愛しい雨 | ナノ


22光の中で蝶は  


「お待たせ」

綺麗な微笑みを浮かべながらクロエは元倉庫のアトリエに足を踏み入れた。


「クロエ分隊長!探しましたよ.....!何処に行ってたんです.....
仕事がどれだけ溜まってると思ってるんですか.....!!」
ハインツがこちらに駆け寄って来る。

「仕事なんてどうでも良いの!ちょっとハインツ邪魔!どいて!!」
エーリカがハインツの大きな体を蹴飛ばした。

彼女の小さな体の何処にこんな力が.....


「クロエ分隊長.....!私、聞きたい事があるんです.....!!」
エーリカが頬を上気させて大きな瞳をこちらに向けて来る。

身長差的にこちらを見上げる形になっているのが可愛らしくてクロエはくすりと微笑んだ。

「何?なんでも聞いて頂戴」
そう言って彼女の柔らかな栗毛を優しく撫でる。


エーリカは少し逡巡した後、こちらに何かを差し出して来た。


「この人は、誰ですか」


彼女の手には色褪せたセピア色の写真が握られていた。


「...............。」


クロエはその写真をじっと見つめる。


「.......この人は、」




『あぁやっぱりクロエだ。
随分と背が伸びたね、僕より大きいじゃないか。...久しぶりに会えて嬉しいよ。』



口を開きかけた時、懐かしい声が頭に響いた。


「えっとですね、ハインツの馬鹿が転けた時にこれがでてきたんですけれど....」


『クロエは戦って絵も描ける兵士になればいい。』



「お前が転したんだろうが!!」


『僕はクロエの絵のファンだよ?もっと自信持ちなよ。』



(駄目だ.......)

幸せ過ぎて蓋をした記憶の淵から優しい声がそろそろと忍び寄る。

.....駄目だ....お願い.....出て、こないで.......。


『嫌いになんかなるもんか...僕は昔から一回でもクロエの事を嫌いになったことなんてない.....
再会できた時だってすごく嬉しかった。......僕の事を、もっと信用してよ.....』



「で、ですね.....もしかしたら.....クロエ分隊長の良い人なんじゃあないかなーなんて」


『......クロエ、ごめん...やっぱり嫌いにならないで....』



「お前.....!そんな言い方.....!!失礼だとは思わないのか.....!」


『僕もクロエが好きだから......』



全てがきらきらとしていて一番幸せだった在りし日の思い出がこんなにも切なくこんなにも優しく、次から次へと胸の内に広がって行く。

最早クロエにそれを止める事はできなかった。


『いつか、この壁がない.....クロエが描いた外の世界も見てみたいな....』



「ほら、このリボンとかもきっともらったものですよね?」


『一応目印は付けとかないとね。クロエは泣くとすぐどこかに居なくなるんだから....』



「じ....じゃあこの指輪も.....?」


『君にちゃんとした指輪を渡せる様になった時........僕と結婚して下さい。』



「今はどちらかの兵団に所属されている方ですか?私もお会いしたいです!」


『もちろん......二度と離さない。ずっと一緒だよ。』



「お前は....本当に....何でそういうデリケートな事をずけずけ聞くんだ!
そういう所が慎みが無いと言うんだぞ!」



『クロエ.....僕はね....命ある限りなんかじゃない.....
きっと生まれ変わってもクロエの事が好きだよ......』



「何よぉ、本当はあんただって気になって気になってしょうがなかったんでしょ?」

「そ、そんな事は.....!クロエ分隊長!自分は断じてその.....よ....うな....」

弁明しようとクロエに向き直った時、ハインツの瞳は大きく見開かれた。

「.......え...?.....クロエ分隊長......?ど、どう....したんですか.......」

エーリカの顔にも焦りの表情が浮かぶ。



クロエの頬にはただ一筋だけ涙が伝っていた。

その視線は写真に固定されている。


ハインツとエーリカは何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのかと慌て始めた。

「えっと.....ごめんなさいクロエ分隊長....出過ぎた真似を.....でも元はと言えばハインツが転けたのが」

「だからお前が転したんだろうが!!というか今のは100%お前が悪いぞ」

「何よぉあんただって興味津々に指輪について聞いてた癖に!」

「と、とにかく分隊長、お気に触ったのなら謝罪いたします....。申し訳ありませんでした...。」

「ご、ごめんなさいクロエ分隊長......その.....わ、私の事....嫌いにならないで下さ...い.....」

いつも活発なエーリカの語尾が消えて行く。


しばらく二人は自分のつま先に視線を向けて黙っていた。

クロエが泣く所を初めて見たのだ。.....何だかいけないもの見た気分になってしまった。


ふと、エーリカの頭に何かが触れた。

視線をそちらに寄越すと、クロエが優しく笑いながら彼女の頭を撫でていた。


「クロエ分隊長.....」

「大丈夫....。嫌いになったりなんかしないよ.....
私は貴方たちの事を一回だって嫌いになった事はないんだから....」
だから顔を上げて頂戴、とクロエ微笑んだ。

「でもクロエ分隊長......泣いちゃってましたよね.....」

「違うのよ.....。嬉しくて涙が出たのよ.....」

「嬉しくて......?」

「私はなんて素敵なものを忘れたままにしていたのだろう.....と思ったのよ
だから......思い出させてくれた貴方たちにとても感謝しているわ....」

「えっと....それじゃあこの人は....」

「私の....一番大切な人だよ....昔から....これからもずっと....」


クロエはエーリカの頭から手を離すと彼女の手からリボンを受け取った。

そうして自分の髪を結っていた黒いリボンを外すと、その水色リボンで髪を結い直した。


「さて、お仕事をしにいきましょうか」

殊更美しく二人に微笑むとクロエは倉庫の外へと軽い足取りで歩いて行った。


「ま、待って下さい分隊長.....!」

「っていうかあの人は結局恋人なんですかー?」

その後をハインツとエーリカの二人が慌ただしく追いかけた。



無人となったクロエのアトリエのサイドテーブルには銀のリングが、
壁には幸せそうな笑顔のいつかのクロエとマルコの写真が沢山のスケッチとメモに混ざって貼られていた。




貴方が示してくれた絵を描く道へと向き合う度、画布の前に立つ度にこの写真を見て思い出す.....

ひとりになっても歩き続けなくてはいけないこと、それでも一緒に過ごした思い出があるから進んで行けること...


いつだって貴方との幸せな記憶は私を支えて続けてくれたんだろうね....

それに気付けなかった私は本当に駄目な人間だ。


出会わなければ良かっただなんて....何て勿体ない事を思っていたんだろう


何度生まれ変わっても私はきっと忘れない.....



ねぇマルコ.....本当に出会ってくれてありがとう.....



貴方は私の最初で最後の―――







蝶:古代から蝶は人間の魂の象徴であった。
ギリシア神話の魂の女神プシュケを表す。
また前述の愛の神エロスとプシュケが恋に落ち、
二人の間に生まれた子供がウォルプタース(喜び)である。


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→(refrain....)

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