれを写真に収めることもしなかった。
彼女の中では、そういうものは形に残す必要は無い…ということで完結していたからだ。
ただ一枚、携帯電話に申し訳程度に備え付けられた質の良く無いカメラで一枚写真を撮った。
大事な彼女が大好きな絵へと向かう姿を。
…………勿論、自身がいつの間にか写真に収められていたことにクロエは気が付いていないだろう。
そういうので良いのだ。
自分が彼女を…どんなにか強く想っているいるかは、自分だけが分かっていれば良い。
………………夜、アニは電気を落とした部屋の中…小さな液晶から漏れる弱々しい光の中で、日中撮ったその写真を見つめる。
溜め息を吐いて、電源落として…自身も瞼を下ろした。
明日また、彼女は自分を構っては犬の様に懐こく傍にやってくるのだろう。
あと何回その景色の中にいることができるのか。
昼間は自身で格好を付けたことを言っておきながら、きっと彼女以上に寂しいと感じている気持ちを思って……アニは目を瞑る力を強くした。
リン様のリクエストより
転生シリーズでアニと一緒に美術部の活動の話で描かせて頂きました。←[
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