愛しい雨 | ナノ


03種まく人は  


片付けが終わった後、浮き足立つ気持ちで女子寮へと向かった。

(マルコが覚えていてくれた...また明日会えるんだ....)
今なら空さえも飛べる気分だった。

自室の前に立つと、ドアの隙間から灯りが漏れていた。どうやら同室者はすでに部屋に帰ってきている用だった。

(どんな子だろう...仲良くできるといいな...)

期待と不安が入り交じった気持ちでノックをしてドアを開けた。
部屋の中に入ると、向かって左のベットに腰掛けて読書をしていた小柄な女性がこちらをチラと見る。

(うわ...綺麗な人...)

すっと通った鼻筋が白い肌によく栄え、その顔を美しい金髪が縁取っている。瞳はまるで空の様に綺麗な青色だ。

「あ、あの、私クロエって言います...これからよろしくね。」
どきどきしながら握手を求めて手を差し出すと、彼女は本から顔をあげてその手をじっと見つめた。


「...私の名前はアニ。
共同生活をするにあたってひとつ言わせてもらうけど、私はあんたと馴れ合うつもりはない。
こちらから干渉する事はしないからあんたも私に干渉しないでよ。」

ようやく口を開いたと思ったらピシャリとそう言われてしまった。
行き場を無くした右手が宙を虚しく漂っている。

そんな私の事を無視してアニは再び読書を始めてしまった。


....ほら、良い事の後には必ず悲しい事が起こる...


その日の夜はあまりよく眠れなかった。







「うわぁ」
私は体は軽々と宙に放り出された。

「あんたそれだけ上背があるのに紙みたいによく飛ぶねぇ。鍛えなきゃ駄目だよ。」

対人格闘術でペアを組んだ女性に言われた。ほら、と言って手を差し出し、体を起こすのを手伝ってくれる。


私たちはこうして比較的真面目に取り組んでいるが、点数に加算されないこの訓練はさぼっている人が多い。

(あ、アニだ...)
アニもどうやらその一人らしい。
先日の夜の出来事から、私たちは同室であるにも関わらず、必要最低限の事しか喋っていない。

アニの事をそのままぼんやりと見ていると、体格の良い男性が彼女に話しかけて来た。

何やら不穏な雰囲気だ。...あれ、もしかしてアニ、あの人と組み手をするつもり...?
....それはいけない...!!危ないよ...!

いても立ってもいられずその場に向かう。
背後からペアを組んでいた彼女の声が聞こえた。後で謝ろう。

「だ、駄目だよ...!!」

睨み合うアニと男性の間に入って言った。男性が訝しげにこちらを見る。

「貴男みたいな大きな人と取っ組み合ったらアニが怪我しちゃうわ...
小柄なアニじゃなくて他の人と組むべきだよ...。」

なけなしの勇気を振り絞りながらそう言う。...もしこの人が怒って殴って来たりしたらどうしよう...

「と、とにかく駄目だから....!」

「....じゃあ、お前が相手をするか?」

「へ?」間抜けな声が出た。

「見た所タッパも俺くらいあるみたいだしな...お手並み拝見と行こうじゃないか。」

ど、ど、どうしよう....さっきの彼女は比較的受け身を取りやすく投げてくれたけれど、彼は確実にそんな事してくれないだろう。

「よし行けエレン!」

「俺かよ!」


「待って。」

アニの声が臨戦態勢だったその場に響いた。


「なんだ、ようやくやる気が出たか?」男性がにやりと笑う。

アニは私の前へ出て彼等と向き合った。そして拳を顔の横に構えて独特の体勢をとる。

「アニ...」
不安げに声をかけると、アニはこちらを振り向いて「大丈夫」と短く言った。




数分後、そこにはすごい体勢でひっくり返る二人の男性の姿があった。




惚れ惚れとする格闘の腕前だった。アニは綺麗なだけじゃなくてとても格好良い女性の様だ。

「すごいわアニ...」
無言で去っていく彼女背中に向かってそう呟くと、ふとアニがこちらを振り返った。

「あんた、なかなか根性あるね...」表情を変えないままそう言う。
そして今度は一度も振り返らず立ち去ってしまった。



その日から私たちは少しずつ話をする様になった。

お父さんの事を話す時に見せる彼女の優しい空色の眼差しが、私はとても好きだ。



種:神の言葉、つまり福音の事を指す。
キリスト教絵画においてそれをまく人が描かれている場合、
それはイエス・キリストその人である。


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