マルコと結婚する 後編
「アニ.....?」
クロエはアニを探して式場の外の庭園を歩いていた。
街灯が所々にあるだけの小さな庭は薄暗く、足下に気をつけて歩かなくてはならない。
増して今クロエは慣れないドレス姿である。いつも以上に気を配らなくては....
「クロエ」
覚束ない足取りで歩んでいると斜め後ろから馴染みの落ち着いた声で呼び止められる。
声がした方向を見ると、予想通り金糸の髪を持つ親友が茂みの中に立っていた。
「アニ....居ないから心配したよ...」
帰っちゃったのかと思った、とほっとしながらクロエは微笑みかける。
だが...何故かアニは動こうとしない。不思議に思ってそっと茂みに近付いてみる。
しかしクロエがアニに触れる前に、その手は強く握られて茂みの中に引っ張られた。
クロエの体は勢い良くアニの胸に飛び込む。その反動で彼女を押し倒す様な形になってしまった。
「ご、ごめんアニ....。今どくね...。」
自分より小柄なアニには重いだろうと思い、クロエは急いで体勢を整えようとする。
しかし腕は掴まれているし、腰もしっかりと彼女のもう片方の手で固定されて身動きが取れない。
「アニ.....?」
不思議に思って彼女の顔を覗き込むと目元が少し赤い。
ライナーが言う通り、本当に泣いていたのだろう。
「アニ....大丈夫「クロエ」
美しい青い瞳にひたと見据えられる。あまりにも澄んだその色にクロエは息を飲んだ。
金色の長い睫毛が三日月の様に弧を描いてそれを囲んでいる。
あぁ、こんなに近い距離で彼女の瞳を覗き込んだのは初めてかもしれない.....
「あ.....」
目の前一杯にどこまでも透明で....静かな湖の様な青が広がる。
「.....馬鹿。大馬鹿。」
彼女の吐息が鼻先にかかった。
「幸せなんか祈ってやらない。」
アニはそれだけ言うと、クロエの唇の端にそっと口付ける。
クロエはただ、星の光を映し込んだ美しい彼女の瞳を見つめていた。
そうか....私がずっと描き続けてきた青は.....
しばらく二人は静かに見つめ合っていた。
やがてクロエはそっとアニの体を抱き、耳元で囁く様に彼女の名を呼んだ。
「ねえアニ.....私は青が一番好きな色なんだ.....」
アニも黙ってクロエの体に腕を回す。
「空や...海や...湖も...奥深い山奥も....綺麗なものは皆青色をしているから....。」
遠くの式場から笑い声が聞こえた。
二人の体が触れ合った場所から、夜の空気へじわりと熱が溶け出して行く。
「....だから、その青を今まで沢山描き続けて来たけれど.....
きっと....それは全部アニの瞳と同じ色だったんだね....。」
そっと彼女の顔にかかった髪をどかして愛しい青を見やすい様にする。
「....青い絵を描いている時...私はとっても幸せな気持ちになれるの...。
今もそう....。私、アニと出会えて良かった.....本当に、心からそう思う....。」
.....ずっと、待ち続けていた。もう一度貴方が目を覚ます日を....もう一度笑い合える日を.....
長くて、辛くて.....それでも嫌いになれなかった。
何故なら...貴方は私にとってかけがえの無い....ただ、一人の....
