愛しい雨 | ナノ


23柘榴の行方  


マルコは夕闇の迫る街を歩いていた。



仕事で休みをもらえる度に自分はこうして様々な街を彷徨う。


背の高い女性を見つけた時はふと足を止めて彼女をじっくりと眺めた。

......しかし、違うのだ。自分が探しているあの子ではない。



......自分が今生きているこの時代は.....壁も無ければ巨人もいない.....

あの食糧難、物資難が嘘の様に色々なものが溢れて便利な世の中だ。



『クロエ.....僕はね....命ある限りなんかじゃない.....
きっと生まれ変わってもクロエの事が好きだよ......』



いつかの自分の台詞だ。

その言葉の通り、やっぱり生まれ変わっても僕はクロエの事が好きだった。

沢山変わってしまったことはあるけれど、これだけは永遠に変わらないのだろう。



ふうと息を吐くと白い水蒸気となって夕方の冬の空へと吸い込まれて行った。

今年の冬は殊更寒さが厳しい......。



......あの子はどうなのだろうか....。見えざる手に導かれて自分と同じ世界に転生できたのだろうか。

万が一できていたとしても、僕の事を覚えていて.....愛してくれるだろうか......

いや、覚えてなくても良い....。一目会うだけでも.....。


不安は沢山あったけれど、何故か自分には彼女を見つけ出す事ができるという、奇妙な自信だけはあった。

昔から泣いてどこかに居なくなってしまうクロエを見つけるのは自分の役割だったから....


.....そう、あの子はすぐに泣く。だから傍にいてあげないといけない。


.......きっと僕は、あっちの世界で彼女を沢山泣かせてしまっただろう......

ずっと一緒だと約束したのに、僕はあっさりその手を離してしまった。

自分が知らない、手の届かない場所で彼女が泣いている事を思うだけで胸が千々に割かれる思いがする。


だから今度はもう絶対に離さない。必ず見つけ出して、あの時果たせなかった約束を果たしに行こう。







彼女を探して街を歩くとき、美術館や画廊や画材屋等、絵を描く人間が多く集まる場所によく足を運んだ。

彼女は生まれ変わっても必ず絵を描いている筈だ。それだけは確信が持てた。

そして水色のリボンで髪を結わえていることも同じ様に確信していた。

こればかりは直感としか言えない。



(しかし.....)

彼女を探し始めて10数年近く経つ。

学生時代は教室をひとつずつまわったり、
角を曲がった時にばったり....なんていう事を想像したけれど、そんな奇跡は起きず、今もこうして街を彷徨っている。

出会えるのは、いつになるのかは分からない.....。

何しろこの世は壁が無いのだ。世界は無限に続いている。


けれど、あと何十年掛かっても僕は彼女を探すのを諦めないだろう。

クロエのいない人生はもう辛くて絶えられないのだ。可能性があるのならそれに縋りたい...。




街はクリスマスが近付いている所為かとても賑やかだ。

店先はイルミネーションで飾られ、皆幸せそうな表情をしている。


ひゅうと吹く木枯らしに体が震えてコートを着直す。

.....やはり彼女がいない世界は体も心もどこか寒い。




ふと賑やかな店の並びに建つ古い煉瓦造りのビルの前で足を止めた。

狭い階段が二階へと続いていて、扉が半開きになってオレンジ色の明かりが漏れている。

(.....前に来た時は閉まっていたはずなのに....?何のビルだろう.....)

辺りを見回すと、看板が出ていたことに気付いた。

文字は何も書かれておらず、青い海の絵が貼られているだけである。

しかし画像の画素が荒く、海と分かるだけで絵の内容はほとんど理解できなかった。

(画廊か.....?)

小さな画廊は割とこういう適当な広告をするものだ。

(.......ひとまず入ってみるか)

何でもいい。ひとつでも手がかりを見つける事ができたなら.....



細い階段を昇っていると、奇妙な確信めいた物が胸の内に広がっていくのを感じた。

その手すりは錆びていて、踏みつけると階段はぎしぎしと鳴る。

階段を登りきった所に鎮座している扉はこの建物同様随分と古く、所々ニスが剥げていた。


どこかで見た事があるのだ。ふと美しい女性店主の顔が頭に浮かぶ。


以前ここと似た場所を見つけた時も、ただ一心に彼女の笑顔を見たいと思っていた時だった。そして今も....

あの時もこうして扉が開かれていて、オレンジ色の光が漏れていた....。


階段を登り切って入口の前に立つ。敷居をまたぐと微かに効いている暖房が体にじんわりと熱を運んで来た。


「う、わ.....」


柱を曲がって室内全体を見渡せる位置に立ったとき、思わず声を上げてしまう。


一番奥の狭い壁一面に、真っ青な海と空が混ざり合った美しい絵が飾られていた。


深い濃紺から緑がかったブルーへ、そしてやや紫色に変色してから抜ける様に透明な水色へ。


―――僕が一番、好きな色だった。




ドサッ




背後で大きな物音がした。

―――そう、まるで予想外、しかしずっと待っていた来客の出現に驚いて持っていた物を落とした様な....



奇妙な確信めいたものがあった。

それでも、胸の鼓動は早鐘の様に鳴り響き、後ろを振り返るのが怖かった。

もし、これで期待していたものと違う現実が背後にあったら.....また君を捜してこの冬空の下、一からやり直さなくてはいけなかったら.....


.......それでも......振り返らずにはいられなかった。



まず、青い美しい目を大きく見開いている小柄な金髪の女性の姿が目に入った。

まるで化物を見る様な目で僕の事を見ている。


そしてそのやや後ろの床には数冊の本が散らばっている。

恐らくさっきの物音はこれ等がニスの剥げたフローリングと衝突した音だろう。


その本の辺りからロングスカートに包まれた足が伸びている。相変わらず凄く長い。

細身のニットに包まれた上半身、緩やかな曲線にかかる髪は水色のリボンで結われていて、その上にある白い顔は......



「マ......ルコ......」


僕の名前をやっとの思いで呼ぶと、彼女の目から涙が一筋頬を伝った。



......愛しい。物凄く愛しい....。その想いが体中を駆け巡る。

彼女の頭のてっぺんからつま先まで、その口から吐き出された息も、それを取り巻く空間も。

彼女が存在してくれているこの世の全てが愛しかった。


気付いたらもう心に余裕なんてものは一片もなく、夢中で彼女の体を掻き抱いていた。

自分でも驚く位強い力で抱いてしまったので、その体が壊れてしまわないか心配だったが、今は衝動を押さえ切れなかった。

彼女は僕の肩に顔を埋めて静かに泣いている。――また泣かせてしまった....と頭の隅でぼんやり思った。




―――長い間待たせて本当にごめん。きっと君は沢山泣いてしまったのだろうね....

―――僕は自分が知らない所で君が泣くのはすごく嫌なんだ。

―――だからもう二度と君から離れたりしない......




「これからは......ずっと一緒だよ.....クロエ....」


僕の言葉に彼女は何度も、何度も頷いてくれた。






柘榴:第一話でも使用したタイトル。
冥界の王ハデスの妻にして春の女神プロセルピナの持物。
そこからイエス・キリストの復活を表すものとなった。
多くの種子が丈夫な果皮で包まれていることから、人々の結束の象徴でもある。


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