愛しい雨 | ナノ


子供になる 前編  


「アニ、おはよう」

ジャンと並んで歩いていたマルコが女子寮の方から歩いて来たアニに声をかける。

いつもなら無視されるのが通例だが、今日は珍しく反応を示された。

......いや、示しすぎだった。

彼女の肩は大きくはね、切れ長の青い瞳はさっと逸らされる。ジャンとマルコは首を傾げてその様子を眺めた。


......そう言えば、不審な点がもうひとつある。いつもアニの隣に居る....背が低めの彼女と比較せずとも長身の女性がいない。

同室の二人は、朝食には必ず一緒に現れるというのに....


「アニ、クロエは?」
疑問に思ったマルコは尋ねた。

「.......知らない。」
ぼそりと彼女が答える。

「......うん?」

「そんな名前の人間、知らない。」

「.........へ?」

「分かったらとっとと消えな。」

「..........はい?」

.......明らかに挙動不審である。言動がおかし過ぎる。


「いや知らないって....昨日まで一緒に「知らないったら知らない」

頭上に疑問符を大量に浮かべたマルコがアニに近付こうとすると、途端に目付きが鋭くなり、遂には彼女が得意とする体術の姿勢に入る。

それを見てやばいと思ったマルコは一歩退いた。

ジャンは欠伸をしながら「その女が変なのは今日に始まった事じゃねえだろ、もう行こうぜ」と言う。

「う....うん。」
マルコも諦めたのかそれに従おうとした。

しかしその時、アニの背後から何かがそろりと顔を出す。

「..........ん?」

......訓練所にいるには不釣り合いな身長の低さ。クリスタよりも余裕で低い。

そしてその顔には....幼くなってはいるが...飽きる程見覚えが.....いや、そんな筈は無い。

彼女は男性の中に紛れても目立つ位長身の筈であって....こんな、事は....


少女はアニの後ろから顔を半分出して目の前の男性二人を見ていたが、マルコの顔を確認すると躊躇う様にゆっくりと笑い、その華奢な体をそっと現す。

ジャンも彼女の存在に気付き、「.....何だこのガキ」と呟くがその見覚えのある顔を確認すると表情が固まった。

アニは自分の後ろから彼等の前へと少女が出てしまった事に焦り、すぐに元の位置に戻そうと手を伸ばすが、それより先に彼女はこちらを見つめている二人のもとに駆け出す。


「マルコ....!」


「え.......」


何ら屈託の無い笑顔で彼女はマルコに抱きついた。丁度顔が腹の辺りにくる位の背丈である。

ジャンとアニは唖然としてその様子を眺めた。


「.........お前とクロエの子供か?」
ジャンがぼそりと尋ねる。

「ば、馬鹿...!違うったら!!僕とクロエはそんな事はまだ...って違う!!
第一いくつの時にできた子だよ!!僕らは到底子供を作れる年齢じゃ....って違う!!!あぁあああ!!!」

マルコは色々と一杯一杯になった。

しばらくマルコにぎゅうと抱きついていた少女だったが、やがて首だけ動かしてジャンの方を見上げる。

「な....何だよ」
ジャンがやや警戒しながらじろりと彼女を見下ろした。

二人はしばし見つめ合うが、やがて少女の方がふにゃりと表情を柔らかく崩して「ジャン」とその名を呼んだ。

それからマルコから体を離し、ゆっくりジャンの方へと近付く。

ジャンがどうしたら良いか分からずにそのまま停止していると、少女は手を伸ばしてそっと彼の体を抱き締めて来た。やはり顔が腹の辺りに来る。

突然の事にジャンは口をあんぐりと開けて自分の体にくっ付いている小さな子供を見つめた。

それからマルコの方を見つめる。最後にアニの方を見つめて、あまりに鋭い眼差しに睨まれていた事に気付いて「ひっ」と声を漏らす。


「あの....アニ、これはどういう....」
戸惑いながらマルコはアニに尋ねた。

「.....見ての通り...。クロエが縮んだ。」

「.......はい?」

「そう言えば....昨日調査兵団のエンブレムが入った制服を着た妖しい眼鏡がここに来て...何故かクロエと会話してた。
できるだけ長身の人間がサンプルとして良いとか言ってたから....多分、何か実験された。」

「はあ?にわかに信じられるかよ。おいクソガキ、良い加減離れろ」
ジャンはそう言いながら少女を引き剥がす。

しかし彼女は未だに嬉しそうににこりと笑ってジャンを見上げた。不覚にもジャンは少し可愛いと思ってしまった。

「.....しかし、あのクロエにしちゃ随分懐っこくねえか?あいつはもっとおどおどした人間だった筈だぞ」
それを隠す様に少女からマルコへと視線を移動させながらジャンは尋ねる。