「馬鹿.....」
アニはもう一度そう呟くと腕に力を込めてクロエを横抱きにして起き上がった。
「え.....?あの....アニ、重いでしょう....。」
クロエが恥ずかしそうに降ろしてくれ、という仕草をする。
「別に....」
そう言いながらアニはさっさと茂みの中から歩き出してしまう。
「アニ...っどこ行くの?」
「会場に戻るんだよ...。」
「えぇ!?それじゃあ降ろしてよ!....は、恥ずかしい...。」
「嫌だ...。あの雀斑に見せつけてやる」
「ちょ、ちょっと....アニに抱えられるには私、重いってば!」
「だから重く無い。....これ位一人で持てる。
あいつが現れるまで何年もの間クロエと一緒に居て、支えて来たのは私だ....。」
彼女を取り巻く穏やかではない空気から、クロエは何も言えなくなりその身を大人しくアニに預けた。
柔らかく、良い匂いがする....。触れ合う体温が、心地よかった。
アニの予想通り、式場では複雑な表情をしたマルコが彼女に抱えられたクロエを迎えた。
*
「お疲れさま」
無事式を終わらせて帰宅した後、シャワーを浴びてようやく楽な格好になり、マルコはほっとしていた。
そんな彼にクロエは柔らかく笑いながら声をかけた。
彼女も風呂上がりの様で、綺麗に結われていた髪を下ろし、いつもの水色のリボンで緩くまとめている。
ドレスで飾られていた先程までの格好も充分過ぎる程美しかったけれど、いつも通りの彼女の姿がやっぱり落ち着く。
「.....思えば私たちの結婚式は二回目だね....」
クロエが窓の外の月を見上げながら言う。
「.....覚えている?」
少し不安げな表情で聞いて来る彼女がいじらしくて、思わず後ろから抱き締めた。
「勿論...。まだ、15才だったよね....。」
「私は貴方がいなくなった時、あんなに素敵な思い出があったものだから苦しくて....。
いっそ、出会わなければ良かった....忘れてしまえれば...と、何度も思ったのよ....。」
「ごめん....」
「ううん、マルコを攻めているんじゃないの。それに結局忘れるなんて無理だったのよ。
沢山辛い事や悲しい事があったけれど、貴方と過ごした過去があるから私は強くなれた....。
....謝るのは私の方...。一時でもそんな事を考えてしまって...ごめんなさい...。」
クロエが体を反転させてそっとマルコの胸に顔を埋める。
「....大丈夫だよクロエ....。これからはずっと傍に居るから....」
.....そう言いながら、胸が一杯になった。
会えない人間を、ここまで強く想い続けられるものだろうか。
自分は平凡な人間だ。何故こんなにも彼女は愛してくれるのか.....
.....いや、理由なんて必要ない。
僕がクロエを愛していて、クロエが僕の事を愛してくれている....。
それだけで、もう何もいらない。
「....ねえクロエ....。....結婚式の続きをしようか...。」
そうして、彼女の耳元でそっと囁く。
「.....結婚式の続き?」
クロエは少し不思議そうにこちらを見つめて来た。
「.....僕達は....もう15才じゃないんだ...。結婚するのが...どういう事か、君も分かっているだろう?」
彼女は少し目を伏せてマルコを抱き締める腕に力をこめた。
「...うん。分かっているよ...。」
「そう...。.....怖い?」
「...わ、私はそういう事初めてだし...。あまりよく分からないよ....。
もしかしたら幻滅させてしまうかもしれない....。それが怖い....かな....。」
クロエの声は少し震えている。
しかし、初めてという言葉に、分かってはいたが頬が緩んでしまった。
「.....大丈夫。僕も初めてだから...。それに僕はクロエの事を絶対に嫌いになったりしないよ....
何度も言ったよね?僕の事を信じてって....。」
「うん....。」
まだ不安げなクロエの頬を両側から包み込んでこちらを向かす。
頬が赤く、瞳が潤んでいる。
....大事にしたかった。怖がらせたく無くて触れられない時もあった。
でも、いつでも君は僕の事を受け入れてくれたから.....
本当に、心から愛おしいと思う。だから...今、僕がしたいと思った事をするね。
「....君を僕に下さい。」
月の光がクロエの瞳に反射する。
「本当に、大事にする....。」
それに呼応する様に涙が溢れてきてしまう....。
「一生かけて、愛してあげるから....」
お願い、泣かないで...。
クロエの手がそろそろと自分の頬に触れてくるのが分かる。
涙を流しなら、彼女は笑った。
「......いいよ。」
唇に柔らかな物が触れる。何てあたたかいのだろう....。
「全部あげる。」
その一言に、最後の何かが切れた。
クロエの体を痛い程強く強く抱き締めて、先程自分のものに触れていた唇を狂った様に貪った。
ずっと昔からこの日を夢見て.....
もう、何年越しの恋になるのだろう.....
ようやく叶える事ができた。
今、君は確かに僕の腕の中に......
*
涙が....出そうになった。
僕の気持ちに精一杯応えようとしてくれる君が愛おしくて、愛し過ぎて....
君は僕に全てをくれると言っていたけれど....僕だって全部あげる。
髪も骨も血も....全部。
.....僕は、君の物だ。
眞桜様のリクエストより。
結婚式、及びジャン視点...という事で冒頭にジャンを。
余談ですが彼女が描く絵は日本画家の東山魁夷さんに近いものを想像しています。青が綺麗な風景画が多いので。←[
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