グンタの誕生日、少し前 前編
とある夜………古城に配属されて以降である。グンタは所用で公舎まで赴いていた。
深夜とも言える時間帯だった為、辺りはまるきりひっそり閑としている。
執務室から必要な書類を取り出し、自身の部屋……急な移動だった為に残してきてしまったものが多くある……にも赴いた。
一週間程しか空けていなかったにも関わらず、どういうわけか自室がひどく懐かしく感じる。
着替えや生活の道具など細々としたものを物色していると、ふと視線の片隅に映り込むものがあった。
(眩しい……?)
先程灯した頼りない蝋燭の明かりではない。それはもっと強い、何か光源じみたものである。
自然とその方へと視線を寄越すと、グンタの部屋の向かい…これもまた宿舎のひとつから漏れる明かりと分かった。
(こんな時間に、誰か起きているのだろうか)
時刻としては、あと数時間で日が昇る頃である。
…………場所は、痛みが激しい為に現在は物置となっている部屋の筈だ。
グンタは、少々首を捻る。何者かが忍び込んでいるのか。……しかしあそこに盗まれて困るような大したものが置かれているとは思えないし……
兎にも角にも、訓練兵時代のように明確に立ち入りが禁止されている訳では無いが、宿舎の別棟にこんな深夜に入るのは気が引けた。
そして何より、彼は最近起こった多くの事件によりとても疲れていた。
(誰かが明かりを落とし忘れたんだろ)
そう自分に言い聞かせて、グンタは自室を後にする。
向かいの小さな明かりは尚も煌々と灯り続けていたが………
*
それからグンタは数回ほど、やはり深夜に公舎へと赴く用事を抱えた。
その際注意して例の、問題の窓を確認する。
(やはり明かりが……)
………消し忘れでは無いらしい。では一体何なのだろうか。
(こんな時間まで、誰が何の用事で)
またしても首を捻る。そして考えた。
こう毎度も明かりが灯っていることを考えると、あの…物置の中にいる人物は、毎晩のように何事かをしているわけだ。
それは一体なんなのか……
(今まで、こんなことは無かった)
兵士たちは日中の過酷な訓練の余波か、夜はしっかりと眠るのが常だ。
本当にここちょっと……自分が、古城に配属されてから………
(ということは、新兵のうちの誰かか…?)
それならば納得がいく。新兵に与えられる大部屋では夜分遅くまで作業することはままならない。
集団の生活サイクルに合わせて、明かりを落とさなくてはならないからだ。
(こんな深夜まで……)
よほど、研究熱心な新兵でも入ったのだろうか。
勿論何かいかがわしいことをしているとも考えられるが、青い闇の向こうに澄んで光る窓硝子から、そうしたよこしまな気配は感じなかった。
もっと真摯で……それでいて、少し悲しいような
…………瞬間、グンタは身を強張らせた。
何者かが、窓の向こうで動く……黒い人影が。
彼はそこから眼を離さずにいた。暫時して、ひょろりと細長いシルエットが光の中に描かれる。
(………男か?)
縦に長い背幅から女とは考えられなかった。
………ここからでは、顔までは伺い知ることはできない。
黒々とした貌は、しばらく窓の外を見つめてぼんやりとしているようだった。
まったくの沈黙。それから影はゆっくりと部屋の内側へと戻って行く。
いつもの、小さな白い明かりを眩しく灯したままで。
*
どんな人物が、あの場所で一体何事をしているのか。
それはグンタにとって密やかな謎となっていたが、とある休日兼祝日……
……こんな陰気な日々の中でも、いやそれだからこそか、人々は祭日を大切にしていた……あっさりと解決してしまう。
街でそこそこの規模のイベントが催される為、兵士たちはそちらに赴いて公舎はガランとしていた。
皆思い思いに祭りに興じては楽しんでいるのだろう。
例によって公舎と古城の連絡係のような位置に収まっていたグンタは……やはりついでにと、静まり返った宿舎へと続く道を歩いていた。
(そういえば……昼にここを訪れるのは本当に久しぶりだな。)
なんとはなしにいつもの窓へと視線が行く。
(流石に、今日はいないか。)
仕事熱心な新兵と予想される人物も、今日ばかりは羽を休めているのか。
そんな感慨に浸りながらゆっくりと正面に向き直り、歩を進める。…………しかし突如として背後から凄まじい轟音が響く。
ガラガラガラ…………
それは静寂の公舎の中を勢い良く通り抜け、後、こだまとなってカタカタとしょぼくれた音をさせるだけになった。
グンタがその方を向けば、地面に散らばる様々な荷物を前に呆然として腰を抜かしている女性が一人。
「だ、大丈夫か」
虚をつかれた彼は思わずどもってしまう。
声をかければそれは非常にばつが悪そうな面持ちで「す、すみません」とこれまたどもって返答する。
…………見たことの無い顔だった。恐らく、エレンと同じく今年から配属された104期訓練兵出身の者だろう。
「…………こんなに沢山のものを一気に運ぼうとするから無理があるんだ。」