「いや....クロエは懐いた人間にはとことん、な子だったから...。これは多分クロエだよ....」

「オレ....懐かれてんのか?」

「......っぽいね。それも凄く。こんな態度僕にしかとった事なかったんだけどなあ....
まあ、この子がクロエだと前提すると....ジャンの名前を知っていた事から察するに対人関係に関する一部の記憶だけは元のまま、あとは全部....思考とか体型とかは7才とか8才....僕とジエナで過ごしていた頃に戻っちゃったのかな。」

クロエ....らしい少女は何やら難しい話を始めた二人の事をしばらく見上げていたが、やがてアニの元へと小さく走って戻る。

自分の胸に飛び込んで来た彼女をアニは珍しく優しい表情で受け止めた。


「それにしてもよ.....さっきまであんまりにビックリしてたんで気付かなかったが...クロエが着てる服、ひどくねえか?」
ジャンがアニに抱かれたクロエを眺めながら言う。

今彼女はぶかぶかのパーカーの袖をまくり、それをワンピースの様にして着ていた。
それでも大きいらしく、襟首は大きく開き、あまり褒められた格好とは言えない。

「.....仕方無い。私の服でこれなんだから....クロエ本人の服だと更に目も当てられない事になる。」
アニが溜め息を吐きながら答える。

「それならさあ....今日一日体調不良とか言って部屋に閉じ込めておくとか工夫できるだろ....」

「.....こんなクロエを一人にはできないよ。それについて来てしまったんだから仕方無い。」
.....どこか嬉しそうである。多分全然仕方無いと思ってない。

「僕も部屋に置いておくのが正解だと思うな。クロエ、部屋で留守番できるかい?」
彼女に屈んで視線を合わせながらマルコが言う。

そんな彼をクロエは2、3回瞬きをしながら見つめ、首を傾げた。

「.......クロエ?」
マルコもそんな彼女を不思議に思いながら名前を呼ぶ。

やがてクロエは微かな声で「.....呼び方」とだけ言った。

その言葉の意味をマルコは懸命に考える。.....やがて、ひとつの記憶に思い当たった。

「いや.....流石にそれは....何と言うか....」
マルコの言葉は急に歯切れが悪くなる。

「......?何まごついてんだよ。呼び方が何だって?」
ジャンがその様子を見かねたのかせっついてきた。

「いや.....僕、今と昔じゃクロエの名前の呼び方がちょっと違ったから....」

「ああ、それで不思議がってんのか。呼んでやれば良いじゃねえか」

「だって....あれは8才位の事だったんだよ?今は...その、」

しかし黒目がちな瞳で見上げて来る少女の視線には抗い難い力が宿っていた。

観念した様に息を吐いたマルコの頬はやや色付いている。

そして小さな声で、躊躇いに躊躇いながら「....クロエ、ちゃん」と呼んだ。

ジャンはそれを聞いて思わず吹き出す。アニは冷ややかな視線で二人を見下ろした。

一方クロエは嬉しそうに目を細める。その表情を見て一瞬マルコはどきりとした。


そうか....クロエは、昔は今より柔らかい雰囲気を纏っていたんだ。

僕と離れて過ごした間に何があったんだろう。きっと辛い事を色々と経験したんだろうな.....


「とにかく....訓練の間は宿舎に置いておくとして、今はこのままで良いんじゃない?」
そう言いながらアニはマルコと二人の世界を作っていた少女クロエを自分の方に引き寄せる。

