マルコと風邪
(転生、結婚後)
「…………風邪だね。」
「風邪だよね。」
ベッドから上半身を起こしたクロエから受け取った体温計を眺めながらマルコが呟いた言葉を、彼女はおうむ返す。
「まあ、最近寒くなったからね……。」
仕方無いといえば仕方無いかあ……。と言いながら、マルコは再びベッドに横になったクロエに毛布をかけなおしてやる。
彼女が小さくありがとう、と呟いた。
「まあ、幸い今日が休日で良かったよ。僕も傍で面倒が見れるし……先生が休んだら子供たちもきっとつまらないだろ。」
彼の優しく笑いながらの言葉にクロエもこそばゆそうに笑い返した。
マルコは温度を確かめるようにクロエの額に、それから頬にも少し触った。
熱いな……と心配になるが、彼女はくすぐったいのかおかしそうにするので……まあ、大丈夫かと安心する。
そして体温がいつもより高くてくったりとしているのが小さな子供みたいに見えて、かわいらしいと思えてしまった。(身長は自分よりも高いのに関わらず)
「………何か食べれそう?」
そう尋ねれば、「うん……。」と小さな声での返答が。
食欲はあるようなので回復は早いだろう。少しほっとしてマルコはベッド脇から立ち上がった。
「じゃあ何か作ってくるから……ゆっくり休んでてね。」
汗でしっとりとしてしまって顔にかかっている髪を軽く避けてやっては、言う。
クロエは相変わらずふにゃん、と力の入らない笑顔をこちらに向けては「ありがとう。」と舌足らずだ。
やっぱり何だかかわいいので、髪を避けるついでによしよし、と頭を撫でる。
彼女も嬉しそうにそれを甘受した。うん、すごくかわいい。
マルコはようやく満足してそっと掌を離す。何だか傍を離れ難いような。
お互いににっこりと笑い合ってから、マルコは名残惜しくもようやくその場を後にした。
*
(あついなあ………)
マルコに作ってもらったスープを飲んだらどうも体が温まって来たようである。
汗をかいてきたので、クロエは傍に置いてもらったタオルで体を拭った。
……………風邪をひくと、どうにも甘えた気分になる。
クロエはベッドの中で寝返りを打ちながら、携帯電話でリビングにいるマルコを呼んでしまおうかなあ、と考えた。
だが、用事はない。
………ただでさえ手間をかけさせてしまっているのに、ちょっと人肌恋しいという理由だけで呼び出すのは………気が、ひけた。
(ああ……でも、喉かわいたなあ……。)
クロエはだるい頭をふりつつ、もそりと起き上がる。
マルコが用意してくれた水はもう、飲み切ってしまった。
(……………そっか。水を飲むついでに私がマルコのとこまで、行けば良いんだ………。)
クロエは上半身だけ起き上げた姿勢でポン、と手を打ち鳴らす。
そしていそいそと床へと足をつけて、立ち上がった。……少し目眩がする。
熱がある所為か、随分とフローリングが冷たく感じた。
ぺたり、ぺたりとゆっくり慎重に、クロエはリビングへと足を向けた。
*
「あれ……………。」
しかし、ドアを開けて目に飛び込んで来た彼の姿にクロエは少し、固まる。
同時に彼女の存在に気付いたマルコが「………?どうした。」と不思議そうな顔をした。
正直、『どうした』はクロエの台詞なのだが。
「マルコ、どこか行くの………?」
彼女は弱々しい声で尋ねる。
そう……マルコは何故かスーツ姿。明らかに出掛ける準備をしている。
「うん……。ちょっと急に呼び出されちゃってね。そこまで時間はかからないと思うから……」
彼はかばんの中身を点検しながら返答した。
…………途端にクロエの心に少しの落胆と不安の影が忍び寄る。
今……彼がこの家からいなくなってしまうのが、堪らなく寂しかったのだ。
「………………………。」
項垂れて黙り込んでしまったクロエの顔を、マルコは少々心配そうに覗き込んだ。
…………熱の所為で、頬が赤く染まってしまっている。先程と同じようにそっと触ると、そこから溶け出すように熱かった。
(………やっぱり、仕事……断ろうかな。)
途端にマルコはクロエのことが心配で仕様が無くなる。……この家で一人にしてしまうのがどうしても不安になった。
「……………………………。」
二人はそのままで少しだけじっとした。
だが、やがてクロエが顔を上げてにっこりと笑う。
