愛しい雨 | ナノ


アニと紅葉 前編  


アニとあんぱんと青空シリーズ)



「いやあーすごいっ、絶景ってやつだね!!」


クロエは掌を額の辺りにかざして景色を見回しては感嘆の声をあげた。



季節は秋。

今現在、真っ赤に紅葉した落葉樹がアニとクロエの周りを取り囲んでいた。


山の裾のほうではまだ新雨を経たような緑色をして、それに朱を点じた所々の叢林の紅葉が交ざる位であったが…それは山に分け入れば分け入る程に深く、鮮やかになっていった。


「いやいやあー絶好のスケッチ日和、そして立地だねえ!」


非常に上機嫌なクロエは嬉しそうにアニの腕に自らのものを絡ませる。


アニは、そうされて嫌な素振りは別に見せなかったが…クロエと比べてあまり楽しんでいるようでは無い。


なんというか、面倒くさそうである。

『休日なら家で寝ていたかった』という心情がまざまざと身体から滲み出ていたが、それを浮き足立つクロエが気付くことは無かった。



「もー…、アニ。スケッチしに行くって言ったのになんで何の準備もしてないのよ…。せめて鉛筆一本でも持ってくれば良いのに……。」


クロエは隣のアニを見下ろしながら少々不満そうに様に言う。

だがアニは相変わらず面倒くさそうな表情で「私がスケッチをするとは一言も言っていないよ」と応えた。


「それが美術部員の言うことですか。」

「……別に。入った覚えないし。」

「入部届けはしっかり受理しているよ?」

「うちの学校が部活強制参加じゃ無かったら誰が入ると思う」

「もう…副部長なんだからその自覚をしっかりと!」

「副部長も何も部員は私とあんたの二人しかいないでしょ。」

「ぐぬう」



二人は会話を交わしながらも藪に分け入っていく。


…………恐らく、クロエはここに来るのは初めてでは無いのだろう。

慣れた様に道を選んでは歩いていく。



近場の低い山ではあるが、今まで自分たちが過ごす街とこうも景色が変わってしまうのかと……アニは、端を流れる川を挟んだ風景を不思議な心持ちで眺める。


辺りはいよいよ紅葉と黄葉とにすきまなく覆われて、その間をほとんど純粋に近い藍色の水が白い泡を噴いて流れていた。


そうしてその紅葉と黄葉との間をもれてくる光が柔らかな暖かさをもらして、見上げると山は更に頭の上にもそびえ…青空と引き立て合っては美しくゆったりとした景色を描く。



(………………………。)



それをぼんやりと眺めていると、クロエはアニの腕を更にきつく抱き締めては「…綺麗でしょう?」と嬉しそうに尋ねてくる。


咄嗟にアニはハッとして、見蕩れてしまっていたことが何だか恥ずかしくなった。


思わず腕を振りほどこうともしたが……それは止めにして、ただ黙って隣を歩く。



クロエは本当に楽しそうだった。

その様を前にしてアニの心もまた、少しだけ弾んだ気がしたのには気付かない振りをする。




「ここね、去年は一人で来たの。やっぱりすごく綺麗な景色だったから…時間を忘れて日が落ちるまで居ちゃったのを覚えてるなあ…」

あの時は寒かったよお、と言いながらクロエは良い表情で笑った。


少しばかり急な傾斜に来たので、アニはようやく腕を解き…運動音痴のクロエを気遣って掌を差し伸べてやる。

彼女は嬉しそうにそれを甘受して握り返した。



「……でも、やっぱり一人よりも一緒に来て…綺麗だねって言い合える友達が隣にいる方が断然楽しいよ…!」

だから私、今日はいつになくアニが大好きなんだあ…とクロエは相も変わらず元気よく言う。


「ほら…喋ってると枯れ枝に足を取られる」



アニはそれには何も返さない。

…………だが、勿論嬉しく無い筈は無く…クロエの掌を握った力を少しばかり強めた。











……………山頂は、木々の葉が深々と紅葉してさながら火の燃えついたようだった。


ここまで来る景色もそれは美しかったが、ここは尚更である。


そこから見下ろせば…自分たちがいた街では、これまで注意しなかったいろいろな樹が綺麗に紅葉しかけている。


それは毎日のように変わって行くのだろう。

そして束の間の美しさの後、身を切るような冷たさの雨の度に寒さは増し、その後にやってくる長い沈黙の冬に移っていこうとするのだ。



アニは、据えられていたベンチに腰掛けて…隣で懸命に景色をスケッチするクロエの横顔を眺める。


その白い頬には穏やかな光が差して、彼女の深い色をした髪を結った水色のリボンが沙椰と風に揺れた。


やがて空から紅葉の間を縫って振ってくる光は少しばかり強さを増す。

陽が高くなって来ているのだろう。



………………クロエが画に集中してしまっていたので、アニは少々退屈になった。


いや、こうなるのは充分理解していながらついてきたのは自分だ。


だが……アニは、クロエが絵を描いている姿は結構好きだった。

もう何に捕われることも無く、こうして大好きな絵に打ち込むことが出来るんだね…と、

誰かとの悲しい別れを紛らわす為でもなく、自分の為に描くことが出来るんだね…と、不思議な感慨が胸を過るから……



ふと、何かが目の前に差し出される。

湯気が立つ液体が入った、安っぽいプラスチック製の赤いコップだった。


「はい、紅茶だよー。」


アニがクロエの方を見ると、彼女はそれを受け取る様に促して言う。


……………手に取ると、少しばかり冷えていた指先がコップの中の液体によってじわりと温められた。


冷ます様に息を吹きかけて、飲む。


「あま………。」


思わず声を漏らせば、「山登りは体力使うから甘い方が良いと思って、砂糖一杯入れたんだ。」とクロエがにこやかに応えた。


「だからといってこれは甘過ぎない……。」


そう言いながらもアニは再びそれを飲もうとコップに口を付ける。

………温もりに相まって、糖分がゆっくりと身体を巡って何かをもたらしてくるような…そんな心地がした。


「そうかなあ…。」


クロエは少しだけ首を傾げながら自らも…今度は青いコップだ…に水筒から紅茶を注いでは飲む。


美味しかったのだろう。その顔には満足そうな笑みが浮かんだ。

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