「まあ....ガキにしちゃ随分と大人しいからな。実害も無さそうだし...」
ジャンがクロエの柔らかな頬をつつきながら同意を示した。

「そうだね、昔のクロエは今に輪をかけてドジを踏む事が多かったから一緒の方が良いかもしれない」

クロエは未だにマルコの事をにこにこしながら見上げていた。

それに絆されてマルコもまた表情を和らげる。....純粋にすごく可愛いと思った。


それから四人で食堂へと向かう。

アニはジャンとマルコからなるべく離れていたかったが、何となく少女クロエの事が気になってしまう二人は遂彼女達の傍へと寄ってしまうのであった。





「.....ん、何だその子供」

食堂にて、ライナーがアニと傍に居る子供を見下ろしながら不思議そうに尋ねる。

クロエは少し不安そうにアニの服を掴んだが、彼の顔をじっと見つめた末に表情を和らげて「ライナー」と名前を呼んだ。

「.......?何故俺の名前を....」
そう言いながらライナーは少し屈んで少女の顔を眺める。

やがてそれとよく似た顔をしている見知った人間を思い出し、驚きの表情を浮かべた後アニに視線を戻した。

「.....前から仲が良過ぎると思っていたが....そうか、遂にお前とクロエの間に子供がぐえ」

床に転がったライナーを尻目にアニはクロエの手を引いてテーブルへと向かおうとする。そんな彼をクロエは心配そうに眺めた。

「クロエ、何でそんなに小さくなったの....?」
その脇からベルトルトが最もな質問をする。

「調査兵団の実験に使われた...らしい。」

「そっかあ.....」
ベルトルトはクロエの事をしばらく見下ろしていた。その身長差は凄まじいものだった。

「あんまり喋んないんだね....」
久しく見る小さい物体にベルトルトはやや興味を持った様である。

屈んで目線を合わせると、やはりにこりと微笑まれて頬に触れられた。どうやらベルトルトの事も覚えているらしい。

「クロエは大きくなってからもあまり喋る方じゃないけど...昔は本当に喋らなかったからね。
スケッチブックを使って会話してくる事もあったし」
マルコがそれに応える。

「何だそりゃ。漫画のキャラか」
ジャンが相槌を打った。

「でも...こんなに皆に友好的なのは本当に珍しいんだ。」

「へえ?」

「いっつも僕の後ろに隠れて誰とも話そうとしない子だったし....今のクロエがいかに色んな人と仲良くなったかがよく分かるね...。」

「ふーん...」

良かった良かった....と呟くマルコは、その言葉とは裏腹にやや表情に陰りがあった。


「......それにしてもこの豆粒みたいのがあのデカさまで成長するのか....。モヤシみたいだな....」
復活したライナーがベルトルトの後ろからクロエを眺めながら感心した様に呟く。

「クロエはこのままの方が可愛いよ...今のままで良いんじゃないかなあ」
ベルトルトはよしよしとその頭を撫でながら言った。どうやら気に入った様である。

撫でられたのが嬉しかったのかクロエは少し頬を染めて笑った後、屈んでいる彼の首に腕を回してぎゅうと抱きついた。


「..............。」


しばらくベルトルトは無表情で固まっていたが、マルコが焦った様にクロエの体を彼から引き剥がして自分の方に寄せてしまった。


「.....とりあえず、早く朝食を食べないと....訓練に遅れたら大目玉を食らってしまう」
そしてクロエの手を強く握って引っぱりながら早口で言う。

「.....そうだな....」
ジャンはそんな彼を呆れた様に見つめた。まあ....オレがとやかく言う事じゃねえしな....


遠ざかって行く彼等の背中を見つめながら、屈んだ状態でベルトルトは固まっていた。

「....おい。大丈夫か?」

ライナーが声をかけると、顔を手で覆って俯いてしまう。そして本当に微かな声で「.....可愛過ぎる」と呟いた。

「お前...そっちの趣味があったのか...」

「違うよ!君と一緒にいないでくれ!!僕は純粋な気持ちで言ってるんだ!!それにあれ....本当にクロエ...?戻らないで欲しいなあ....」

「戻らないとマルコが可哀想だろう....。あれじゃあ何もできないしな」

「そういう事言うのやめなよ!あんな純粋な子が恋愛なんて俗っぽい事する筈ないじゃないか!」

「アイドルの追っかけみたいな事言うな....」

とりあえず...調査兵団の実験が一日でも長く続く様にベルトルトは祈るのだった。





......マルコは、困っていた。

いつもの様にジャンと会話を交わしながら朝食を摂り始めたは良いが、非常に食べ辛い思いをしていたのである。

「......クロエ..ちゃん、どうしたの?」

遂に彼女に尋ねてみた。それにクロエは微笑み返すのみである。

.....見られていたのだ。ずっと。パンを千切る所からスープを掬う所、水を飲む所、咀嚼し、嚥下する所...全て。

「.....クロエ。お前なあ、マルコに見蕩れる暇があったらせっせと食え。」

未だにほぼ食事に手つかずな彼女を見かねたのか、隣に座っていたジャンがパンを千切ってはクロエの口に押し込んだ。
まるで親鳥が雛に餌をやっている様である。

言われた通りそれをせっせと食べ、一段落ついた所でクロエはもう一度マルコに向かって目を細めて笑った。

「マルコが、友達と......話していて嬉しそうだから、遂」
小さな声でそれだけ言うとクロエは再び口を噤んで、ようやく自分で食事を摂り始めた。

それを聞いてマルコは少し驚いた様に、ジャンはやれやれという風に彼女を見つめる。

クロエはそれきり喋らなかったが、それでも彼女の周りには幸せそうな空気が満ち満ちていた。

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