アニとあんぱんと青空 中編
朝...アニは憂鬱な気持ちで通学路を歩いていた。
周りには、友人と共に登校する生徒達の賑やかな声が響いている。
...もう少し、早くに出れば良かった。
孤立は別にどうとも思わない。自分自身、人と話すのは好きでは無いから。
.....けれど、孤独は嫌いだった。
「アニー!」
脳天気な声で名前を呼ばれて我に返る。
声がする方向を見ると、校門前で、笑顔でひらひらと手を振る180cm級の姿が。
.....それに背を向けて走り出しそうになった。
しかし、「おはよー!」という声と共に後ろから抱きつかれて拘束される。
重い....。....比較的細身ではあるが、30cm近い身長差の人間に抱きつかれるのは相当応える。
「あんた...、馴れ馴れしくしないでって言ったでしょ...」
腕を振り払いながら抗議する。思いっ切り睨みつけてやるが、それすらも意に介した様子が無い。
「折角アニに会えたんだもの。馴れ馴れしくするな、なんて無理に決まってるじゃないの」
にこにこと笑いながら手を繋ごうとしてくるクロエから掌を遠ざける。しかしそれは長い腕に絡めとられてしまった。
「親友でしょう?」
晴れやかな朝に相応しい爽やかな笑顔である。対してアニはカメムシの匂いを嗅いだ様な顔をした。
「....私たちは昨日会ったばかりだよ」
「まあ...それはそうだけど...。」
手を引かれて校門へと向かう。クロエは機嫌が良いらしく、歩調に合わせて繋いだ掌を揺らした。
「じゃあ、これから親友になろう?」
ね、と言って微笑まれる。....優しい顔だった。
「お断りだよ」
しかし、その笑顔は自分の一言で崩れさる。
「そんなー...」
クロエは泣き出しそうな表情をした。
しかし、繋いだ手だけはいくらアニが嫌がっても決して離そうとせず、結局二人はそのまま教室へと向かった。
*
「アーニ、お昼一緒食べよう?」
廊下と教室の間に据えられた窓から笑顔を覗かせながらクロエが言う。
アニは心底嫌そうな顔をした。
「アニは一組だったんだねえ。これじゃあ会わなかったのも納得行くよ」
そう言いながらクロエは扉の方へと移動して、教室の中へと入って来た。アニは無視を決め込む。
「私購買でパン買いに行くけど...アニのご飯は何?」
逃げようとするがまたしてもがっしりと後ろから抱き締められる。....っく、こいつがあと20cm背が低ければこの位...!
「何、クロエー、あんたレオンハートさんと仲良いの?」
ふと、心底意外そうな声が近くからした。
明るい茶髪の...アニの隣の席の女生徒である。悪い人間では無いが、口数が多く、声も大きいので...アニは苦手だった。
「そうよ。親友だもの」「違う」
「あ、クロエだー。駄目だよ、レオンハートさんにちょっかいだしたら。」
またしても可笑しそうな声が別方向からかけられる。
「ちょっかいじゃないよ、愛情表現だよ?」「愛が物理的に重い」
「良いな、レオンハートさんと仲良いなんて。」「だから仲良く無い」
周りと楽しそうに会話するクロエを見て...アニは...この子は随分と友達が多いのだな...と少し複雑な気持ちを抱いた。
教室で声をかけて来た面々に手を振り、「じゃあパン買ってくるから待っててね」とクロエはうきうきと再び廊下へと出て行く。
(...待つ訳ないじゃない...)