立てるか、と言って手を差し伸べる。彼女は恥ずかしそうに謝罪を繰り返しながら、グンタの大きめの掌を掴んだ。
(………………。)
無事、怪我もなくその女性は立ち上がるが………膝を立てて、のっそりと自身と頭が並んだとき、グンタは驚きから口を半開きにしてしまった。
(…………で、でけえ………。)
グンタは決して背の低い部類では無い。むしろ平均よりもやや高めだ。
それが……その、仮にも女性であるこの人物とは背の高さがほとんど変わらなかったのである。
「どうしました?」
惚けて眼前の光景を眺めるグンタの顔をそっと覗き込んで、彼女はおかしそうにした。
*
「わざわざ本当にごめんなさい……」
グンタの横に並んだ女は度々申し訳無さそうに謝った。
「いや……構わないが。」
荷物を運ぶのを手伝ってやりながら、そう言って彼は応える。
しかし未だ心配そうな面持ちをするので、笑って不安を取り除いてやろうと思った。
その目論みは成功したらしく、彼女の表情も徐々に明るくなる。
(この荷物……)
蓋の緩い木箱の隙間から覗いているもの、独特の匂いから察するにそれが何かはすぐに分かった。
そうしてこれを使用していた人物は調査兵団でただ一人しかいない。いや……正確にはいた、か。
「ヨセフスさんのものか」
そう尋ねれば、「はい、そのように伺っています。」と礼儀正しく返された。
「………私が入ってくる前に、その……」
「ああ、そういえばそうか。お前たちに面識が無いのは当たり前だ。」
軽く溜め息を吐く。……開け放した窓からは遠くの街からの賑やかな喧噪が響いては伝わって来た。
「………それはそうと、何故お前がこれを持ってるんだ…?」
少々嫌な予感がして、グンタは顔をしかめつつ彼女のほうを見た。
確かにヨセフスは身寄りもいない男性だったが、いくらなんでも…荷物を整理してしまうのは早過ぎるように思えたのだ。
「クロエですよ。」
クロエは、グンタの『お前』という物言いを訂正する。
大人しそうな外見に反して意外と意固地になる部分があるのかと、思わず彼は「す、すまん。……クロエか。」と言い直した。
そうして、彼女はグンタの不安を宥める様に微笑む。……何か、とびきり素敵な宝物を見つけた悪戯小僧のような笑い方だった。
「私も、絵を描くのが好きなんです。」
彼女は木箱から突き出した固い豚毛の筆を見下ろして呟く。
長年使い込まれている所為で軸には絵具がこびり付いていたが、毛先は僅かに黄ばんでいるだけで綺麗なものだった。
几帳面なあの人の性格がよく表れている仕事道具だと思う。
「それをハンジさんに教えたらですねえ、これを丸ごと譲って下さるって。」
嬉しそうにクロエは笑った。
「そうか……ハンジ分隊長が。」
「良いんですかー、って恐縮しちゃったんですけどね。とても高価な顔料とかもありましたし。
そしたらハンジさん、『どーせ誰も使わないからヘーキヘーキ。それに君が使うほうが、あの人も喜ぶ』って…」
クロエは少々間の抜けた声色で……どうやらハンジの真似らしい……をしてみせる。
それがおかしくて、グンタはちょっとだけ笑った。
気が付くと、それにつられたのかクロエも笑っていた。いかにも気の抜けた、へらへらとした表情である。
「…………お前は、街に行かなくていいのか」
今日は祭りだぞ、と幾分か話しやすくなった雰囲気の中でグンタは尋ねる。
クロエは、「あー、そうなんですよ。私、すっごく行きたかったんですよー」と間延びした返答をした。
「でもですねえ、一番仲良い子は憲兵さんになっちゃって、忙しいみたいで………
それで、他の友達に声かけたら『オレは巨人を連れて歩く趣味はねえ』って………」
またしても、その友人の真似らしい……卑屈そうな声をクロエを出す。
どういう訳か彼女の下手な物まねはグンタの笑いを誘った。ひとしきり笑えばクロエも嬉しかったようで、一緒に声をあげて笑った。
「ひどいですよねえ、女の子を巨人呼ばわりですよー。」
「まあ。確かにそりゃひどいなあ」
「私思わず『ジャンだって馬に似てる…』って本当のこと言い返しちゃいましたよ。」
「(馬………。)そ、そうか。それでどうなったんだ。」
「頭殴られました。」
「……おお。」
「でもって頭が殴りにくい位置にあるから苛立つとかなんとか言って更に脛を蹴られました………」
思い出して情けない気持ちになるらしく、クロエはしゅんと項垂れる。
グンタは……彼女には申し訳ないのだが大型犬を見ている気持ちになって、ほんの少しだけかわいいと思った。
「………ジャンの所為で、同期のみならず先輩からも巨人呼ばわりですよ……。
まったく、老化現象が訪れる年になれば私だってちょっとは縮みますよ?」
「何十年後の話だそりゃ……」
風が吹いて、また遠くから賑やかな音楽を運んでくる。
二人は無駄な話をぽつぽつと交わしながら、ゆっくりと長い廊下を歩んだ。
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