それから「いってらっしゃい。頑張って来てね。」と相変わらず力なくではあるが励ますようなことを言った。
「あ、うん…………。でも、僕やっぱり………」
家にいるよ、と言いかけるが……クロエは彼の手を引いて玄関まで導く。
やはり掌も熱かったが、彼女はあまり辛くなさそうだ。そして、先程一瞬見せた寂しそうな表情と対照的に、今は笑顔である。
そのことに、マルコは少しほっとした。
いくらか不安は残るが、出来るだけ早く仕事を終らせて帰って来よう……と思ってその手を握り返した。
「帰りに何か買って来てほしいものはある?」
ドアの前、そう言いながら髪を軽く触れてから頬にキスをする。
クロエはやはりくすぐったそうにして、「大丈夫だよ。風邪引くと優しくしてもらえるからなんだか嬉しいなあ。」とふわふわした口調で答えた。
「………いっつも優しいつもりなんだけどなあ。」
「あ、うん。ごめん…そうだよね。」
少ししょぼくれてしまった彼女の頬を冗談、と言いながら柔らかくつまんだ後に「じゃあ、行ってくるね」と微笑む。
クロエもまた笑い返しながら、「行ってらっしゃい」と言った。
いつもする様に、マルコが軽いキスをしようと顔を近付けるが、「今日は伝染っちゃうから、駄目。」とやんわりと断られる。
それを少し残念に思いながら、見送ってくれる彼女を一瞥しつつ、ドアを開いた。
――――――
少しの間、クロエはドアの開かれた後の四角い空間が、薄暗い廊下を向こうに見せて空虚な気持ちでいた。
そしてこの時間がとても長く思われて、これを見つめているのが何とも言えない苦しさだった。
(行かないで……なんて言ったら、迷惑だし………。)
ぽつりとそんな事を考えて、クロエはドアを閉めた。
ぎい、という音がする。風が一迅吹いて、少し寒いくらいの空気を運んで来た。もう、秋である。
「寂しいなあ………。」
正直な気持ちを口にすると、余計悲しくなった。
クロエは流し場に寄って水を一口にあおると、何とも言えない情けない気持ちを忘れる為に、急いでベッドに戻ってきつく目を閉じた。
*
次に目を覚ました時……まだ、一時間しか経っていなかった。
(いくら時間がかからないとはいえ、流石にまだ帰らないよね………。)
クロエは溜め息を吐きながらそう考える。
…………体温が、高い。そして喉が乾いていた。
もう、成人して随分経つというのにも関わらず、小さな女の子に戻ったような不安な心持ちを抱えて……クロエは少しだけ、泣きそうになった。
*
「あれ……………。」
リビングの扉を開いて、クロエは先程と同じ少々間抜けな声をあげた。
「…………?どうした。」
そしてやはり同じ、マルコの返答。スーツではなく、すっかり部屋着に着替えて寛いでいる。
「えっと……。マルコ、仕事行ったんじゃ………。」
クロエが尋ねると、マルコは「ああ、」と言って柔らかく笑う。
「うん……。途中でやっぱり断って、引き返して来た。」
「え………。」
彼の答えに、クロエは目を数回瞬かせた。
固まる彼女に構うことなくマルコは傍まで寄ると、朝してくれたように、少し乱れてしまっている髪を整えては手で梳いてくる。
優しくこそばゆい感覚に、クロエは心からほっとすることができた。
「クロエが寂しがるんじゃないかなー…なんて思ってさ……」
マルコが少し照れたように言うので、クロエは彼の方をそっと見る。
それから弱々しく「なんで分かったの……」と尋ねると、マルコは少し驚いたような顔をした後に「やっぱりね……」と呟いた。
クロエは人恋しさが遂に極まってしまい、マルコの肩にそっとよりかかるようにする。
体中が火照ってしまっているのは、最早風邪と熱だけの所為ではないだろう。
マルコは彼女のことをまるで少女に対するようによしよし、と言いながら抱き締めて、背中を軽くさすってやった。
クロエは今まで我慢していた寂しさと、現在の幸せな気持ちがない交ぜになり、また少し泣きそうになる。
けれど………嬉しいのに泣くのはちょっと変かな、と考え直しては、自分からもマルコのことを弱々しい力ながら精一杯抱き締め返した。
リン様のリクエストより
熱をだして、看病される話で書かせて頂きました。←[
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