アニはひとつ溜め息を吐き、自分の弁当を持って教室を後にした。
*
「アニ、見ーつけた」
.....アニは頭を抱えた。
「もー、いなくなっちゃったから探したよ。」
そう言いながらクロエは梯子を昇り、屋上の給水塔にもたれて座っていたアニの隣に腰を下ろして来た。
「.....うん。良い所だね。」
柔らかい風が吹き、彼女の髪を揺らして行く。...水色のリボンも、それに合わせてひらひらとたなびいた。
「あ、アニはお弁当かあ。」
クロエはアニが手にしていた直方体の箱を見て微笑む。
そして、「私はこれ」と言って如何にも質より量といった大きなアンパンを見せてくる。
「お弁当って良いよね。開く時わくわくするから」
アンパンを包装していたビニールはパリッと小気味の良い音をさせて開きながらクロエが言う。
「別に...そんな事ない。開いて落胆する事の方が多い。」
「...そうかなあ。」
それきりクロエは口を噤んだ。しかし...特に気分を害している、という訳ではなさそうだ。
アニもまた無言で自分の昼食を摂り始める。
そして...アンパンを牛乳と共にもそもそ食べているクロエを横目で見ながら、こんな祖末な食事からどの様にしてこのデカさに育ったのだろう...とぼんやり考えた。
....良い天気だった。雲が柔らかく形を変えて流れて行くのを見ていると、少しだけ穏やかな気持ちになった。
「あんた...結構明るいんだね」
ふと、アニの口から言葉が漏れる。
クロエは不思議そうにアニの顔を見つめた。
「いや、もっとおどおどした性格な気がしたから...あんなにちゃんと人と話せるとは思わなかった。」
一方アニは視線を合わす事なく飯粒を口に運んでいた。その仕草すら優雅に見える所は流石である。
「うん...。確かに、昔は特定の人としか話せなかったけど、世の中の人間全てが自分を嫌っている訳ではないのかなあ?って思ってからは...大丈夫になった...かも。」
気付かなかっただけで当たり前の事なんだけどね、とクロエは苦笑した。
「アニもね、それを私に教えてくれた中の一人なんだよ」
続けてクロエは小さく呟く。....そんな覚えは無い。
「.....世の中の人間全てに嫌われる事もあるんじゃない」
少しして、アニが口を開いた。
相変わらず彼女はクロエの方を見ようとしない。その瞳は空の色を映しながらも、何処か遠くを見ている様だった。
「そう...?」
「嫌われるだけの理由がある場合はね。」
「....それは悲しい事だね。」
一迅の風が吹く。アニの金髪は小さく揺れると、光を反射してきらきらとした。
「気持ち良いねえ」
クロエが優しく笑いながらこちらを向く。
アニは少しの間黙っていたが、...ようやく視線を彼女に向けて、「...うん」と小さく微笑んだ。
*
「アニ、帰ろう」
廊下に通じる窓からクロエが顔を出す。最早アニは溜め息しか吐けなかった。
「あんた...美術部の活動はどうしたの」
鞄の中に教科書を詰めながら、アニは視線は寄越さずに言う。
「....んー、アニが入部したら改めて再開するって事で...」
「だから入らないって言ってるでしょ。馬鹿じゃないの?」
アニの辛辣な物言いにも慣れたのか、クロエは楽しそうに笑うばかりであった。
.....やがて、アニは不承不承と言った感じで廊下で待つ彼女の元へと向かう。クロエはその様子を嬉しそうに見守っていた。
――――
「わあ」
下駄箱の中から何か...靴以外のもの...を取り出したアニに、クロエが目ざとく声をかける。
後ろから覗き込んでアニの手中の白い封筒を見ながら、「ラブレター?」と興味津々な様子で尋ねた。
「.....多分ね」
興味無さげにそう呟いた後、アニは封を開けもせず、それをクロエにぽいと投げる様に渡した。
頭上に疑問符を浮かべて封書を眺めているクロエに対して、「あげる」と一言零すアニ。
「えっ、そんな、アニに宛てられたものだし...読むだけ読んでおきなよ..!」
さっさと歩き出してしまったアニを追いかけながらクロエが言う。
「....別に興味無い。」
「駄目だよ。きっとこの人も勇気出してアニの靴箱に手紙いれたんだと思うよ?
それに好意を寄せてもらえるなんて素敵な事じゃない...」
「もう...断るの面倒だから。何度も告白されれば嫌にもなってくるよ」
「おお...流石アニだね。」
「....そういうあんたはどうなの。まあ...あんたみたいな巨人には無縁な話だろうけど。」
「ひどいなあ。....確かに、告白された事は無いけれど....」
そこでクロエは口ごもった。アニはそんな彼女を訝しげに見つめる。
「.....告白した事は、あるよ」
小さな声がそれに続いた。頬が真っ赤である。
「結果は....?」
アニが抑揚の無い声で尋ねた。
またしてもクロエは口を閉ざす。頬の朱色はより濃くなった。
「......お付き合い、してます。」
それだけ言うとクロエはへなりとアニの体にもたれた。アニは嫌そうに「重い」と言ってそれを払いのける。
「へえ...うちの学校の生徒?」
少し意外そうにしながらアニが尋ねた。
「ううん。多分、違う。」
「それじゃあ他校?」
「.....分からない。」
「.......?どういう事。もしかして大学生、いや、社会人?」
「違う....ううん、それも分からない。」
アニはいよいよ意味が不明だという視線をクロエに向ける。
「何処にいるか...何をしているか、何を思っているか。...全部、分からないの。」
校門を並んで通り抜けながら、クロエが言葉を零した。
「けど...あの人はきっと私の事、見つけてくれるから...。私は彼の事を信じてる...。」
そう言って微笑む彼女の横顔は綺麗だった。
....心の何処かが焼け付く様な焦燥に駆られる。
風が.....また水色のリボンを揺らして行った。
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