マルコと雪 前編
「うぅ....寒い....」
折角訓練で温まった体も、宿舎への長い道のりを歩んでいる最中にすっかり冷えきってしまった。
早く暖炉にあたりたい......
クロエは自分の両腕を抱き込む様にして冬空を見上げた。
それは真綿のように所々白い雲を刷いたおっとりとした夕方の空で、やや斜な陽がどことなく立渡る初冬の霧に包まれてほんのりと輝いて、優しい光を投げかけていた。
寒さは体に応えるが、クロエはこの澄んだ空気が嫌いではなかった。
(....微かに雪の匂いがする....もうすぐ降るかな....)
雪が降ったら本格的に冬が到来する。訓練はより過酷さを増すだろう。
(でも....やっぱり雪が降るのは楽しみだな....)
「よっクロエ」
「ぶっひゃあ!!」
立ち止まってぼんやりとしていたらいきなり物凄く冷たいものを首にあてがわれた。
「ちょ、ちょっと....!やめてよジャン...!」
未だパニックから抜け出せないクロエの首をジャンは大爆笑しながら触っていた。
先ほどの冷たいものは本日の訓練で冷えきったジャンの手だった様だ。
「色気の無い驚き方すんなー。最高に笑わっちまったよ....」
「分かった、分かった!!面白いのは分かったから手を離してよ....!」
「嫌だよ。オレの手がまた冷えちまうじゃねぇか」
「!?」
なんて理不尽で自分勝手な....!!
「ジャン、やめなよ」
クロエは救世主の登場に少し泣きそうになった。
「マ、マルコ....!」
マルコはジャンの手を強引にクロエから引き剥がすと、彼女の腕を引いてジャンから守る様に自分の方へと寄せた。
「ジャン、クロエは君の所有物でも何でも無いんだから懐炉みたいに使っちゃ可哀想だろ」
少し眉をしかめながらそう話すマルコはややご機嫌斜めの様だ。
「あんたの所有物でもないだろ」
凛とした声とともにマルコと繋がっていた手と逆の右手が引っ張られてクロエの体は彼から離れた。
「アニ....」
右手が繋がれた先には馴染みの美しいルームメイトがいた。こちらもあまり機嫌がよろしくない。
不満げなジャン、不機嫌なマルコ、そして不穏な空気を纏ったアニ。不が三つ並んだ。
.....場の空気が非常に悪い。
『クロエ』
どうしたものかと悩んでいたクロエに小声でアニが囁く。
『走るよ』
言うが早いか、アニは恐ろしいスピードで走り出した。
「え....えぇ!?」
突然の事にクロエは舌を噛みそうになる。
ジャンとマルコも状況に全く付いて行けない様で、視界の端を唖然とした二人の顔が霞めていった。
*
「.....ここまで来れば大丈夫だね」
「ア、アニ.....!飛ばし過ぎだって...!!」
「この位で音を上げてちゃこの先が思いやられるよ」
「上位5名圏内のアニと私を一緒にしないでよ...!」
クロエは女子寮の柱に持たれて息を整える。
.....確かにここまで来ればいくらあの二人でも追っては来れないだろう。
「とりあえず助けてくれてありがとう.....でも何も逃げなくても....」
確かにジャンの行為にはすこぶる辟易していたが、ここまで本気で逃走する必要は無かったのではあるまいか....。
アニはぐったりとしているクロエの顔を一瞥すると何か思索にふける様な仕草をする。
クロエはそれを不思議そうに眺めた。
「クロエ」
アニに名を呼ばれる。
「?はい」
アニはおもむろに手を伸ばすとクロエの首筋にぴたりと両手をあてがった。
「!?」
物凄く冷たい。さっきのジャンより遥かに低い体温だ。
「アニ....!冷たいよ...!!ちょっと...」
全力疾走の疲れで抵抗する気力の無いクロエの体温をアニの冷たい手はどんどん奪って行く。
「......あんたは隙が多過ぎる」
「え」
「明日からはブラウスは禁止。詰め襟しか着用を許可しないよ」
「え?」
「なおかつあの二人には近寄るんじゃない。貞操の危険を感じる。」
「え!?」
「分かったね?」
「......は、はい」
なんだか凄い剣幕で迫られてしまったので首を縦にふらざるを得ない。
「.....不用心に他の奴なんかに肌を触らすんじゃないよ.....」
アニはクロエの首から手を離すと額をその胸にもたせて息を吐く様に呟いた。
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